国際通貨体制の歴史をざっくりまとめました!
【1945年〜1971年】ブレトン・ウッズ体制
第二次世界大戦前のブロック経済の反省
→自由貿易と貿易拡大を目指すぞ!
↓
1944年、44カ国がアメリカ合衆国ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで会合
→自由貿易の促進と国際通貨を安定させるための協定に調印
ブレトン・ウッズ体制
- 金と交換できる米ドルを基軸通貨とする(金1オンス=35ドル)
- 各国通貨と米ドルを結びつける
- 固定相場にするため上下1%までの変動は認める
- 1%以内の相場の維持を義務付ける
- 範囲外になりそうな場合は各国の中央銀行が外国為替市場に介入する
※1オンス=約28.35グラム
※米ドルを金(ゴールド)と交換できるようにすることで、「貨幣に価値がある!」ってみんなが思うようになる → 各国通貨を米ドルと交換できるようにすることで、各国通貨の価値も担保する。
米ドルのみが金本位である理由
- アメリカは莫大な金を保有していた
- アメリカの経済力は巨大だった
【1945年~1950年代中頃】ドル不足の時代
各国はドル不足に陥った
(理由)戦後復興でアメリカから資材を輸入したため
↓
アメリカはドルを大量に発行した
【1950年代中頃~1960年代前半】ドル流出の時代
アメリカからドルが大量に流出
(理由)
- 対米輸出が拡大(←各国経済の戦後復興が一段落し対米貿易収支が赤字から脱却した & アメリカで消費が拡大した)
- アメリカ資本が大量に外国に流出
↓
1960年にアメリカから流出したドルの累積高がアメリカ政府保有の金準備を上回った
さらにさらに、、、
↓
「アメリカのドル、やばいのでは?」っていうドル不安が広がり、各国は余ったドルを金と交換
=アメリカから大量の金が海外に流出
【1960年代初め~1971年】ドル危機の時代
いよいよ金・ドルの交換性が危うくなる
↓
各国はさまざまなドル防衛策を行ったけど、、、
↓
1971年8月にニクソン大統領が新経済政策を発表した(ニクソン・ショック or ドル・ショック)
- 金とドルの交換停止
- 10%の輸入課徴金
- 90日間の賃金・物価の凍結(→その期間に各国といろいろ調整する)
- 大幅な為替レートの切上げを要求
こうして、金本位制が崩壊&固定相場制が崩壊…!
↓
ドル・ショック後、各国は変動相場制に移行
↓
しかし長年の固定相場制に慣れていたため、貿易が停滞
【1971年12月~1978年4月】スミソニアン体制
そこで1971年12月、ワシントンのスミソニアン博物館で開かれた10カ国蔵相会議で、再び固定相場制へ移行することが合意された
スミソニアン体制
- 米ドル為替平価を切り下げ(金1オンス=38ドル)
- 円為替平価を切り上げ(1ドル=308円:16.88%の円高)
- 他国通貨も切り上げ
- 固定相場の変動幅を上下2.25%に拡大
↓
固定相場を維持する努力をしたが、ドル流出は続いた
↓
1973年に日本、EC諸国が次々と変動相場制へと移行(=固定相場制が再び崩壊)
【1978年4月~】キングストン体制
1976年、ジャマイカの首都キングストンで開かれたIMF暫定委員会でIMF協定の改正案が合意された
キングストン合意
- 変動相場制
日本史の記事・動画一覧はこちら
参考文献
関連:高校日本史Bの参考書・問題集を東大卒元教員が紹介【大学受験にもおすすめ】
通信教育
学習漫画・参考書
社会科チャンネル
社会科(歴史・地理・公民・政治経済)の内容について、本質的な部分をわかりやすく解説するチャンネルです。