世界の歴史

ベトナムの歴史をざっくりわかりやすくまとめた【世界の歴史】

ベトナムの歴史をざっくりまとめました!

ベトナムの歴史の全体像

以下の5つの時期

  • 北部・中部・南部に分かれていた時期
  • 全土が統一された時期
  • フランス植民地時代
  • インドシナ戦争・ベトナム戦争の時期
  • ベトナム社会主義共和国の時代

に分けてざっくり説明すると、こんな感じです↓

年号時期区分ポイント
〜1802北部・中部・南部に分かれていた時期中国からの圧力に苦しんだ
1802〜1885全土が統一された時期なぜ中国の圧力から脱却できた?
1885〜1945フランス植民地時代数々の抵抗運動が行われた
1946〜1975インドシナ戦争・ベトナム戦争の時期なぜフランスとアメリカは独立を認めなかった?
1976〜ベトナム社会主義共和国の時代ベトナム共産党による支配の正当性は?

ベトナムの歴史を理解するためのポイント

ベトナムの地形

現在、中国との国境となっている地域(北東の方角)には大きな自然障壁がない(←大山脈がない)

→紅河デルタを中心とする北部地域は中国の影響(圧力)を受けやすかった

ベトナムとラオスの間には大山脈がある

→西方向の防御は固い

中部には山脈が広がる

→独自の社会集団が形成されやすかった

※チャンパー

ベトナムとカンボジアの間には大山脈がない

→タイ、カンボジア、ホーチミン付近は一体的に支配されやすかった

※カンボジア(アンコール朝)

ベトナムの位置

中国とインド洋を往来する時、中継したくなる場所にある

→インド、ムスリム商人の影響を受けた

※ただ、位置的にハノイ付近はわざわざ中継する必要がない(中部の港、南部の港を中継する:ホイアンなど)

ベトナムの歴史

現在のベトナムを北部・中部・南部に分けて考える

北部がベトナム史の中心

3つに分かれていた時代

北部(紅河デルタ地域)

東南アジア初期の金属器文化が発達(ドンソン文化)

※中国の影響

始皇帝の時代、広東に派遣された軍人が秦末の混乱期に自立し、南越国をたてた

漢の武帝の遠征により南越が滅びた(=ベトナム北部までが漢の領土になった)

中国に服属(北属期:約1,000年)

唐末の混乱を機に中国から独立(大越国:李朝→陳朝→胡朝→黎朝)

  • 中国からの脅威に対処するために、国家体制を中国化(中国に学ぶ)
  • 中部のチャンパーと対立
  • 途中、モンゴルに侵攻されたが陳朝はなんとか退けた

どんどん南に勢力を拡大(中部→南部を吸収)

中部

チャンパー王国が長期にわたって勢力を保持(2〜17世紀)

(理由)たぶん山脈が広がっていて侵攻されにくかったから

  • インド洋から南シナ海を結ぶ海上交易に携わる
  • インドの影響を強く受ける

北部の勢力と対立

どんどん勢力が縮小(北部に吸収される)

南部(メコン川下流域)

扶南という国が成立(1〜7世紀)

カンボジアに滅ぼされる(→カンボジアと合体)

17世紀以降、ベトナム北部からの南進により吸収される

ベトナム全土が統一される

ベトナム北部からの南進によりベトナムが3つの勢力に分かれていた時代は終わったが、今度は政治勢力が南北に分裂することになった

南部政権の支配地域では圧政が行われる

1771年、圧政に苦しむ農民が蜂起(西山の乱)

南北両政権が倒され、ベトナム全土の統一が図られた(西山政権)

阮福映という人が西山政権を倒して1802年に全土を統一(阮朝)

  • 現在のベトナムとほぼ同じ領域を支配
  • 清に朝貢(清の冊封体制に入る)
  • 清の制度を取り入れる(科挙試験など)

フランスによる侵略

1858年、カトリック教徒への迫害を理由にフランスがベトナムに軍事介入

  • 1867 南部地域を奪う

→劉永福が組織した黒旗軍は、ベトナム北部に根拠をおいて抵抗

→フランスはそれを口実に北部に進出

→1883 ユエ条約:フランスは北部と中部を支配

清仏戦争が起きる

清はベトナムへの宗主権を主張してベトナムに派兵(1884〜85 清仏戦争)

→1885 天神条約:中国はベトナムに対する宗主権を放棄(フランスの植民地に)

フランス領インドシナ連邦としてフランスの植民地に

1887 ベトナムはカンボジアとともにフランス領インドシナ連邦として支配される(1899 ラオス編入)

  • インドシナの中に国境はない
  • フランスは土着民教育を積極的に行った
  • フランス本国への奉仕のために経済構造を再編
北部・中部・ラオス・カンボジア鉱山開発、コーヒーやゴムのプランテーション
南部輸出米の生産

※ベトナム南部のメコンデルタは世界三大米輸出地になった(チャオプラヤーデルタ、イラワジデルタ、メコンデルタ)

フランスからの独立を模索

どのような段階を経てステップアップしていったのか?

ファン=ボイ=チャウ

反仏独立運動の指導者の一人

日本に留学生を送る東遊(ドンズー)運動を行い、人材育成に励んだ

→日本とフランスの弾圧にあって国外退去

→中国の国民党の助力を得て運動を継続

第一次世界大戦中

ホー=チ=ミン

ホー・チ・ミン(1890〜1969)

1911 船の見習いコックとしてフランスに出発

1920 フランス社会党の機関誌にレーニンの論文が掲載され、ホー・チ・ミンが感銘を受ける

  • ホー・チ・ミンはグエン・アイ・クォックという名前でフランスで生活活動を行う
  • 1920 ホー・チ・ミンはフランス共産党の結成に参加

1925 ホー=チ=ミンがベトナム青年革命同志会を結成

→1930 それを母体にベトナム共産党が成立(@香港)

→1941 ベトナム独立同盟会(ベトミン)を組織

※マルクス主義者たちが1930年代以降の民族運動の主導的役割を担った

太平洋戦争に突入

1939 第二次世界大戦が勃発

1940 ドイツがパリを占領

→フランスでドイツ寄りの政権が誕生したことによりベトナムの情勢は急展開を迎える

終戦直後に独立を宣言するもフランスは認めず

1945 日本の敗戦を機に八月革命が成功(ベトナム民主共和国の独立を宣言)

  • フランスは認めず
  • 国際社会から承認されず
  • 連合国は日本軍の武装解除のため、北緯16度線を境として北部に中国国民党軍、南部にイギリス軍を進駐させた

インドシナ戦争

1946 北部にフランスが復帰→ベトミン勢力の抵抗にあう

→インドシナ戦争(1946〜54)

1949.7 フランスは阮朝最後の王バオダイをたててベトナム国を発足させる(フランス連合内の一国として)

カンボジア、ラオスはどうなった…?

1949.10 中華人民共和国の成立

1950 中華人民共和国・ソ連がベトミン政府を承認

1954 ディエンビエンフーでフランスが大敗

→1954 ジュネーヴ休戦協定

  • 北緯17度戦を暫定的軍事境界線として南北に分割
  • ベトミン軍は南ベトナムから、フランス軍は北ベトナムから撤退
  • 2年後の南北統一選挙を約束

ベトナムで統一国家が誕生するはずだったが、しかし、、、、

アメリカの介入

アメリカ合衆国はジュネーヴ休戦協定の調印を拒否

→1955 南部にゴ=ディン=ジエム政権を樹立(ベトナム共和国)

(理由)共産主義勢力拡大を阻止するため

ベトナム戦争

1959〜 ホーチミン・ルート(ラオス領・カンボジア領経由で北から南に兵員や物資を輸送する道路)

1960 南ベトナム解放民族戦線が結成される

→ベトナム民主共和国と連携してゲリラ戦

→1963 ジエム政権がクーデタによって倒される

※南の共和国は国内に政治的主張の異なる集団や反対勢力を抱えていた

→アメリカのケネディ政権は軍事援助

→1965 ジョンソン政権が北ベトナムへの爆撃(北爆)

ベトナム戦争泥沼化

1968 大統領選挙で当選した共和党のニクソン大統領がベトナム戦争終結を模索

1973 ベトナム和平協定(パリ協定)

→ニクソン大統領はアメリカ軍の南ベトナムからの撤退を実現させた

ベトナム社会主義共和国の成立

パリ協定では平和的な南北ベトナム統一が想定されていたが、、、

1975 北ベトナム軍と解放戦線はサイゴンを占領(←協定違反)

1976 南北統一(ベトナム社会主義共和国の成立)

カンボジア・ベトナム戦争

1978 ベトナムがカンボジアに軍を派遣(反ポルポト派を支援)

  • 国際的な非難を受ける
  • 国際社会から孤立

中越戦争

1979 中国軍がベトナム国境付近を攻撃

(理由)中国はカンボジアを支援していたのに、そのカンボジアにベトナムが侵攻したから

ドイモイ

1986〜 市場経済化と対外開放政策を推進(ドイモイ)

ドイモイ以前

  • 土地、資本などの生産要素は国有化、集団化されていた
  • 国営部門、集団部門以外の企業を自由に設立することはできない

1980年代半ばに行き詰まる

(理由)

  • 農業生産の停滞による食糧不足
  • アメリカの経済封鎖(←カンボジア・ベトナム戦争)
  • ソ連・東欧諸国からの経済援助の激減(←カンボジア・ベトナム戦争)

ドイモイ

  • 価格における市場メカニズムの導入
  • 個別農家の経営権、耕地使用権が保障された
  • 国有企業に対する補助金の削減・廃止

国際社会への復帰

1989 カンボジアから撤退(カンボジア・ベトナム戦争の終結)

現代

参考文献

おすすめの学習教材
モチオカ

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