ワシントン体制についてまとめました!
ワシントン体制とは
ワシントン会議にもとづいて、新しく形成された東アジア・太平洋地域の国際秩序
1921年11月〜1922年2月、アメリカ合衆国大統領ハーディングの呼びかけで会議がワシントンD.C.で開かれる(ワシントン会議)
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- 1921.12:四カ国条約
- 1922.2:九カ国条約
- 1922.2:ワシントン海軍軍縮条約
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東アジア・太平洋地域の新しい国際秩序が成立(→ワシントン体制)
当時の状況
- 東アジア・太平洋地域で日本が勢力を拡大
- ソヴィエト政権が連邦制国家を作ろうとしている
- 中国で民族運動が活発化
- アメリカ・イギリス・日本などの間で建艦競争が起こっている
ねらい
アメリカのねらい
- アジア・太平洋地域の支配を現状維持し、日本の勢力拡大を封じたい
- アメリカ・イギリス・日本の建艦競争を終わりにして財政負担を減らしたい
日本のねらい
- 軍事費を減らして国家財政を楽にしたい(←1920年の戦後恐慌)
- アメリカとの協調を保ちながら中国における既得権益を守りたい
内容
テーマは大きく3つ。
- 太平洋地域どうする?(→四カ国条約)
- 中国どうする?(→九カ国条約)
- 各国の戦艦の保有数どうする?(→ワシントン海軍軍縮条約)
※ワシントン会議は史上初の軍縮会議。
四カ国条約(1921年)
締結国
- 米・英・日・仏
内容
- 太平洋諸島の領土・権益の相互尊重
九カ国条約(1922年)
締結国
- 米・英・日・仏・伊・ベルギー・ポルトガル・オランダ・中国
内容
- 中国の主権尊重・門戸開放・機会均等を規定
※ポルトガルはマカオの統治権を持っていた。
※オランダ・ベルギーは租界を持っていた。
ワシントン海軍軍縮条約(1922年)
締結国
- 米・英・日・仏・伊
内容
- 主力艦の保有量を制限(保有比率=米5:英5:日3:仏1.67:伊1.67)
- 今後10年間、主力艦の建造を禁止する
主力艦=海軍の主力の役割を務める戦闘艦。でっかい主砲を備える。
日本への影響
日英同盟を廃棄(←四カ国条約)
四カ国条約が締結され、日英同盟の更新は行わないことが決定された。
(→二国間同盟から多国間安全保障体制へと転換)
関連:集団安全保障とは
イギリスにとって、日英同盟は必要がなくなった…というのが理由の1つ。
(理由)
- ロシアとドイツが消滅した
- 英米関係を緊張させる要因となっていた
石井・ランシング協定を廃棄(←九カ国条約)
石井・ランシング協定
=1917年、日本とアメリカで交わされた協定。アメリカは中国における日本の「特殊権益」を、日本はアメリカに中国の「門戸開放」を認め合った。
山東省の旧ドイツ権益を中国に返還(←九カ国条約)
山東懸案解決条約を結んだ。
主力艦の保有比率に海軍が不満を抱いた(←ワシントン海軍軍縮条約)
海軍は「主力艦の保有比率はせめて英米の7割に!」って主張したが、海軍大臣で全権の加藤友三郎が不満を抑えて調印に踏み切った。
この結果、1907年以来の海軍軍拡を目指す八・八艦隊計画は挫折した。
八・八艦隊=1907年の帝国国防方針で示された、戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻を目標とする大建艦計画。
問題点
- 九カ国条約には、中国に強大な影響力を及ぼしうるソ連が含まれていなかった(→のちのちソ連が中国を支援することに)。
- 植民地支配を現状維持することで列国間の協調関係を作ったが、これは中国などのナショナリズムを犠牲にしたということに他ならなかった。
崩壊
日本が九カ国条約に違反する
1926年から蒋介石の北伐が始まった結果、「満州の権益を守るぞ!」ってことで軍部が暴走した。
くわしくはこちらの記事で。
日本が海軍軍縮条約を廃棄するまでの流れ
1922年:ワシントン海軍軍縮条約
- 主力艦の保有量を制限(保有比率=米5:英5:日3:仏1.67:伊1.67)
- 今後10年間、主力艦の建造を禁止する
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1930年:ロンドン海軍軍縮条約
- 主力艦建造禁止を5年延長
- ワシントン海軍軍縮条約で除外された補助艦の保有量を制限(保有比率=米10:英10:日7)
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1934年:ワシントン海軍軍縮条約の廃棄を通告
↓
1936年:ロンドン海軍軍縮会議を脱退(←話し合いがまとまらず)
↓
1936年:ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約が失効
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無制限建艦競争の時代に
動画でも解説
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参考文献
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