本記事では、高橋財政について説明をします!
この記事の信頼性
僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
高橋財政とは?
犬養毅内閣(1931年12月〜1932年5月)と斎藤実内閣(1932年5月〜1934年7月)と岡田啓介内閣(1934年7月〜1936年3月)で大蔵大臣を務めた高橋是清が行った財政政策のこと。
昭和恐慌からの脱出と満州事変への対応を目指して、金輸出再禁止と金兌換の停止を行った。
ってのが高橋財政とは何なのか?に対する答えですが…これだとマジ意味わからん!って感じだと思うので、頑張ってわかりやすく説明します。
んで、高橋是清は大蔵大臣を何回も務めているので、「高橋財政って一体いつのこと?」って頭が混乱しがちです。
この図は歴代の首相と大蔵大臣をまとめたものです。この図で示した通り、高橋財政ってのは1930年代に高橋是清が大蔵大臣を務めた時の財政政策のことを言います。井上財政の直後の話です。
※田中義一内閣のもとで金融恐慌をしずめた高橋是清の財政政策は、一般的に高橋財政とは呼ばれません!
高橋財政が行われる前の状況
では、ここからは高橋財政の中身について説明します。
んで、財政政策を行うわけですから、何かしら経済に関して問題点があるっていうことですよね。じゃあ、どんな問題があったのでしょうか?(どんな状況だったのでしょうか?)
昭和恐慌に陥っていた
- 直前の井上財政による不況
- 世界恐慌による輸出激減
の二重の打撃を受けて、日本は深刻な不況に陥っていました(これを昭和恐慌と言います)。
特に農村では困窮具合がすさまじかったようです(←いろんな農作物の価格が暴落したり、凶作になったりしたから)。貧しい家庭が自分の娘を売り渡してしまったり(娘の身売り)、貧しい家庭の子供が学校に弁当を持って行くことができなかったり(欠食児童)しました。このような事態を農業恐慌と言います。
満州事変が始まった
1931年9月から中国で軍事行動がスタートしていました(これを満州事変と言います)。
軍事費がより必要になったわけです。
高橋財政の目的・目標
高橋財政の目的・目標は大きく2つです。
- 昭和恐慌からの脱出(=経済の活性化)
- 満州事変への対応(=軍事費の増加)
どちらも、直前の井上財政の時に復帰した金本位制を維持したままだと達成しにくいです。というのも、金本位制のもとでは、紙幣をいくらでも刷れるわけではなく、紙幣量は金(ゴールド)の保有量に規定されるからです。
昭和恐慌から脱出し、満州事変に対応するためには、政府がある程度自由にお金を刷れるようにした方が良いわけです。
高橋財政の内容
そこで高橋是清は、ざっくり3つの政策を行いました。
- 金本位制から離脱してお金を自由に刷れるようにする
- 円為替相場の下落をそのままにして輸出を拡大する
- 軍事と農村救済にお金を投入しまくる
金本位制から離脱してお金を自由に刷れるようにする
1931年12月に成立した犬養毅内閣の大蔵大臣になった高橋是清は、すぐに金本位制から離脱しました(金輸出再禁止+円の金兌換停止)。
こうして日本は金(ゴールド)の保有量に関係なく政府の裁量で紙幣の発行量を管理・調整する管理通貨制度に移行しました。自由にお金を刷れるようになるので、財政政策をやりやすい状態になったわけです(→軍事と農村救済にお金を投入)。
円為替相場の下落をそのままにして輸出を拡大する
金本位制から離脱したということは、「紙幣をいつでも金(ゴールド)と交換できますよ」ってのを否定したっていうことです。
そうすると、日本円の価値は下がりますよね。金(ゴールド)の裏付けがなくなったわけなので。
例えば、この図は100円を何ドルと交換できるのか?の図です。金本位制から離脱してから、100円あたりの相場が一気に下落しています。
このように、金本位制から離脱したことによって円為替相場が下落しました(=円安になりました)。
ですが高橋是清は「これで良いんだ!」って判断しました。なぜなら、円安になれば輸出しやすくなって日本企業が儲かるからです。
円安とは
=日本円の価値が外国のお金の価値よりも安くなること
例えば、もともと「100円=49ドル」という関係だったとします(1円の価値は0.49ドルです)。
この関係が「100円=20ドル」に変わった場合、1円の価値は0.2ドルまで下がったということになります。これはつまり円の価値が安くなったことを意味するので、この状態を「円安になった」と表現します。
円安だと輸出が有利な理由
アメリカの立場で考えると、「100円=49ドル」の時は「100円の日本商品」を買うには49ドル払わなければいけませんでした。
が、「100円=20ドル」に変わって円安になった場合、「100円の日本商品」を20ドルで買えるようになるわけです(49ドルあれば「100円の日本商品」を2個買えるようになります)。
これは日本からしたら「アメリカに日本商品をたくさん買ってもらえるようになる」ということです。円安は日本にとって輸出が有利な状態と言えます。
金本位制から離脱して円安になったことによって、輸出が拡大しました。特に綿織物がよく売れたようです(中国、インド、東南アジアなどに対して)。
軍事と農村救済にお金を投入しまくる
輸出を増やすだけでなく、国内にお金をバラマキまくって経済を活性化させる政策も行いました。
国内にお金を投入できるようになったのは、金(ゴールド)の保有量に関係なく政府の裁量で紙幣の発行量を管理・調整する管理通貨制度に移行したからです。
政府は赤字国債を発行して(政府は日本銀行からお金を借りて)、国内にお金を投入しまくりました。
※赤字国債=政府が赤字をカバーするために行う借金のこと。
じゃあどこにお金を投入するのか?政府は主に軍事と農村救済にお金を投入することにしました。
軍事費の拡大
1931年9月から満州事変が始まったので、軍事費を拡大する必要があったからです。
農村救済費の拡大
農業恐慌で農村が壊滅的な状態だったので、農村を救済する必要があったからです。
(例)
- 自局匡救事業(農村で雇用機会を作るために公共土木事業を行った)
- 農村漁村経済更生運動(農民に自力更生させるために産業組合を拡大して農民を結束させた)
高橋財政の結果
昭和恐慌からの脱出
1933年頃に、世界に先がけて恐慌から脱出することができました。
重化学工業の発達
軍需を中心として重化学工業が発達しました。
新しい財閥が成長し、朝鮮や満州にも進出していきました。(日産・日窒などの新興財閥)
イギリスとの貿易摩擦
金本位制から離脱して円安になったことによって、輸出が拡大しました。特に綿織物がよく売れたようです(中国、インド、東南アジアなどに対して)。
イギリスも東南アジアなどに綿織物を売っていた国だったので、イギリスからしたら「俺の縄張りで売りまくってるんじゃねえ!イギリスが儲からないじゃねえかよ!しかも日本は円安をそのままにして安すぎる値段で売ってやがる!ふざけるな!」って感じだったようです(この対立を貿易摩擦と言います)。
※ソーシャル・ダンピング(社会的投げ売り)=国家規模で、不当に安い値段で輸出を行うこと。「日本が国を挙げて綿織物を不当に安い値段で輸出している」ことをソーシャル・ダンピングだ!と言ってイギリスが批判した。
アメリカへの経済的な依存が強まる
重化学工業の発達→くず鉄・工作機械・石油の輸入
紡績・綿織物業の発達→綿花の輸入
動画でも解説
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参考文献
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