日本史

日中戦争についてわかりやすくまとめた【日本の歴史】

 

日中戦争についてまとめました!

 

望岡 慶
望岡 慶
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「戦争をする」とはどういうことなのか?

戦争=何かをめぐって国同士が対立している時の解決手段の一つ。

 

国同士が対立している時は、まず対話での解決を目指すのが基本です(←対話で解決できれば、すごいコストがかかる戦争をしなくて済むので)

ですが、話し合いで解決できそうにない場合、「武力を使って自分の目的を達成させよう(=相手に認めさせよう)!」ってなるわけです。

お母さんが子供のことをビンタする時と同じです。

 

じゃあ、日本と中国は何をめぐって対立していたのでしょうか?

 

 

日中戦争

背景(日本と中国は何で対立していた?)

「華北の支配権」をめぐって、日本と中国が対立していた…って理解すればOKだと思います。

 

まず日本の事情から。

 

華北の北を軍事占領

満州事変(1931〜33)後の状況

  • 関東軍が満州と熱河省(北京の北にある省)を軍事占領
  • ただし、北京と熱河省の間に位置する河北省東部(冀東地区)に非武装地帯が設定されていた ※そうしないと日本軍と中国軍が衝突してしまう恐れがあるので

 

 

華北を中国国民政府の支配から切り離そうとした

関東軍は華北5省を中国国民政府の支配から切り離し、日本の影響下に置こうとしました。

※華北5省=北京を取り巻く地域(河北省・察哈爾省・綏遠省・山西省・山東省)

 

華北分離工作(1935〜)

非武装地帯である冀東地区内に関東軍が傀儡政権を樹立(冀東防共自治政府)

つまり、日本がじわじわと南の方に勢力を拡大している途中っていうことです。

 

関東軍だけでなく、日本政府(広田内閣)も「華北を日本の影響下に置こう!」っていう方針を明確にします。

 

 

じゃあなぜ日本は華北を自らの影響下に置こうとしたのでしょうか?

 

 

華北を分離したかった理由

①華北が満州で抗日運動を展開する中国共産党ゲリラの根拠地だったから

※満州に移り住んだ満蒙開拓移民団は、地元中国人が耕作していた土地を強制的に買収したりして、反感を買っていた

 

→華北を支配下に置くことで、満州の安全を確保したい!

 

②華北という新しい市場を確保したかったから

世界恐慌の中で自由貿易システムが機能不全に陥りつつあったことを背景に、次の2つの点で日本は苦しい状況に追い込まれていた。

市場拡大ができない(モノが売れない)

(理由)

  • イギリスはブロック経済に移行していた(日本がイギリス植民地に綿織物などの輸出を拡大させたことに対して、関税率の引き上げなどの措置をとった)
  • 中国で日貨排斥運動が起きていた

外貨が不足していた

  • 輸出不振の影響で外貨を獲得できず、くず鉄・工作機械などの輸入に支障が出ていた。

 

華北でモノを売りたい!

 

③華北は鉄・綿花などの資源が豊富な地域だったから

鉄→重化学工業の発達に不可欠

綿花→紡績・綿織物業の発達に不可欠

日本では1937年に重化学工業の生産額が軽工業の生産額を上回るほど重化学工業が発達していた。

※満州国でも重工業建設が進みつつあった(例:鮎川義介の日産が1937年に本社を満州国に移転)

 

→なんとしても鉄などの資源を獲得したい!

※日本は鉄・綿花ともにアメリカに強く依存していた。

 

 

中国は日本への抗戦をする準備を整えた

このように日本は華北へと進出してくる動きを見せていたわけですが、、、

 

中国国内では中国国民政府と中国共産党が争っている状況。

中国国民政府の蒋介石は日本との対決よりも中国共産党との対決を優先させていました(だからこそ、満州事変の際に塘沽停戦協定を結んでバトルを終わらせた)

 

しかし、1936年12月の西安事件を機に国民政府は共産党への攻撃を中止し、「まずは一緒に日本と戦おう!」っていう雰囲気が生まれました。

日本への抗戦をする準備が整ったわけです。

 

 

そんな状況で、いよいよ日本と中国が衝突します。

 

 

盧溝橋事件(1937.7.7)でスタート

1937年7月7日の夜から翌日8日早朝にかけて、北京郊外の盧溝橋付近で日本軍と中国軍が衝突する事件が起きました。

※日本軍に対し何者かが発砲したことをきっかけに日本軍が軍事行動を開始。誰が発砲したのか?は不明(日本軍の自作自演?中国軍の発砲?)

 

 

7月11日に現地で停戦協定が成立したが、、、

 

陸軍内部や政府内部の強硬派の意見に押されて、近衛文麿内閣は華北への軍隊派遣を決定することに。

こうして日中戦争がスタートしました。

※盧溝橋事件は突発的な事件だったが、これが日中戦争につながった背景には日中対立があった…って理解することが大事だと思います。

 

 

お互いに宣戦布告せず

日本政府は中国に対して宣戦布告せず、日本政府はこの戦闘を「北支事変」(のち支那事変)と呼んでいました。

※宣戦布告=「○○国と戦争します!」って宣言すること

※事変=非常事態・騒乱。戦争布告なしの戦争状態に用いられる。

 

宣戦布告しなかった理由

宣戦布告すると「戦争」状態になり、アメリカの中立法が発動して経済制裁を受けることになってしまうから。

※中立法=1935年にアメリカで制定された法律。大統領が戦争状態にある国が存在していること、または内乱状態にある国が存在していることを宣言した場合には、その国に対して武器や軍需物資の輸出を禁じるというものである。(引用:Wikipediayより

 

※実質的には戦争に他ならないですし、1941年に太平洋戦争が始まった際に宣戦布告が行われたので、今では「日中戦争」と呼ばれています。

 

 

中国国民政府による徹底抗戦

日本軍のトップは最初は「すぐに中国が降伏するっしょ」って考えていました。

ところが、中国は徹底抗戦。日本は想定以上の苦戦を強いられてしまうことに…。

中国の徹底抗戦

1937年9月、中国国民政府と中国共産党の間で第二次国共合作が実現して抗日民族統一戦線が成立。

 

 

日本は戦争終結を模索したがうまくいかず…

盧溝橋事件により思わぬ形で戦争が始まってしまったわけですが、、、

日本はどうやって戦争を終わらせようとしていたのでしょうか?

 

 

そもそも目的が不明確

まず、そもそも戦争目的が不明確でした。なんのために戦争をしているのか?がよくわからない状況。

これはつまり、何が達成されれば戦争が終わるのか?も不明確ということです。

※誰かと殴り合いの喧嘩する時に「なんで喧嘩をしているのか?」「相手がどんな要求を飲めば殴るのをやめるのか?」が明確じゃなかったら、殴り合いはいつまでも続きますよね。どちらかが疲れるまで。

※1938年末になって、日本はようやく「日中戦争の目的は東亜新秩序の建設にあります!」って宣言しました(後述)

 

 

攻撃によって降伏させようとしたが失敗

戦争目的が不明確なまま、日本は攻撃によって中国を降伏させようとしました

そして1937年12月には日本軍は中国の首都南京を占領するまでに至りました。

※南京虐殺事件についてはWikipediaで

 

ところが、ここで日本がやらかしてしまいます。

最初からやらかしているとも言えるけど

 

 

和平の機会を自ら断ち切る

日本(近衛内閣)は戦闘とともに、ドイツを仲介として中国との和平交渉を進めていて、和平が実現しそうになっていたのですが、

南京攻略の戦況などを背景に、日本は中国に対する要求を増やしてしまいます。

 

蒋介石率いる中国国民政府(当時の中国代表と考えられていた相手)はこれに難色を示した。

その結果、近衛内閣は和平交渉を打ち切ってしまったんです。

 

 

さらに!

1938年1月、近衛内閣は「国民政府を対手(あいて)とせず」と言ってしまいます(第1次近衛声明)

これはつまり、「もう国民政府はダメだわ。あいつらを相手にするのは無理。国民政府を中国代表と見なすのは無理っす。」ってこと。

日本政府が自ら中国国民政府との話し合い(=和平実現の可能性)を放棄してしまったわけです。

 

 

中国国民政府は重慶に移動して徹底抗戦を続けます。もはや戦争終結の気配なしです。

 

そのような状況で、日本はどんな戦略を取ったのでしょうか?

 

 

傀儡政権樹立により内部から崩壊させようとする

今度は中国内部から崩壊させることを目指しました。

 

1938年11月、近衛内閣は「日中戦争の目的は東亜新秩序の建設にあります!」って宣言します(第2次近衛声明)

東亜新秩序

日本が中心となって、満州・中国の協力をもとに東アジアに新秩序を建設しよう!(アメリカやイギリスとの協調にもとづく東アジアの国際秩序じゃなくて、自分たちでニューワールドを作ろうぜ!)

 

こうやって宣言することにより、中国国民政府から同調者が出ることを期待したわけです。

 

この声明に応じて、国民政府の中心人物である汪兆銘を重慶から脱出させて、

1940年3月には各地の傀儡政権を統合して南京に汪兆銘を主席とする新しい国民政府(南京政府)を樹立させました。

新しい中国政府を誕生させることで、和平交渉の相手を確保し戦争終結を目指したってこと。

 

 

泥沼化・長期化

しかし、蒋介石が率いる重慶の国民政府はアメリカ・イギリス・ソ連などの援助を受けて、日本に対する徹底抗戦を続けました。

※蒋介石はフランス領インドシナやイギリス領ビルマなどの東南アジア経由で軍需物資の支援を受けていた(援蒋ルート)。

 

 

日本はなかなか日中戦争終結の手がかりを見つけることができず、、、

 

 

南方に進出して日中戦争打開を目指す

とうとう「東南アジアに進出するぞ!」と決意してしまいます。

「日中戦争に勝つためには東南アジアへの進出が必要だ!」と判断した理由

  • 軍需資材の入手が困難になっていたから
  • 中国(蒋介石)がアメリカ・イギリスなどから援助を受けるルートが東南アジアにあったから

 

東南アジアに進出することで、援蒋ルートの遮断と石油などの資源獲得を目指したわけです。

軍需資材の入手が困難になっていた理由

日本の中国侵略に抗議する意味で、アメリカが通商航海条約の廃棄を通告(1939.7)

→1940.1 失効

※アメリカはアジア・北太平洋地域との自由貿易関係の維持を求めていた。

 

 

対米開戦を招いてしまった

日本の南方進出に対してアメリカはとうとう本気でブチギレます。

そして日米交渉の甲斐なく、日本は対米開戦へと突き進むことになってしまったのです。

 

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望岡 慶
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