堺の歴史をざっくりまとめました!
古代
ヤマト政権の時代
史上最大の巨大古墳群(百舌鳥古墳群)が作られた。
仁徳天皇陵古墳は日本最大の古墳で世界三大墳墓の一つ(←秦の始皇帝陵、クフ王のピラミッド)。
堺市博物館より
平安時代
摂津と和泉の境であるこの地が「さかい」と呼ばれ始めた。
熊野詣の人々や周辺の鋳物師が堺の道を行き交い、町が発展。
中世
堺市博物館より
堺は港湾都市として発展した。
(理由)
- 畿内と瀬戸内海を結ぶところに位置する
- 街道が通る
↓
豊かな富を背景に、堺の商人は茶の湯など様々な文化を発達させた。
室町時代
日明貿易の拠点になった。
←応仁の乱で兵庫津が焼かれ、日明貿易の拠点港の機能が堺に移った。
その結果、日明貿易・琉球貿易・南蛮貿易で栄えることに(→「東洋のベニス」)。
戦国時代
堺市博物館より
堺は鉄砲の一大産地になった。
(理由)
- 流通の拠点だったから
- 火薬の材料である硝石を外国から仕入れるためのルートを堺の商人が持っていたから
堺市博物館より
近世
堺は一地方都市に転落した。
安土桃山時代
会合衆と呼ばれる有力商人による自治的な都市運営が行われた。
環濠都市。
織田信長は堺に都市としての価値を見出し、堺を支配。
信長の死後は豊臣秀吉が堺を支配。堺のまちを囲む環濠を埋めさせた。
江戸時代
堺焼き討ち
大阪の夏の陣の際、堺のまちが徳川に味方したとされ、豊臣によって焼き討ちにされた。
江戸幕府の直轄地になり発展
天領(江戸幕府の直轄地)になり、堺奉行が置かれた。
新しい町割によって市街が復興される。
また、中国からの生糸輸入の独占権が与えられた(糸割符制度)。
このように堺は特別な地域として発展したが、、、
一地方都市に転落
「鎖国」政策により、堺は海外貿易の利益を得られなくなった(長崎が独占)。
また、畿内経済の中心地域は大坂に移った。
堺市博物館より
さらに1704年、大和川が堺方面に付け替えられた。
- 堺と住吉が分断された
- 河口付近に多量の土砂がたまったため、堺港に大きな船が停泊できなくなり、港湾機能が縮小した
幕末
堺が開港地の候補になったが、結局、神戸に・・・
近代
明治時代
堺市博物館より
工業都市へと変化した。
- 紡績
- 煉瓦
- 酒の醸造
- 金属加工
現代
大阪市のベッドタウン。
2019年、百舌鳥古墳群が世界遺産に登録された。
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