日米交渉・対米開戦までの流れについてまとめました!
大まかな流れ
アメリカとの戦争が始まるまでの流れを超ざっくりまとめると、こんな感じです↓
日米関係が悪化した
↓
日本「でもアメリカとの戦争は避けたい!」
↓
日米交渉
↓
アメリカ「侵略した地域を手放せ!」
↓
日本「それは無理…もう後戻りできないんだよ」
↓
日米交渉が決裂
↓
対米開戦
1941年12月8日、日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したことにより、アメリカとの戦争が始まりました。
この流れを踏まえて、以下のことについて説明します!
- そもそも戦争とは?
- 日本とアメリカはどんなトラブルを抱えていたのか?(なぜ日米関係が悪化したのか?)
- 日本が求めているものは何だったのか?
- アメリカが求めているものは何だったのか?
「戦争をする」とはどういうことなのか?
戦争=何かをめぐって国同士が対立している時の解決手段の一つ。
国同士が対立している時は、まず対話での解決を目指すのが基本です(←対話で解決できれば、すごいコストがかかる戦争をしなくて済むので)。
ですが、話し合いで解決できそうにない場合、「武力を使って自分の目的を達成させよう(=相手に認めさせよう)!」ってなるわけです。
お母さんが子供のことをビンタする時と同じです。
じゃあ、日本とアメリカは何をめぐって対立していたのでしょうか?
アメリカとの戦争の背景(日本とアメリカは何で対立していた?)
「東アジアとその周辺の地域での主導権」をめぐって、日本とアメリカが対立していた…って理解すればOKだと思います。
まず日本の事情から。ちょっと長くてロジックが複雑に見えるかもですが、頑張って読んでください↓
日本の事情(日本が求めていたもの)
日本は「泥沼化した日中戦争を早く終わらせたい」って思っていた
…んですけど、「日中戦争を終わらせるための手段がない…!」っていう状態に陥っていました。
(理由)
- そもそも日中戦争の目的自体よくわからない(←いつの間にか全面戦争になっていた)ので、終わり方も不明確だった
- 中国が簡単には降伏しなかった(←アメリカ・イギリスの援助もあって)
そこで日本は、以下のような対応をします。
- 「日中戦争の目的は『東亜新秩序』建設にある!」と主張(日本中心に東アジアでまとまるぞ!って感じ)
- 「日中戦争に勝つためには東南アジアへの進出が必要だ!」と判断
「日中戦争に勝つためには東南アジアへの進出が必要だ!」と判断した理由
- 軍需資材の入手が困難になっていたから
- 中国(蒋介石)がアメリカ・イギリスなどから援助を受けるルートが東南アジアにあったから
アジア地域を欧米諸国の支配から解放するんだ!って感じで、日本は東アジア・東南アジアにグイグイと切り込んでいったわけです。
アメリカの事情(アメリカが求めていたもの)
一方、アメリカはアジア・北太平洋地域との自由貿易関係の維持を求めていました。
なので、「東亜新秩序」を形成しようとする日本の動き(東アジアを日本の縄張りにするぞ!的な動き)や、それに付随して行われた東南アジアへの進出が絶対に絶対に絶対に許せませんでした。
「東アジアの主導権を握るぞ!」って感じではなく、「日本に東アジアの主導権を握られるのは嫌だ!自由に商売ができる場所であり続けてほしい」って感じ。
※その他にもいろいろと事情はありますが、くわしくは省略→こちらの本をぜひ読んでください『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』
日米関係の悪化
アメリカが日米通商航海条約の廃棄を通告(1939.7)
日本の中国侵略に抗議する意味で、アメリカは通商航海条約の廃棄を通告してきた。
→1940.1 失効
日米通商航海条約
=1911年に結ばれた条約(関税自主権が回復したやつ)
※通商航海条約とは?
国家間の経済関係を規律する基本的な条約。通常この条約は、相手国民の待遇(入国・居住の自由、生命・身体・財産の保護、経済活動の自由など)、相手国商品・商船の取扱い、経済的紛争の解決手続などを規定し、国家間の経済活動の安定に役だっている。
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
お互いに貿易をスムーズに問題なくできるようにしようね!っていう条約。
フランス降伏(1940.6)で息巻く日本軍
ヒトラーひきいるドイツは、1939年にソ連と独ソ不可侵条約を結び、9月にポーランドに侵攻。1940年6月にはパリを占領してフランスを降伏させた。
ヨーロッパでドイツが圧倒的に優勢になると、日本では陸軍を中心に「ドイツとの結びつきを強め、オランダ・フランス・イギリスの植民地がある東南アジアに進出しよう(南進)」という主張が高まった。
日独伊三国同盟(1940.9)
アメリカを仮想敵国とする軍事同盟
→アメリカは強く反発
北部仏印進駐(1940.9)
フランス領インドシナの北部地域を軍事占領
しかし、、、
- 援蒋ルートは遮断できず
- 資源を十分に確保できず
アメリカはくず鉄などの禁輸措置をとる
日本の北部仏印進駐・日独伊三国同盟締結と前後して、アメリカは日本への経済制裁を本格化させた。
※日本はくず鉄の輸入をアメリカに依存していた。
日米交渉とその間の出来事
このように日本とアメリカは対立し、関係が悪化していったわけですが、、、
日本もアメリカも戦争を望んでいたわけではありません。
さっきも言った通り、トラブルがあったとしても(=求めているもの同士で衝突があったとしても)、対話で解決できればコストがかかる戦争をしなくて済むからです。トラブル→即、戦争!ってわけじゃありません。
※人間関係(友人との関係、恋愛関係、夫婦関係などなど)でも、トラブった時にいきなり相手をぶん殴る人はそうそういないですよね(もしいるとしたら、そいつは”アブナイヤツ”、”関わっちゃいけないヤツ”認定されているはずです)。
というわけで、日本とアメリカは交渉をします。対話でトラブルを解決しようとするわけです。これが日米交渉です。
※戦争を始める前に相手国と交渉することで、戦争目的(自分達の大義名分と、相手がどれだけ不当なのか)を対外的に示すことができる…という側面もある。
日米交渉(1941.4〜1941.12)
近衛文麿内閣は、アメリカとの戦争をさけるため1941年4月から日米交渉を始めた。
日ソ中立条約(1941.4)
日米交渉スタートと同じ時期に、松岡洋右外相がモスクワで日ソ中立条約を結んだ。
日ソ中立条約
- 中立友好と領土保全・不可侵を規定(有効期間5年)
(目的)
- 南進(東南アジアへの進出)をするにあたり、北方からの軍事的脅威を弱めようとした
- 悪化した日米関係をソ連の力を借りて調整しようとした
独ソ戦争スタート(1941.6)
ドイツが独ソ不可侵条約を破り、突如ソ連に侵攻した。
↓
第二次近衛文麿内閣と軍部は、昭和天皇臨席のもとで会議を開き、以下の内容を決定(御前会議)
- アメリカ・イギリスとの戦争を覚悟の上で、南進を継続する!
- 情勢が有利な場合はソ連と戦争する!(北進)
松岡洋右外相を外すため第二次近衛内閣総辞職(1941.7)
対米強硬派の松岡洋右外相は「アメリカとの交渉は打ち切れえええ!」って主張していて厄介な存在だったので、彼を外すために内閣総辞職
↓
第三次近衛文麿内閣成立
内閣はなんだかんだでアメリカとの衝突は避けたかったということです。松岡洋右を外すことでアメリカに好印象を与えることもできます。
南部仏印進駐(1941.7)
南部仏印進駐を日本軍が実行し、飛行場や港湾を占領した。
アメリカは在米日本資産を凍結&対日石油輸出を禁止
南部仏印進駐に怒ったアメリカは、経済制裁をさらに強化。
※日本からしたら石油がないと困る!むっちゃヤバイ!
このアメリカの動きにイギリスやオランダ領東インドが追随した。
↓
日本国内で、軍部や新聞が「これは不当な経済封鎖だ!ABCD包囲陣だ!」とアピールして国民の危機感を煽った。
軍部は特に「日本を経済的に封鎖するABCD包囲陣を打ち破るには戦争以外に道はない!」と主張した。
- A:アメリカ(America)
- B:イギリス(Britain)
- C:中国(China)
- D:オランダ(Dutch)
日米交渉の期限を10月上旬に定める(1941.9)
9月6日の御前会議で、日米交渉の期限を10月上旬とした。
→交渉が成功しなかったら、対米開戦踏み切る!(=帝国国策遂行要領)
しかし、お互いに妥協点が見出せないまま10月半に…
東條英機内閣が成立(1941.10)
9月6日の御前会議決定の白紙還元を条件に、東條英機内閣が成立。
日米交渉を継続したが、、、
ハル=ノートで絶望(1941.11)
11月26日、アメリカが「満州事変以前の状態への復帰」を日本に求めた(この提案をハル=ノートという)。
- 中国・仏印からの全面的無条件撤退
- 満洲国・汪兆銘政権の否認
- 日独伊三国同盟の実質的廃棄
この要求を日本は飲めなかった。
どうしても「満州事変以前の状態への復帰」を認めるわけにはいかなかった。
日本は後戻りできなかったんです。
日米交渉は不成功と判断(1941.12)
12月1日の御前会議で、日米交渉は失敗と判断し、アメリカ・イギリスに対する戦争に踏み切ることを決定した。
※アメリカと戦争をするのも地獄だけど、「満州事変以前の状態への復帰」を認めて後戻りするのも地獄だった。
奇襲攻撃により太平洋戦争スタート(1941.12)
太平洋戦争の経過についてはこちらの記事で!
日本が「満州事変以前の状態への復帰」をできなかった理由
もう満州を手放すことはできなかった
日本にとって満州は、市場や資源供給地、恐慌後の移民受け入れ先として重要だった
歯車を動かし始めるのが大変なのはもちろん、一度動いた歯車を止めるのも同じように(もしかするとそれ以上に)大変なんです。
関連:満蒙の危機とは?
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