日本史

「二つの中国」問題についてわかりやすくまとめた【日本の歴史】

 

「二つの中国」についてまとめました!

 

望岡 慶
望岡 慶
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二つの中国とは

1949年以降、中華人民共和国と中華民国(台湾)がともに「自分たちが中国(China)の正統政府だ!」って主張し合っていて、周りの国が「どっちを中国の正統政府と見なせばいいんだろう?」って悩んでしまう状態のこと。

 

 

背景・経緯

日清戦争での敗北と中国分割

日清戦争で清(中国)が敗北しました。

 

日清戦争での清の敗北を受けて、列強各国が中国での権利獲得を競った(=中国分割)

清は日本へ賠償金を支払わなければいけない

→ヨーロッパ諸国から借入れ(鉄道敷設などの利権を与えることを見返りとして)

  • ドイツ:膠州湾を租借
  • イギリス:威海衛と九竜半島を租借
  • フランス:広州湾を租借
  • 日本:福建省の不割譲を約束させる
  • ロシア:東清鉄道の敷設権、旅順・大連を租借

 

欧米の国々に進出されて清(中国)はボロボロに…。

 

中国の民衆が「ふざけんなよー!」って怒る

1900年、列強の進出に対して「扶清滅洋」を唱える宗教団体(義和団)が運動を起こす

清国政府は義和団を支持し、各国と戦うことを宣言してしまう(→北清事変)

日本を含む列国が、連合軍を派遣して北京を占領

清が降伏

 

 

辛亥革命・中華民国の成立

日清戦争で敗北した後、欧米の国々に進出されてボロボロになっていた清(中国)の国内では、「もう清を倒して新しい国を作るしかない!革命だ!」って考えていた人たちがたくさんいました。

その中の一人が孫文で、彼は日露戦争での日本の戦いぶりを見て「俺たちも頑張るぞ!」って刺激を受け、1905年に東京で中国同盟会というグループを作り、清を倒すための準備を着々と進めました

 

そんな中で1911年に武昌という場所で軍隊が反乱を起こしました。軍隊が反乱を起こしてしまうくらい、国内では清のリーダー達への不満が高まっていたっていうことです。

この軍隊の反乱がきっかけとなって、革命運動が全国に広がり、1912年に孫文が臨時大統領として中華民国の建国を宣言しました。明治維新みたいですね。

 

 

もちろん清も対策をします。清の皇帝は清の中で力を持っていた袁世凱っていう人に「孫文らの革命運動を潰せ!」って命令をしたんです。

ところが、袁世凱は「これはオレが権力を握るチャンスだな!」って思いました。袁世凱は孫文らの革命派と取引をして、「清の皇帝が退位して清が滅んだら、中華民国の大統領は孫文から袁世凱にチェンジ」っていうことに決まりました。

この結果、袁世凱は清の皇帝を退位させて、孫文に代わって中華民国大統領に就任することになりました。これが辛亥革命です。

 

 

軍閥による闘争

ところが、新たに誕生した中華民国はうまくまとまりませんでした。

うまいことやって中華民国のトップになった(←くわしい説明は省略)袁世凱っていう人が、中華民国で独裁をしようとしたけど失敗。「くっそー下手こいたー」って落ち込んだ袁世凱は1916年にそのまま病死。

各地にいた軍閥っていう武装集団が「オレが北京政府の主導権を握るぞ!!」っ争い始めた。日本の戦国時代みたいなイメージ。

 

 

中国統一の動き

そんな中で、中国の南の方では孫文っていう人が中国国民党っていうグループを作って(1919年)支配を広げていました(中心地は広東)

 

中国の北の方では軍閥たちが主導権争いをしていて、南の方では中国国民党が勢力を持っていた、っていう構図です。

 

南にいる孫文からしたら、「北にいる軍閥をぶっ潰せば中国統一が完成する!」って感じなわけです。

「中国を統一するぞ!」「列強を倒すぞ!」って決意していた孫文は、「ソ連と提携した方がうまくいくかも」って考えて、かなり主義主張の異なる中国共産党とタッグを組みます(1924年:第1次国共合作)

 

ところが孫文はガンに侵されていて、志半ばにして1925年に死んでしまいます。「革命はまだ成功していない!仲間たちよ、よろしく頼むぞ」みたいな遺言を残したそうです。

んで、孫文のあとを蒋介石っていう人が引き継いで、国民政府を樹立し、1926年7月からいよいよ北にいる軍閥をぶっ潰しに行きます。これを北伐と言います(北伐:1926年7月~1928年12月)

 

結局、1928年12月には中国東北部の満州も国民政府の支配下の土地となり、北伐が完了=中国全土の統一がほぼ達成されました。

 

 

国民政府と共産党との対立

蒋介石が中国統一に向けて動いている中で、いろいろあって(←詳細は省略)国民政府と共産党は絶縁状態になってしまいました。

再び国民政府と共産党が中国の主導権をめぐって争うようになったわけです。

 

 

抗日民族統一戦線(国民政府と共産党が連携)

しかし日本が中国の北の方(華北)への進出の動きを強めたため、

1936年12月の西安事件を機に国民政府は共産党への攻撃を中止し、「まずは一緒に日本と戦おう!」っていう雰囲気が生まれました。

 

そして1937年7月から日中戦争が始まると、1937年9月に第二次国共合作が実現することになりました(国民政府と共産党が再びタッグを組んだ)

共通の敵と一緒に戦おう!ってことです。

 

 

でも、もともと国民政府と共産党は対立しあっていたわけです。共通の敵を倒した後(日本が降伏した後)は、タッグを組む理由がなくなるわけなので、、、

 

 

国共内戦の再発

日中戦争終結にともなって、再び国民政府と共産党の対立が表面化。内戦が激化しました。

 

 

中華人民共和国の成立(共産党の勝利)

結局、共産党が勝利します。

1949年10月1日に毛沢東を主席とする中華人民共和国が成立

敗北した国民政府の蔣介石は台湾に逃れることになり、そこで中華民国政府を存続させました。

 

こうして「二つの中国」が誕生したのです。

 

 

「二つの中国」への日本の対応

サンフランシスコ講和会議では棚上げ

朝鮮戦争によってアメリカにとっての日本の戦略的な重要性が高まると、アメリカは占領への反発をさけつつ日本を西側陣営の友好国とするために「寛大な講和」の方針を決意しました。

※講和=敵対する国同士の間で行われていた戦争を終わりにして、平和を回復すること。

 

そして1951年9月からサンフランシスコ講和会議が開かれるわけですが、、、

「二つの中国」のうち、どちらを正統な中国(China)として呼ぶのかは難しい問題ですよね(←日本は中国と戦争をしていたので、”中国”と講和条約を結びたいけど)

 

んで、アメリカとイギリスが対立をします。

  • アメリカは中華民国を支持(←中華民国は資本主義の国だから)
  • イギリスは中華人民共和国を支持(←イギリスは中華人民共和国が支配している地域にたくさんの権益を持っていたから)

 

結局折り合いがつかず、「講和会議には両国とも呼ばない」という選択がなされました。

 

 

こうして”中国”との講和は棚上げにした状態で、1951年9月にサンフランシスコ平和条約への調印が行われました。

条約は1952年4月に発効。連合国による日本占領は終了し、日本は独立を回復しました。

 

 

中華民国(台湾)と公式な関係を結ぶ

サンフランシスコ講和会議で棚上げになった”中国”との講和。

日本はアメリカの意向に従い、講和の相手として中華民国を選びました。

こうして1952年に日本と中華民国との間で日華平和条約が締結されました。

 

 

日本は中華人民共和国と経済的な関係を強める

でもやっぱり中国大陸を支配している中華人民共和国は商売(ビジネス)の相手として魅力的です。

そこで日本(池田勇人内閣)は「政治的な対立と経済は切り離して考えよう!」って考えて(「政経分離」)、中華人民共和国との貿易を拡大しようとしました。

 

こうして実現したのがLT貿易です。

LT貿易

  • 日本と中華人民共和国との間での準政府間貿易。
  • 1962年、中華人民共和国の廖承志と日本の高碕達之助との間で合意がなされた。

 

※LTとは?

  • L:廖承志(りょうしょうし)
  • T:高碕達之助

 

※準政府間貿易とは?

(日本は中華民国を正統な中国と認めているので)日本と中華人民共和国との間に正式な国交はないけど、政府が関与する形で輸出・輸入をしようね!っていう貿易のこと。

 

 

中華人民共和国が合法政府に

1971 ニクソンの北京訪問計画発表

1971 中華人民共和国が国連に加盟、中華民国は国連を脱退

→中華人民共和国が国連に加盟、中華民国は国連を脱退

 

1972 ニクソンが訪中

 

1972 日中共同声明

田中角栄内閣が訪中し、日中共同声明を発表。(周恩来と)

日中共同声明

  • 日本は戦争責任を認め、反省する
  • 両国間の不正常な状態を終わらせる(「戦争状態の終結」という表現ではない)
  • 中華人民共和国を唯一の合法政府とする
  • 中国は対日請求権を放棄する

→日華平和条約は廃棄

 

 

1978 日中平和友好条約

日中平和友好条約

  • 福田赳夫内閣
  • 覇権条項をめぐって日中が揉めたため、条約調印が遅れた

 

  • 中国の要求:日本が「ソ連は覇権国家である」と認める
  • 日本の立場:それは無理!

→最終的に次の2つの文章を併記することで折り合いがついた。

「両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。」(第二条)

「この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。 」(第四条)

 

望岡 慶
望岡 慶
最後までお読みいただきありがとうございました!

 

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