二・二六事件について説明します!
二・二六事件とは?
1936年2月26日、
陸軍のエリートコースから外れていた若手が「天皇中心の政治体制を実現するぞ!」って考えて、武力を使って政権を奪おうとした事件。
- 若手→青年将校(年齢が若くてそれなりの階級を持っていた人)
- 「天皇中心の政治体制を実現するぞ!」=天皇親政
- 武力を使って政権を奪う=クーデタ
具体的な内容↓
- 首相官邸・陸軍省・警視庁、新聞社(朝日新聞社)などを襲撃
- 岡田啓介首相を暗殺しようとした
- 高橋是清大蔵大臣を暗殺した
- 斎藤実内大臣を暗殺した
- 渡辺錠太郎陸軍教育総監を暗殺した
- 鈴木貫太郎侍従長が重傷を負った
このようなトンデモナイ事件が二・二六事件なんですけど、、
じゃあなんで1936年に陸軍の若いエリートが「天皇中心の政治体制」の実現を目指して武力に訴えることになったのでしょうか?
二・二六事件の背景
二・二六事件の背景を5つに分けて説明します!
- 人々がエライ人たちに不信感を抱いていた
- 人々が軍部に期待を抱くようになっていた
- 軍部が思い通りに権力を握れなかった
- 陸軍内で対立が起きていた
- 皇道派が追い詰められた
人々がエライ人たちに不信感を抱いていた
※エライ人=政府・大企業(財閥)
1930年代初頭の日本は、
- 直前の井上財政による不況
- 世界恐慌による輸出激減
の二重の打撃を受けて、日本は深刻な不況に陥っていました(これを昭和恐慌と言います)。
特に農村では困窮具合がすさまじかったようです(←いろんな農作物の価格が暴落したり、凶作になったりしたから)。
貧しい家庭が自分の娘を売り渡してしまったり(娘の身売り)、貧しい家庭の子供が学校に弁当を持って行くことができなかったり(欠食児童)しました。
このような事態を農業恐慌と言います。
生活に苦しんでいる国民がいる一方で、財閥などの大企業は自分の利益のことばかり考えて行動をしていました(ドル買い)。
このような状況を受けて、人々はエライ人たちに不信感を抱くようになっていました。
関連:井上財政とは?
人々が軍部に期待を抱くようになっていた
そんな中で、人々は軍部に期待を抱くようになります。
特に、1931年に始まった満州事変での日本軍の勝利に日本国内の人々は熱狂したようです。
ちなみに軍部も「日本が行き詰まっているのは、財閥・政党などの支配者層がダメだからだ!」って考えていました。
特に、実際に兵隊を率いる「部隊のリーダー」(=将校)は苛立ちを感じやすかったはずです。徴兵によって農村漁村から軍に加わる兵隊たちから農家の悲惨な状況に関する生の声を聞く立場なので。
こんな感じで、人々と軍部はある程度共鳴し合う関係だったんですけど、、、
大日本帝国憲法(明治憲法)のもとでは、人々の期待があったとしても軍部が簡単に権力を握れるわけではありません。
というのも、日本の統治者である天皇のもとで、内閣や議会などの国家機関が日本を動かすことになっていて、軍部は国家機関の一つにすぎないからです。
大日本帝国憲法のもとで軍部が権力を握ろうと思ったら、
- 天皇に嫌われないこと(天皇の信任を得ること)
- 軍部に協力的な内閣が誕生すること
が必要です(→この点、後でまた出てきます)。
軍部が思い通りに権力を握れなかった
軍部はなかなか思い通りに権力を握ることができませんでした。
支配者層を打倒して軍中心の強力な内閣を作ろうとしたんですけど、海軍穏健派の人が首相を務める内閣(=軍部の影響力をやたらと拡大させようとは思っていない内閣)が続いたんです。
軍部、特に陸軍からしたらもどかしい状況ですよね。
一応、憲法の枠内で、軍部が権力を握るための策を講じたりはしています。
→国体明徴声明
国体明徴声明
天皇機関説を否定し、日本は古代以来、天皇中心の国家であり、天皇が主権を持っていることは明白であるという政府の声明。岡田内閣は1935年8月と10月の2回「国体明徴に関する声明」を出した。議会も国体明徴決議案を可決。
こうして、満州事変による軍部への期待を背景に徐々に陸軍が政治的発言力をアップさせていくんですけど、圧倒的なパワーをゲットしたわけではありません。
陸軍内で対立が起きていた
しかも、陸軍と一口に言っても、一枚岩だった(全員が一つにまとまっていた)わけではありませんでした。
陸軍は、
- 統制派:陸軍大学校出身者(陸軍の中のいわゆるエリート)が集まっている
- 皇道派:陸軍大学校出身ではないために昇進の道が絶たれている人たちが集まっている
の2つの派閥に分かれていました。
統制派の人は陸軍の中の要職に就くことができます(陸軍省・参謀本部など)。
なので、国の政治に影響力を及ぼせる可能性が大いにあるわけです。
実際、永田鉄山ら陸軍のエリート官僚(統制派)は、将来におけるソ連やアメリカとの戦争に備えた総力戦体制(高度国防国家)を築くことを目標にしていました。
つまり!
皇道派は二重の意味で追い詰められている
と言えるわけです。
- 思い通りに権力を握れていない陸軍の中にいて、
- 陸軍の中でも権力を握れなさそうな立場にいる
なので、
「今のシステムのもとでは、自分たちが望むものは実現できない…」って考えて、武力を使って政権を奪おうとした
わけです(→クーデタ)。
こうして起こったのが二・二六事件です。
二・二六事件の内容
陸軍皇道派の青年将校が約1400名の兵士を動員して、天皇側近グループの穏健派を排除し、天皇のもとで皇道派を中心とする新政権を樹立しようとした。
具体的な行動
- 首相官邸・陸軍省・警視庁、新聞社(朝日新聞社)などを襲撃
- 岡田啓介首相を暗殺しようとした
- 高橋是清大蔵大臣を暗殺した
- 斎藤実内大臣を暗殺した
- 渡辺錠太郎陸軍教育総監を暗殺した
- 鈴木貫太郎侍従長が重傷を負った
このトンデモナイ事件が起きた結果、首都には戒厳令がしかれました。
そして、、、
昭和天皇がなんと陸軍の青年将校たちの行動を「反乱」だと認定したんです。天皇に嫌われちゃったわけですね。
こうなったら陸軍皇道派の青年将校からしたら終了〜って感じです。
結局、
- 青年将校17名のほか、その行動に影響を与えた北一輝が死刑に
- 青年将校に近い急進的な考えを持った陸軍上層部は軍を辞めさせられた
ということになってしまいました。
二・二六事件の結果
- 岡田啓介内閣が総辞職(→広田弘毅内閣)
- 統制派が皇道派を排除して陸軍内での主導権を確立した
- 「二・二六事件を起こした青年将校の怒りは、軍人ならみんな持っている」と威圧して、陸軍が政治的発言力を高める
- 軍部大臣現役武官制の復活
動画でも確認
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