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江戸幕府と朝廷の関係について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説【日本史34-2】

 

本記事では、江戸幕府と朝廷の関係(朝廷統制)について説明をします!

 

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望岡 慶
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江戸幕府と朝廷の関係についてわかりやすく

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江戸幕府が大名・朝廷に対してどのような政策を行なったのか?について話をします。

 

朝廷っていうのは、天皇が政治を行う場所っていう意味です。

 

 

なぜ朝廷を統制する必要があるのか?

まず、なんで朝廷統制をする必要があるのか?について説明します。

 

 

【日本の歴史34-2】江戸幕府と朝廷の関係について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

ズバリ言うと、天皇ってすごい存在だからです。

スバリ言わなくてもすごい存在っていうのはみんな知っていますが、天皇って、万世一系(ばんせい いっけい)と言って、血筋が途切れることなく代々続いているわけです。

(これってすごいことです。中国とか、国のトップの人が別の民族の人とかにコロコロ変わったりしているので。)

 

 

だから、天皇っていうのはすごい権威(オーラ)を持っていて、すごい存在で、天皇こそが日本のトップなんです。

で、そんな天皇から征夷大将軍に任命されているからこそ徳川家は全国の土地の支配者としてのポジションをゲットできるわけです。

 

単にケンカが強ければそれでOKってわけじゃなかった。鎌倉時代の源頼朝も、室町時代の足利尊氏も、安土桃山時代の織田信長豊臣秀吉も、天皇(朝廷)との関係性をゲットしたからこそ力を持てるようになったんです。

 

 

【日本の歴史34-2】江戸幕府と朝廷の関係について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

そう考えると、天皇(朝廷)っていうのは危険な存在でもありますよね。利用されがちな存在でもあります。

誰か他の人が天皇と深い関係を築いて「江戸幕府を倒すぞ」って言ったら、周りの人がその動きについて行っちゃうかもしれません。

(実際、そういう動きがありました。「鎌倉幕府を倒すぞ!」ってことで、朝廷の後鳥羽上皇は承久の乱を起こしましたし、江戸幕府が滅亡する時には「天皇中心の国を作るぞ!」っていう運動が起きました)

 

 

つまり、江戸幕府は天皇(朝廷)をこんな感じで見ているんです。

【日本の歴史34-2】江戸幕府と朝廷の関係について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

幕府の全国支配を権威づけるために、朝廷を利用することが必要だけど、

幕府の全国支配を安定させるために、天皇が自ら権力をふるったり、他の大名に天皇が利用されたりしないようにすることも必要

 

ということで、江戸幕府は朝廷を統制(コントロール)しないといけないんです。

 

 

朝廷統制の内容

江戸幕府が行った朝廷統制の政策を3つ説明します。

 

禁中並公家諸法度

【日本の歴史34-2】江戸幕府と朝廷の関係について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

1つ目が、ルール作りです。

禁中並公家諸法度という、天皇・公家が守るべきルールを定めました。(公家=朝廷に仕えるランクの高い役人)

 

禁中並公家諸法度の第一条では、「天子諸芸能の事、第一御学問也」(天皇が身につけるべき様々な技術・技能の中で、第一は学問です)と書かれています。

これは「天皇は国のトップなんだから、しっかりと政治学を身に付けましょう」って感じの意味です。ここからも江戸幕府が天皇をどのように捉えているのか?がわかります。(「権威の源なんだから、しっかりしてくれよ」ってこと)

 

 

京都所司代

【日本の歴史34-2】江戸幕府と朝廷の関係について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

2つ目が、監視です。

京都所司代っていう、朝廷を監視する役職を作りました。(大名を任命)

 

 

武家伝奏

【日本の歴史34-2】江戸幕府と朝廷の関係について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

3つ目が、連絡係です。

武家伝奏っていう、幕府への連絡をする役職を作りました。(公家から任命)

 

このように、江戸幕府は朝廷統制を行いました。

 

 

幕府と朝廷の対立(紫衣事件)

が、幕府と朝廷との間でトラブルが起きてしまうことがありました。

その代表例が1627〜29年に起きた紫衣事件です。結構大事なのでくわしく説明します。

 

これは、後水尾天皇っていう人がお寺のお坊さんに紫衣を与えたことがきっかけで起きた事件でした。

 

 

【日本の歴史34-2】江戸幕府と朝廷の関係について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

紫衣っていうのは、お坊さんが身につける服のうち紫色のもののこと。この紫衣はランクが高い人に与えられる服でした。

望岡 慶
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紫色って昔からランクが高い人が身につける色ですよね。(有名なのは、聖徳太子の頃に行われた冠位十二階で、一番ランクが高い冠が紫色だった、ってやつ)

 

で、みんなその紫衣が欲しい。紫衣をプレゼントするのは天皇です(天皇の権力の1つ)

 

もし天皇が好き勝手に紫衣をプレゼントしたら、お坊さんが天皇と結びついて、幕府にとって厄介な感じになる可能性がありますよね。なので、禁中並公家諸法度の中には、天皇が紫衣を与えるのを制限するルールがありました。

ところが、後水尾天皇は勝手に紫衣をお坊さんにプレゼントしちゃったんです。

 

 

幕府からすると、天皇が勝手に権力をふるっているってことなので、恐れていることが起きた!って感じです。なので、幕府はこれに対して「無効です」と言った。

 

その後、後水尾天皇は幕府の許可なく天皇の位を譲っちゃったりして、幕府と朝廷との間でバチバチすることになりました。ただ、この一連の出来事によって、「幕府が作ったルールが、天皇の意思よりも優先されるんだよ」ってこと(幕府の朝廷統制)が明らかになりました。

これが紫衣事件です。

 

 

このようにトラブルはありましたが、このトラブルからも、江戸幕府にとって朝廷は、

幕府の全国支配を権威づけるために必要な存在だったし、

幕府の全国支配を安定させるために他の人に利用されてはいけない存在だった

ということがわかります。

 

 

まとめ

天皇から征夷大将軍に任命されているからこそ、徳川家は全国の土地の支配者としてのポジションをゲットできる。

幕府の全国支配を安定させるために、天皇が自ら権力をふるったり、他の大名に天皇が利用されたりしないようにすることが必要。

そこで、江戸幕府は朝廷統制を行った。(禁中並公家諸法度、京都所司代、武家伝奏)

 

望岡 慶
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