武士の成長について説明をします!
この記事を読むと
- 武士とは何なのか?がわかる
- 武士が登場した理由がわかる
この記事の信頼性
僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
武士の成長
武士の成長について話をします。
今回話をする時代は、平安時代です。
武士とは?
まず、武士って何なのか?っていう話からです。
武士っていうのは、正式に(公的に)武装を認められた存在のことです。
朝廷や国府(国の役所)から、警察みたいな役目を任された人々のことを武士と言います。
なので、「武装をしたから武士になる」っていうわけじゃありません。
ピストルを持っていても、正式に(公的に)認められていなければ、それはヤクザですよね。
ちなみに、武士っていうのはもともとは「朝廷に武芸をもって仕える武官」のことでした。
なんで武士が成長した?
そんな武士が平安時代の途中から成長し始めるわけですが、それがどうしてなのか?っていう話をします。
バトルのために武力を持つことを正式に認めなきゃいけない事情があった、っていうことですから、穏やかな世界ではなかったことが予想できると思います。
で、なんで武士が成長するかというと、各地で争いが起きるようになったからです。
争いが起きたので、力には力で対抗する必要が出てきたっていうことですね。
これだけだとあんまりイメージがつかめないと思うので、各地で争いが起きるようになった理由についてくわしく説明をします。
戸籍・計帳の制度が崩れた
クリックすると、このあと説明するところから再生されます。
律令国家は、戸籍・計帳っていう名簿を使って、主に男性から税を集めていました。
が、この戸籍・計帳の制度が奈良時代の途中から崩れ始めて、平安時代になると相当厳しい状況になっていました。
例えば、ある戸籍では、合計400人中、男性は50人で女性は350人、みたいなことになっていたんです。
律令国家は主に男性から税を集めていた、って言いましたが、これは裏を返すと「女性は税を納める必要がない」っていうことです。
だから、戸籍(名簿)をごまかして「女性ばっかりのグループです!」ってことを言う。
そうすれば、税を逃れることができますからね。
それに、戸籍に登録された人が、その場所から逃げ出しちゃっていることとかもあったんです。
このように、戸籍・計帳に登録された男性を中心に税を課すという、律令国家の原則が崩れていました。
例えるとしたら、学校の集金です。
校長先生が天皇で、職員室が朝廷だとしますね。
で、朝廷は全校の男子から集金をしようと思っている。
そこで、名簿を作るわけです。
1年1組の名簿、1年2組の名簿、って感じで。
律令国家がスタートしたばかりの時はシステムがしっかりと機能していて、男子から集金することができていたんです。
ところが、時代が進むにつれて、いざ集金をしようと思って1年1組の名簿を見ると「男子が2人で女子が38人」みたいな名簿になっているんですよ。
しかも、1年1組から逃げ出している人もいる。
名簿が、実態と合わなくなっているんですよね。
こうなっちゃうと、集金できないじゃないですか。
これが、9世紀末から10世紀にかけての状況です。
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地方支配のあり方を変えた
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じゃあ、こういう状況で税を集めるのに成功するためにはどうしたらいいか?
朝廷は、国司のトップの人に権限と責任を集中させて、「国内の支配は任せるから税を集めて持ってきてね」ってことにしたんです。
国司っていうのは、各地(国)の仕事をする役人のことです。
権限と責任が集中した国司の最上級の地位のことを受領って呼ぶようになります。
さっきの学校の例で言うと、学年職員が国司って感じですかね。
この国司の中のトップの人、学年主任が受領です。
校長先生は学年主任に権限を集中させて、「学年のことは完全に任せるから、集金はしっかりやってね」ってことにしたってことです。
受領は、一人一人から税を集めるんじゃなくて、土地ごとに税を集めるっていう方式に変えました。(負名体制っていいます)
(戸籍・計帳に登録された男性を中心に税を課すという律令国家の原則から転換した)
こうなると、受領はおいしいポジションになります。
朝廷に税さえ納めれば何をやっても良いって感じになったので、わざと多めに集めて、余った分を自分の財布に入れることもできちゃうわけですよ。
学年主任が各クラスから100万ずつ集めて、朝廷には10万円だけ納めて、それ以外は自分の財布に入れちゃう、みたいなことができちゃう。
こんな感じで、地方支配のあり方が大きく変化しました。
税から逃れるために実力行使
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ただ、税を納める人、具体的にいうと有力な農民は、税から逃れたいんです。
(有力な農民は、貧しい農民などを支配して、大規模に農業を行うようになっている)
税から逃れたい、っていう感覚は、現代と変わらないですよね。
で、実力で税から逃れようとします。
実力での税逃れは2パターンです。
1つ目は、「この土地は皇族や貴族の土地だぞ」っていう方法。
国司(受領)は皇族や貴族とズブズブの関係になっていたりしたので、「この土地は皇族や貴族の土地だぞ」って言われると、「マジかよ、それじゃ税は取れないわ…」って思っちゃうんです。
このあたりについては、また別のところで解説をします。
2つ目は、集団で武装するっていう方法。
農民たちがみんなで武装して、武力でもって税から逃れようとしたりもしたんです。
まあ簡単に言うと、学級委員がリーダーシップをとって学年主任の先生をブッ飛ばそうとしてくるんです。
って感じで、各地で争いが起きるようになりました。
力には力で対抗する必要が出てきます。
そこで、朝廷は戦いの技術に優れていた人に対して、「争いを取り締まってこい!」って任せるんです。
これが武士ですね。
武士っていうのは、正式に(公的に)武装を認められた存在のことでした。
学校で例えるなら、体育の先生って感じですかね。
ゴリマッチョの体育の先生を生徒指導担当とかに任命して、「行けっ!」って言って取り締まらせるんですよ。
ただ、このゴリマッチョの先生は、学年主任にとって敵にも味方にもなります。
争いを解決してくれる存在としては助かりますが、なかにはクラスの中に入っていって、生徒と仲良くなり始めたりするわけですよ。
サッカー部の生徒みたいに武力を持った存在を子分にして、武士団を作っていくんです。
で、生徒の中には学年主任に対して不満を持っている人もいて、そういう人たちが「一緒に学年主任を倒しましょう」とか言っちゃいます。
ゴリマッチョの先生は、一緒になって学年主任と戦ったりする。
これが、939年に起きた平将門の乱と藤原純友の乱です。
自分たちを頼ってくる有力な農民などの政治への不満に突き動かされて、大きな反乱を起こしたんです。
この反乱を朝廷は別の武士の力によっておさえました。
「おー、やっぱり武士はすごいな」ってことで、これ以降、朝廷や受領や国司は、家来をまとめている有力な人に警察の役割を任せていきます。
こうして武士身分が形成されました。
武士身分は、大きく分けて2パターンです。
1つ目が、武家(軍事貴族)です。
貴族で、朝廷と地方を行ったり来たりしている感じです。
学校で例えるなら、生徒指導主任って感じですかね。
2つ目が、地方武士です。
国にとどまって、国の警察みたいなことをします。
学校で例えるなら、学年生徒指導って感じでしょうか。(あくまでイメージね)
まとめ
- 武士は、正式に(公的に)武装を認められた存在のこと
- 地方政治のあり方が変わって、各地で争いが起きるようになった結果、武士が成長していった
- 人間はいつだって税を納めたくない
- 武力を持っている人は、敵にもなるし味方にもなる、やっかいな存在
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