日本史

戦時体制(日中戦争・太平洋戦争)についてわかりやすくまとめた【日本の歴史】

 

日中戦争・太平洋戦争の時の戦時体制についてまとめました!

 

望岡 慶
望岡 慶
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戦争を実行するためのシステムとは?

具体的な内容・細かい内容について学ぶ前に、、、

戦争を実行するためのシステム(戦時体制)

限られた資源をどのように配分するか?に関する戦略

って捉えるのがわかりやすいんじゃないかなって思います。

 

いざ戦争をするってなったら、いろんなものが必要ですよね。

  • お金(予算)
  • 時間(議論・検討・意思決定のための時間)
  • 軍需品
  • 食糧
  • 人材(兵士・労働者)

などなど。

 

で、これらはあればあるほどいい。

  • 無限に兵士がいるなら無限に兵士を戦地に送り込めます。
  • 無限にお金があるなら必要なものを買いまくることができます。
  • 無限に鉄と石油があれば、飛行機を飛ばしまくることだってできるでしょう。

 

でもそんなことはありません。これらのもの(資源)が「十分に足りている」ことはない。基本的に「必要なもの」は足らないわけです。

 

なので、これらの限られた資源をどこにどれだけ投入するか?(=どうやって配分するか?)を考えなければいけません

これこそが「戦略」です。

 

 

んで、戦時体制っていうのはその戦略が反映されたものに他ならないわけです。

 

ということで、

戦争を実行するためのシステム(戦時体制)

限られた資源をどのように配分するか?に関する戦略

っていう捉え方で、戦時体制についてまとめたいと思います!

 

 

戦時体制

お金に関するシステム

巨額の軍事予算

政府は軍需産業に資金や輸入資材を集中的に割り当てることにした。

 

 

時間に関するシステム

国家総動員法(1938)

戦争のためなら、政府は物資や人々を議会の承認なしに自由に動かせるようになった。

※国家総動員法によって軍需物資を優先させたため、生活に必要な品物が不足し、代用物でまかなわれるようになった。

 

 

大政翼賛会(1940〜)

1940年には、ほとんどの政党や政治団体が解散して大政翼賛会という組織にまとめられた。

大政翼賛会

当初はナチスのような一国一党的政治組織を作るつもりだった。

しかし実際には一国一党的政治組織にはならず、上意下達のための官僚行政の補助組織にとどまった

  • 産業報国会・大日本婦人会・町内会・隣組などの諸団体を傘下に収めた
  • 政府の意思を国民に伝える役割を果たした

※隣組:近所の10軒前後が集まって作られた

 

このようにして議会制度は形骸化した。

 

 

翼賛選挙(1942)

1942年4月、東条内閣が衆議院議員総選挙を実施した。

翼賛選挙

  • 自由に立候補することはできたが、、、
  • 政府系の団体がたくさんの候補者を推薦した
  • その結果、当選者の80%以上が推薦候補だった

つまり、政府の後ろ盾がないと衆議院議員にはなれなかったということ。

 

こうして、国の予算や法律の成立への関与を通して政府(内閣)に対抗できるはずの議会が、内閣の政策を支持するだけの機関になってしまった(議会が骨抜きになった)

 

 

軍需品に関するシステム

軍需品を優先的に生産

企画院が物資動員計画を作成し、軍需品が優先的に生産されることになった。

 

※徐々に製品の品質が低下した

(理由)

  • 原材料の品質低下
  • 工作機械の輸入途絶
  • 大量生産の経験不足

 

 

民需品に関するシステム

不要不急の民需品の生産を制限

民需品の生産・輸入・消費は厳しく制限された。

 

その結果、生活必需品が不足したため、混乱を回避するための政策が実行された。

 

 

価格等統制令(1939)

1939年9月18日に価格を据えおいて値上げを禁止した。

(理由)生活必需品の不足により値上げがこれ以上に進むと、国民生活がますます混乱してしまうから。

 

 

スローガン

「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」

国民が必要以上にモノを求めないように、政府は国民の精神面にアプローチした。需要を下げるための政策。

 

 

七・七禁令(1940)

ぜいたく品の製造・販売を制限した。

※1940年7月7日から実施された。

 

 

切符制(1938〜)

物資を手に入れるためには切符と交換しなければいけなくなった。

※モノが足りていない中で、国民にうまく配分するための政策。

  • 1938年の綿糸の切符制が最初
  • 1940年からはマッチ・砂糖の切符制がスタート
  • その後、すべての日用品へ拡大

 

 

代用品・代用食

米の代用品として芋・小麦粉を積極的に用いるようになった。

 

 

食糧に関するシステム

米の供出制(1940〜)

農村で政府による米の強制的買い上げ制度が実施された。

※小作料の制限、生産者米価の優遇が行われて食糧増産が奨励されたが、労働力・肥料・生産資材などの不足によって食糧生産は1939年から低下した。

 

 

米の配給制(1941〜)

米の需要をコントロールすることで、米不足と米価暴騰を抑制する。

 

 

食糧管理制度(1942〜)

米・麦などの主要食糧の生産・流通・消費を政府が統制・管理する制度

  • 政府が生産者から買い取る米価を決める
  • 政府が消費者に売り渡す販売米価を決める

 

どういうことかというと、、、

 

みんなが「米がほしい!」って思っても(←需要)、その需要に見合う量の米がなかったら(←供給)米の値段は爆上がりしてしまい、米を買えなくなる人が続出してしまいますよね(→餓死)

そこで政府は

  • 農家に米をたくさん生産してもらおう!(←「米は政府が高めの価格で買い取るよ!」って言うことによって)
  • 米の販売値段は政府が決めよう!(←値段が高くなりすぎないようにする)
  • 米の流通は政府が全部管理しよう!(←米を買えなくなる人が出ないように)

って考えた。これが食糧管理制度です。

つまり自由な生産・販売にもとづく市場経済を完全に否定したっていうことです。独占価格が成立。

※食糧管理制度に関する会計(お金の出し入れ)のことを食糧管理特別会計(食管会計)という。買取価格の方が販売価格よりも高いので(高く買って安く売るってことをしていたので)、食管会計は赤字

※政府が絡むルート以外で(=闇市で)流通した米は「ヤミ米」と呼ばれました。違法な米。

 

 

人材に関するシステム

国民徴用令(1939)

国民を強制的に軍需物資の生産に充てることができるようになった。

※白紙召集(国民徴用令による召集は白紙によって行われた←徴兵は赤紙)

 

 

国民精神総動員運動(1937〜)

日中戦争スタートがきっかけ

消費節約・貯蓄奨励・勤労奉仕・生活改善などのスローガンがメディアを通して提唱された

制限・禁止・廃止

  • 男子学生の長髪
  • 女性のパーマ
  • ネオンサイン
  • ダンスホール
  • ぜいたく品の製造・販売

 

奨励

  • 国民服・戦闘帽の着用(男性)
  • モンペの着用(女性)

 

 

産業報国会(1938)

労資一体で国策に協力するために、各職場ごとに産業報国会が組織された(労働組合が産業報国会に改組された)。

 

 

内閣情報局(1940)

戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を行った。

 

 

国民学校

1941年、小学校は国民学校に改められて「忠君愛国」の軍国主義的な教育が行われるようになった。

 

 

学徒出陣(1943〜)

兵力不足をおぎなうために大学生も徴兵された。

文科系学生の徴兵猶予が廃止された。

 

 

学徒勤労動員

中学校以上の学生・生徒が軍需工場に動員された。

(理由)たくさんの労働者が徴兵されたため、労働力不足が深刻化していたから。

 

 

女子挺身隊

男性の労働力不足を補うために、女性を工場などでの労働に従事させた。

 

 

鉄血勤皇隊・ひめゆり隊(沖縄戦)

鉄血勤皇隊

沖縄の男子中等学校の生徒約1800人が戦闘に参加した(半分が戦死)。

 

ひめゆり隊

女子学生も看護要員として動員された(半数以上が犠牲に)。

 

 

占領地での政策

中国人の強制連行

多くの中国人が日本に連行され、土木工事現場などで働かされた。

 

 

植民地(朝鮮・台湾)での政策

徴兵制

朝鮮・台湾で徴兵制が施行された(朝鮮は1943年、台湾は1944年)。

 

 

創氏改名

朝鮮で姓名を日本風に改めることを強制した。

 

 

皇民化政策

朝鮮や台湾で日本語教育と日本語の使用を強化した。

 

 

朝鮮人の強制連行

多くの朝鮮人が日本に連行され、土木工事現場などで働かされた。

 

 

国民生活の崩壊

本土空襲(1944〜)

サイパン陥落以降、本土空襲が本格化した。

 

 

建物疎開

人口・家屋の密集地で、空襲による火災の延焼を防ぐために建物を破壊した。

 

 

学童疎開

  • 縁故疎開
  • 集団疎開

 

 

原爆(1945)

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望岡 慶
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