本記事のテーマ
1924年〜1932年の8年間、「憲政の常道」が実現したのはなぜなのか?
勉強したこと&僕なりに考えたことをまとめたいと思います!
憲政の常道とは
衆議院で多数の議席を占める政党が内閣を担当することになった慣例。
1924~1932年の8年間、二大政党の総裁が交代で内閣を組織することになった。
第一党が総辞職後は第二党が内閣を担当する。
憲政の常道の考え方
選挙を通して民意は反映される!
↓
だから衆議院で一番多く議席を獲得した政党(第一党)が内閣を組織するべきだ!
↓
もし内閣が失敗して総辞職した場合、直近の選挙で二番目に多く議席を獲得した政党(第二党)が次の内閣を組織するべきだ!
憲政の常道の時期
加藤高明内閣 | 1924年6月~1926年1月。憲政会。首相在任中に病死。 |
第1次若槻礼次郎内閣 | 1926年1月~1927年4月。憲政会。病死した加藤高明内閣を引き継ぐ。金融恐慌の処理に失敗して総辞職。 |
田中義一内閣 | 1927年4月~1929年7月。立憲政友会。張作霖爆殺事件の処理に失敗して総辞職。 |
浜口雄幸内閣 | 1929年7月~1931年4月。立憲民政党。銃撃されて辞任。 |
第2次若槻礼次郎内閣 | 1931年4月~1931年12月。立憲民政党。銃撃されて辞任した浜口雄幸内閣を引き継ぐ。満州事変の処理に失敗して総辞職。 |
犬養毅内閣 | 1931年12月~1932年5月。立憲政友会。五・一五事件で暗殺される。 |
憲政の常道が実現した1924〜32年の8年間は、戦前の日本においてレアな時期だった。
←「政党のトップが内閣を組織する」のは、戦前では珍しかった(現代日本ではあたりまえだけど)。
憲政の常道が実現した理由(考察)
大前提として、次の知識をおさえておく必要がある。
第日本帝国憲法のもとでは、元老と呼ばれる一部の人が「次の首相を誰にするか」を決めていた。
※元老=明治維新を成し遂げ、明治以降の日本を引っ張ってきた人々。首相の推薦や重要な政策に関わった。黒田清隆、伊藤博文、山県有朋、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌に、桂太郎と西園寺公望が加わった。
つまり、憲政の常道が実現した背景には、元老が「政党が内閣を担当するべき!」って考えるようになった、ということがある。
じゃあ、なぜ元老は1924〜1932年の時期に日本に未来を政党に託そうと思ったのか?
民衆が成長し、民衆のエネルギーがものすごく大きくなった
民衆は
- 市民的自由(言論・出版・集会)の拡大
- 民衆の政治参加(政党政治・普選)
を要求するようになった(→大正デモクラシー)。
(理由)
- 既得権益を持っている旧世代(藩閥など)への嫌悪感
- 就学率の向上
- ロシア革命
- 大戦景気のなかで労働者やサラリーマンなどの都市民衆が増加
- 美濃部達吉が天皇機関説や政党内閣論を唱える
- 吉野作造が民本主義を唱える
「明治維新を成し遂げた」という実績を持つ人がいなくなった
元老が西園寺公望だけになった
民衆を政党のもとに統合し、社会を安定させようとした
(例)
- 第二次護憲運動(1924年)
- 普通選挙法(1925年)
- 治安維持法(1925年)
(理由)
- 経済的にも社会的にも不安定だった(戦後恐慌、関東大震災、震災恐慌)
- このままだと民衆が暴動を起こすかもしれない…
- このままだと社会主義革命が起きるかもしれない…
- 民衆の意見を吸収できる(=ガス抜きできる)システムにしないとマズイ!
憲政の常道が崩壊した理由
準備中
憲政の常道が実現するまでの流れ
「もう一部の特権階級の人が日本を引っ張っていく時代じゃない!」っていう雰囲気が強くなる
関連:桂園時代について
↓
第一次護憲運動(「閥族打破・憲政擁護」を掲げて)
- 閥族打破=藩閥が政治支配するな!
- 憲政擁護=憲法にもとづく政治をしろ!
- 数万の民衆が国会議事堂を取り囲む(→大正政変)
↓
社会運動がさらに活発に(良くも悪くも)
(理由)
- 就学率の向上(1902年:90%を超える)
- ロシア革命
- 大戦景気のなかで労働者やサラリーマンなどの都市民衆が増加
- 美濃部達吉が天皇機関説や政党内閣論を唱える
- 吉野作造が民本主義を唱える
(例)
- 米騒動
- 普通選挙を要求する運動
- 労働争議(1921:日本労働総同盟)
- 小作争議(1922:日本農民組合)
- 社会主義者による運動(1922:日本共産党)
- 女性解放運動(1920:新婦人協会)
- 部落解放運動(1922:全国水平社)
こうしたなかで、本格的政党内閣と言われる原敬内閣が成立
- 戦後恐慌によって財政的に行き詰まる
- 原が暗殺され、約3年で終わる
- その後、高橋是清内閣が受け継いだが、短命に終わる
↓
2年間にわたって3代の非政党内閣が続く
- 普通選挙制の導入は実現せず…
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加藤高明内閣が成立
- 民衆を政党のもとに統合し、社会を安定させようとした(→普通選挙法、治安維持法)
- 「憲政の常道」がスタート
動画でも解説
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参考文献
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