本記事では、鎌倉時代の農業と貨幣経済について説明をします!
本記事の内容
- 農業の発達:二毛作・刈敷・草木灰
- 分業の発展:行商人・定期市・見世棚・座
- 貨幣経済の発展:宋銭・借上・問丸・為替
この記事の信頼性
僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
鎌倉時代の農業と貨幣経済についてわかりやすく
民衆の生活について話をします。
今回話をする時代は、鎌倉時代です。
①農業の発展
鎌倉時代は、経済が発展して、商売(ビジネス)が行われるようになってきました。
そのベースとなったのが、農業の発展です。
農業の生産性が向上したんです。
生産性っていうのは、インプットに対するアウトプットの比率のことです。
例えば、1時間の勉強で100点が取れるようになったら勉強の生産性は高いし、1,000時間の勉強で50点しか取れなければ勉強の生産性は低い、っていう感じです。
で、鎌倉時代は農業の生産性がアップしたんです。
農作物をたくさん作ろうと思ったら、つまり農業のアウトプットを大きくしようと思ったら、例えば土地を広くしたり農作業にあてる時間を長くしたりする(インプットを大きくする)っていう方法が考えられますよね。
でも、そういう方向性で農業が発展したわけじゃありません。
鎌倉時代は、土地や労働時間っていうインプットを増やすというよりは、作業を効率化させることで、アウトプットを大きくしようとした時期だったんです。
例えば、同じ土地で、夏場はコメを、冬場は麦を栽培するようにしました。
これを二毛作と言います。
土地の大きさを変えることなく、アウトプットを増やしています。
また、鉄製の農具が普及しました。
木でできた農具よりも断然耕しやすいので、今までよりも短い時間で農作業を終えることができるようになったんです。
さらに、農作業に牛や馬を利用するようにもなりました。
これも、短い時間、少ない人数で農作業をすることにつながります。
インプットを減らして、生産性を向上させることができますよね。
あと、肥料を使うようにもなりました。
草を土の中に敷いて土の中で腐らせることで肥料したり(刈敷)、草や木の枝などを燃やして灰にすることで肥料にしたり(草木灰)しました。
この結果、農作物が育ちやすくなって、アウトプットが増えるんです。
これを聞くと、「そんなの超普通のことじゃん」って思うかもしれないんですけど、鎌倉時代の人々にとっては大発明だったんです。
こうして、鎌倉時代に農業の生産性が向上しました。
②分業の発展
そうすると、人々は時間的に余裕が生まれるんですよね。
あんまりくわしいことはわかりませんが、農業の生産性が低いと、生きていくための食べ物をゲットするための農作業だけで一生が終わる…みたいなこともあったかもしれません。
ところが、農業の生産性が向上した結果、農作業だけでいっぱいいっぱいになることがなくなった。
そうなったら、どうなるか?
農業じゃない別のことをして、何か価値を生み出して、それを人に提供しよう(売ろう)と考える人が出てきます。
分業が進むんです。分業っていうのは、ざっくり言うと「手分けをして仕事をすること」です。
例えば、農具を作る鍛冶屋。
鍛冶っていうのは、金属を加工して製品を作るっていう意味です。
他にも、衣服の染め物を行う紺屋(こうや)があります。
また、移動しながら商品を販売する行商人も登場しました。
これ、人々が農作業だけでいっぱいいっぱいだったら、ありえないことですよね。
こうして分業が進んで、いろんな商品が売り買いされるようになると、商品を売り買いするための場所が生まれるようにもなりました。
お寺や神社の周辺(門前)や交通の便利なところで、月に3回ほど定期市が開かれるようになるんです。(三斎市)
定期市の他にも、常設のショップもできました。
この常設のショップのことを見世棚と言います。(商品を並べてお客さんに見せる棚のことを見世と言います。店の語源です)
常設のショップを構えるっていうのも、人々が農作業でいっぱいいっぱいだったら考えられないですよね。
で、分業が進むと、同じような仕事をしている人=同業者は、自分たちのポジションをキープしたくなるんですよね。
例えば油を作っている人々は、他の人が油の商売に新規参入してきてほしくないわけです。
自分たちの地位が脅かされる可能性があるので。
そこで、同業者同士で団体を作って、お寺とか天皇家とかの権力を持っている存在から、特権を認めてもらおうとします。
例えば、その団体に入っていないと、油の原料の仕入れができなかったり、油の販売ができなかったり、など。
このような同業者の団体のことを座と言います。
こんな感じで、農業の生産性の向上をベースとして、経済が一気に発展していった、一段階レベルアップしたのが鎌倉時代です。
まだ話は続きます。
③貨幣経済の発展
経済が発展してモノの売り買いが盛んに行われるようになると、やっぱり物々交換だと不便なんですよね。
奈良時代に貨幣(コイン)が作られたっていう話がありましたが、その後、貨幣はあんまり使われなくなって、物々交換が基本になっていました。
が、モノの売り買いが盛んに行われる社会では、それじゃ不便。
っていうことで貨幣を使いたくなるんです。
でも、貨幣って、その貨幣に価値があるってみんなが信じているからこそ、価値があるんですよね。
みんなが持っている1万円札は、みんなが1万円の価値があるって信じているから、1万円の価値があるわけで。
例えば1万円札を宇宙人に見せて、「UFOを1万円札で買いたいです」って言っても、宇宙人からしたら「なにその紙切れ」って感じじゃないですか。
貨幣は、みんながその貨幣に価値があるって信じているから成り立つんです。
じゃあ、鎌倉時代はそういう貨幣を作れるか?って言うと、そういう貨幣を作れる政府っていうのは残念ながらなかった。
そこで、貨幣として、中国の貨幣を使うようになりました。
宋銭と言います。
あの大国である中国が発行している貨幣だ!っていうことで、宋銭に対して、みんなが価値を信じていたんですね。
こうして、貨幣がだんだんと使われるようになっていきました。
貨幣が使われるようになると、「お金を借りたい!」っていう人々も出てきて、その結果、お金を貸す業者が誕生することになりました。
お金を貸すことを金融、お金を貸す業者のことを金融業者と言います。
鎌倉時代には、借上(かしあげ)という金融業者が誕生しました。
また、経済が発展してモノの売り買いが盛んに行われるようになると、遠くにいる人とモノの売り買いをしたくなったりもします。
そうすると、モノを遠くまで運搬するっていうのが必要になってきますよね。
そこで、問(問丸)という商品の運搬などを行う業者が誕生しました。
そうすると、貨幣を遠くにいる人に送る必要が出てきますが、貨幣をいちいち遠くまで運ぶのって面倒ですよね。
東京にいる人が、たくさんの貨幣を鹿児島に届けたいって思った時に、その貨幣を直接届けるのは超面倒です。
途中で奪われたりするリスクもあります。
そこで、為替っていう仕組みが生まれました。
為替っていうのは、手形で決済をする方法のことです。
為替の業務をやっている業者に、貨幣を持っていくと、その業者は手形っていうのをくれるんです。
その手形を、お金を渡したい相手に送ります。
相手がその手形を受け取った後、その人が為替の業者に手形を持っていくと、貨幣に換金してくれます。
これが、為替です。
為替の仕組みのおかげで、貨幣を遠くまで直接送るっていうことをしなくても済むようになりました。
人間の発明ってすごいですよね。
こんな感じで、鎌倉時代になると経済の仕組みが一気に発展していきました。
そのベースとなったのが、農業の生産性の向上です。
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