平城京と天平文化について説明をします!
この記事の信頼性
僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
平城京と天平文化
平城京と天平文化について話をします。
今回話をする時代は、奈良時代です。
キーワードは、「日本(律令国家)は中国(唐)のマネをしまくった。」です。
平城京とは
まず、律令国家の中心地(都=天皇がいるところ)についての話から。
710年に、天皇は藤原京から平城京に都を移すことにしました。
(都が平城京に移された710年から、都が平安京に移される794年までの間を奈良時代って言います。)
地図を確認。
藤原京も平城京もどっちも奈良盆地にありました。
盆地っていうのは、周りを山に囲まれた、ちょっと低くて平らな地形のことです。
藤原京は奈良盆地の南の方、平城京は奈良盆地の北の方です。
ちなみに、平安時代の都である平安京は京都盆地に作られました。
で、奈良時代の都である平城京は、律令国家のモデルにした唐(中国)の都の長安っていうところをマネして作られました。
律令国家は中国(唐)をモデルに、中国(唐)から学んだものを取り入れて仕組みを整えたんです。
(ただ、100%コピーしたっていうわけじゃなくて、中国から学んだものを日本なりにアレンジはしていた)
どうやって中国のことを学んだのか?というと、
日本は中国に人々を送り込むことで中国のことを学ぼうとしました(遣唐使と呼ぶ)。
遣唐使として中国に行った人々が、現地で唐の最先端の制度や文化を学んだんです。
で、しばらくしたら日本に戻ってきて、学んだことを日本にいる天皇とかに伝えたんですね。
律令国家は中国のマネをしたんだな、っていう話をもう少しします。
天平文化の特徴(特色)
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律令国家が中国のマネをした結果、天平文化が花開くことになりました。
天平文化
遣唐使などによって中国(唐)の影響を受けた国際色豊かな文化
律令国家は、唐のマネをして地誌(地方の自然や伝説などを記す)や歴史書を作りました。
これは、「天皇ってすごいんだぞー」っていうのを示すためです。
- 『風土記』(地誌)
- 『古事記』(歴史書)
- 『日本書紀』(歴史書)
(古事記の「記」と日本書紀の「紀」に注意)
さらに、漢字も使いました。
律令国家の法律やルールはすべて漢文で書かれたんです。
ってことで、都で国のために働く役人は、漢字の読み書きができることが必須でした。
(中高生は漢文の勉強するけど、あんな感じ)
和歌っていう詩も流行りました。
日本語の音を漢字であてて書いたらしいです。(大変そう)
この和歌をまとめた冊子である『万葉集』が、奈良時代の終わり頃に作られました。
そして、仏教をますます取り入れて発展させようとしました。
中国では仏教がかなり盛り上がっていたんですね。
仏教が、中国の貴族の間ですごく信仰されていたみたいなんです。
その背景には、仏教には国家を守り安定させる力があるっていう考えもあったようです。(鎮護国家)
仏教っていうマジカルパワーを、天皇の支配の安定に使ったっていうことです。
ヤマト政権の最初の方では古墳が権威の象徴(シンボル的な存在)で、各地のリーダーである豪族はみんな古墳を作っていましたが、その権威の象徴が仏教になったんです。
そういうパワーが、支配の安定には必要だったんですよね。
ってことで、藤原京から平城京に移動する時に、藤原京にあった寺院も一緒に移転しました。
寺院っていうのは、仏教の建物です。(寺院と神社は違うので、区別するべし)
あと、移転するだけじゃなくて、平城京に新しく寺院を作ったりもしました。
例えば、東大寺。修学旅行の定番の場所。
ちなみに、庶民が仏教を信じていたわけじゃないようです。
庶民への布教(宗教を広めること)は禁止されていました。
(これを破って人々に広めようとしたのが行基)
このような、奈良時代の文化のことを天平文化って言います。
以上、長々と説明することになってしまいましたが、まとめるとこういうことです。
「日本(律令国家)は中国(唐)のマネをしまくった」
聖武天皇の仏教政策
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そんな律令国家は、いろんな課題に直面しました。
その課題のなかの1つが、感染症です。
天然痘っていう感染症が、735年から738年にかけて日本で大流行したみたいです。
この天然痘って、新型コロナウイルスによる感染症よりもさらにヤバい感染症です。
全人口の3分の1が病死したとも言われています。
天然痘っていう感染症のせいで、律令国家の役人もたくさん死んで、政治は大混乱。
で、当時の天皇だった聖武天皇はビビり倒したわけです。
「仏教で国を安定させるぞー!」って思って、寺院と大仏を作らせまくりました。
それが、国分寺や国分尼寺や、東大寺のあのバカでかい大仏です。
感染症っていう課題に対して、律令国家は仏教の力で乗り越えようとしたんですね。
※天然痘は1980年に根絶。人間が感染する感染症で、人類が根絶できた唯一のものらしい。
まとめ
- 日本(律令国家)は中国(唐)のマネをしまくった
- 天然痘っていう感染症に対して、律令国家は仏教の力で乗り越えようとした
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