なぜ日本は国際連盟から脱退したのか?についてまとめました!
内閣が軍部をコントロールできておらず、日本という国家がバラバラになる中で、「こうするしかない!」って突き進んでしまった…っていう悲しきストーリー。
きっかけは満州事変
日本が中国で持っている権益を守るために、1931年から1932年にかけて陸軍が起こした事件(=満州事変)がきっかけ
※権益=ある国が他国内に持つ権利と、それに伴う利益。
1931年9月18日、関東軍が南満州の鉄道を爆破(柳条湖事件)。
→「中国軍のせいだ!」って言いがかりをつけ、中国で軍事行動を起こした。【満州事変スタート】
関東軍とは
- 関東軍=関東州と南満州鉄道沿線を守る陸軍。1919年設置。
- 関東州=遼東半島南部の日本の租借地。旅順・大連とその周辺。日露戦争で獲得。
関連:満州事変が起こった理由
満州事変に対して、登場人物がバラバラなリアクションをとった
軍部のリアクション
軍部の思い(モチベーション)
では、軍部はなぜ満州事変を起こしたのか?
軍部の思い
- 満蒙の権益を守りたい
- 国家を作り直したい
「満蒙の権益を守りたい」
中国の蒋介石が国民政府を樹立し、中国統一を目指して北伐
→1928年12月には、日本が権益を持っていた中国東北部の満州も国民政府の支配下の土地となった
→中国で「不平等条約を撤廃しろ!」「中国の権利を取り戻すんだ!」っていう運動が高まった(国権回復運動)
「経済封鎖や将来におけるアメリカとの総力戦に備えるためには、中国の資源が必要なのに!まずいっ!!!」
「国家を作り直したい」
軍事面
中国国民政府が不平等条約の撤廃や租借地の返還などを諸外国に求めて「満蒙の危機」に直面
- なのに、幣原喜重郎が武力行使を伴わない協調外交を行う(→「軟弱外交!」)
- ロンドン海軍軍縮条約での軍縮(→「統帥権の干犯だ!」)
経済面
世界恐慌にともなう昭和恐慌で失業者が増加(→不満)
東北地方を中心に農村の困窮が深まった(農業恐慌)
- 農家から徴兵される人が多かったため、軍隊は窮状をリアルに実感していた
- なのに、政党は無策で汚職事件を続発
- 財閥は円売り・ドル買いを進めて利益を得ようとしていた
このような状況で、軍部は政府に対してイライラ。
「もう今の政府はダメだ!日本を改造しなきゃ!」
ってことで、陸海軍軍人や右翼による国家改造運動が高まります。
そして軍部は、国家改造運動の一環として満州事変を起こした。
←国外で軍事行動を先行させることによって、国家改造をなし崩しで進めるため。
※軍部は完全に内閣によるコントロール下にあるわけではありません(超重要)。
→くわしく明治憲法体制のところで説明しています。
軍部の行動
1931.9.18 柳条湖事件
- 1931年9月、関東軍が南満州の鉄道を爆破して「中国軍のせいだ!」って言いがかりをつけ、中国で軍事行動を起こした。
※計画は関東軍参謀の石原莞爾ら
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関東軍は日本の権益がない北満州まで攻めて、満州全土を占領した。
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※第1次上海事変(1932.1)
- 列国の関心を満州からそらすための謀略。中国人を買収し、上海で日本人僧侶を襲わせ、この事件を口実に上海に出兵した。
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1932.3 清朝最後の皇帝溥儀を執政として、満州国の建国を宣言させた
- 日本は「満州を日本に併合したら欧米が黙っちゃいないよな…」って思って、「満州人が自分たちで国を作ったんだよ!」ってことにした(満州国)。
内閣のリアクション
内閣の思い
一方、内閣はどう思っていたのか?
内閣の思い
- イギリス・アメリカとは衝突したくない
「関東軍なにやってんのよ!
でも、イギリスやアメリカとの衝突に発展しないのであれば、関東軍の行動は決してダメではない…かな?」
みたいな感じ
内閣の行動
第2次若槻礼次郎内閣(立憲民政党)は満州事変勃発に対して不拡大方針を出した
- →しかし、関東軍はその方針を無視して軍事行動を拡大
- →事態の収拾に自信を失った若槻内閣は総辞職(1931.12)
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※「憲政の常道」に基づき、政権交代
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犬養毅内閣(立憲政友会)は中国との直接交渉を目指す
- →五・一五事件で暗殺される
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軍を抑える目的で、穏健な人格であった海軍軍人 斎藤実が首相に
世論・マスコミのリアクション
熱狂!軍の行動を支持(ナショナリズムが高揚)
ジャーナリズムも軍部の国家社会主義的な国内改革を期待していた。
※日本政府は自由主義・民主主義的な学問を弾圧していた
- (例)1933年:滝川事件(自由主義的刑法学説を唱えていた滝川教授が鳩山一郎文相の圧力で休職処分になった)
アメリカのリアクション
日本の一連の行動に対して不承認宣言を発した。
中国のリアクション
日貨排斥(日本商品の不買運動)がさらに拡大。
中国国民政府の蒋介石は、日本には抗戦せず。
→日本の軍事行動は九カ国条約・不戦条約に違反しているとして国際連盟に提訴
国際連盟のリアクション
中国からの訴えと日本の提案で、事実調査のために調査団を現地と日中両国に派遣(団長:リットン)
国際連盟の調査結果の内容によって、日本の運命が決まる…!って感じの状況。
結局は日本は「国際連盟とは一緒にやっていけないわ!別れましょ!」って言い捨てるわけですが、
なぜそのようなことになってしまったのか?
↓
国際連盟からの脱退までの経緯
リットン調査団の報告書が公表される前に、
日本は満洲国を既成事実化しようとした
1932.9 斎藤実内閣は、日満議定書に調印して満洲国を承認
日満議定書
- 満洲国における日本の既得権益を認める
- 日本軍の無条件駐屯を認める
- 交通機関の管轄・新設をすべて日本に任せる
- 日本人を満洲国官吏に任用する
もう日本は後に引けなくなっていた…ってことだと思います。「正しいことをするのではなく、過去の行動を正解にすればそれでいいのだ!!!」って感じ?
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しかし、予想とは裏腹に
リットン調査団の報告書は日本に配慮してくれていた・・・
1932.10 リットン調査団の報告書が公表された
リットン報告書
【中華民国を擁護する内容】
- 柳条湖事件とその後の日本軍の行動は自衛的行為とは言い難い
- 満洲国は地元住民の自発的な意志による独立とは言い難い
- 満洲国の存在は日本軍に支えられている
【日本に配慮した内容】
- 満州に日本が持つ条約上の権益(既得権益)は尊重されるべきである
- 日本は武力を、中国は不買運動という経済的武力・挑発を行使している限り、平和は訪れない
- 軍隊を撤退させて満州を非武装地域とし、国際管理下に置くのが良いのでは?
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もはや
日本は譲歩できず・・・
1933.2 国際連盟の臨時総会で、リットン調査団の報告にもとづき以下のことが決定された。
- 満洲国は日本の傀儡国家であると認定(「満洲国は満州人が自分たちで作った国家ではない!」)
- 日本が満洲国の承認を撤回することを求める勧告案を採択
→松岡洋右ら日本全権団が、勧告案を可決した総会の場から退場
(どうしても満洲国を承認してほしかった…なぜ?)
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国際連盟からの脱退を通告
1933.3 日本政府は正式に国際連盟からの脱退を通告(1935年発効)
→イギリス・アメリカ・ソ連など大国と個別に関係修復をし、新たな国際関係を構築することを模索。
↓
※1936年にはワシントン海軍軍縮条約・ロンドン海軍軍縮条約が失効し、
日本は国際的に孤立する
→ドイツと接近
動画でも確認
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参考文献
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