本記事では、幣原外交と田中外交について説明をします!
この記事の信頼性
僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
幣原外交と田中外交とは
1920年代半ばから1930年代初めまでの日本の外交政策のこと。
- 幣原外交=幣原喜重郎が外務大臣を務めた時の外交政策
- 田中外交=田中義一が外務大臣を務めた時の外交政策
幣原外交のことを「協調外交」、田中外交のことを「積極外交」と言うこともあります(→その理由はこの後の「共通点」「相違点」のところで)。
時期・順番

幣原外交→田中外交→幣原外交
という順番です。
幣原外交(1回目)
- 加藤高明内閣(1924年6月11日〜1926年1月30日)
- 第1次若槻礼次郎内閣(1926年1月30日〜1927年4月20日)
田中外交
- 田中義一内閣(1927年4月20日〜1929年7月2日)
※田中首相が外務大臣を兼任した
幣原外交(2回目)
- 浜口雄幸内閣(1929年7月2日〜1931年4月14日)
- 第2次若槻礼次郎内閣(1931年4月14日〜1931年12月13日)
1931年9月から始まった満州事変後、幣原・田中が外務大臣を務めることはなくなり、幣原外交・田中外交は終わりました。
共通点

幣原外交も田中外交も、
ワシントン体制のもとで
- 米英と協調し、
- 中国からの経済的利益を求める
という点で共通していました。
ワシントン体制とは
ワシントン会議(1921〜22年)で成立した条約によってつくられた、「東アジア・太平洋地域では、これからこうやっていきましょうね」っていう国際関係のことです。
第一次世界大戦(1914〜18年)の後、「もう二度と戦争を起こしたくない!」って思っていたアメリカが、「東アジア・太平洋地域で日本をこれ以上調子に乗らせないぞ!」って思って、国際会議の開催を呼びかけました。この国際会議がワシントン会議です。
※これ以上=第一次世界大戦中に中国に対して行った二十一か条の要求など。
このワシントン会議では、次のことが約束されました。
(1)東アジア・太平洋地域は現状維持しましょう!(=新たに植民地をゲットしたりするのはダメだよ)
(2)みんなが狙っている中国では、お互いにフェアにいきましょう!
- 中国を植民地にするのはダメだよ!(中国の領土と主権の尊重)
- 中国での経済活動をお互いに認め合いましょう!(門戸開放・機会均等)
(3)お互いに海軍の軍縮をしましょう!
- 主力艦を今後10年間は作っちゃダメだよ!
- 主力艦の保有比率を決めましょう!
1931年9月に日本が満州事変を起こして中国に満州国を作ったことによって、ワシントン体制は崩壊してしまいました。
相違点

中国からの経済的利益をどのように守るか?に関して、違いがありました。
幣原外交
中国への内政不干渉(中国の国内で起きていることへの対処は中国に任せる)
(例)1回目の幣原外交
・奉天で勢力をもっていた張作霖を支援することを通じて、満蒙(南満州・東部内蒙古)の権益を守ろうとした。
=中国に直接関与するのではなく、間接的に関与した。
・蒋介石が行った北伐の中で南京事件が起き、アメリカとイギリスが軍事介入した際、共同出兵を拒否した。
=中国国内の問題に対して、不干渉主義を貫こうとした。
田中外交
必要に応じて中国に武力行使
(例)
・蒋介石の北伐を抑えて満蒙(南満州・東部内蒙古)の権益を守るために、3次にわたる山東出兵を行った。

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参考文献
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