日露戦争について説明します!
本記事の内容
- 日露戦争が起こった理由(背景)
- 日露戦争の主な戦いと結果
- 日露戦争の終わり方
- 日露戦争がもたらしたもの
この記事の信頼性
僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
日露戦争が起こった理由(背景)
日本とロシアが満州・朝鮮をめぐって争った→交渉がまとまらなかった
ってのが、日露戦争が起こった理由です。
もっとくわしく、5つに分けて説明します↓
- 日清戦争での日本の動きをロシアが警戒した
- 三国干渉により日本人の反ロシア感情が高まった
- 朝鮮はロシアと近づき、反日感情を高めた
- 三国干渉後、ロシアが満州を占領した
- 日英同盟を背景にロシアと交渉したが、うまくいかず
日清戦争後の日本の動きをロシアが警戒した
ロシアは朝鮮半島の中立を確保したかった(←ウラジオストクなどの極東ロシアの安全確保のため)
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ところが、日清戦争に勝った日本が下関条約で遼東半島をゲットした
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ロシア「これは朝鮮の中立が脅かされる重大事態…!」
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ロシア「いずれ自分も満州に進出するだろう…今のうちに日本の進出を抑えておこう!」
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1895年、ロシアはドイツ・フランスとともに日本に「遼東半島を中国に返せ!」と詰める(三国干渉)
※下関条約調印のわずか6日後。ロシアの動き早すぎ。
三国干渉により日本人の反ロシア感情が高まった
日本人「ロシアむかつく!臥薪嘗胆!」
※臥薪嘗胆(がしん しょうたん)=将来の成功を期して苦労に耐える
※征露丸
日清戦争の賠償金を使って、軍備の拡張に努めた。
朝鮮はロシアと近づき、反日感情を高めた
日本は朝鮮を自国の影響下に置きたかったが、、、
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三国干渉後、朝鮮で新日政権が倒される(by閔妃ら)
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日本の三浦梧楼が「新日政権をつくるぞ!」ってことでなんと閔妃を殺害
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王妃を殺害された国王高宗はロシア公使館に逃れ、朝鮮で親露政権が誕生
日本は焦る。
「せっかく日清戦争で清に勝って、やっと朝鮮を日本の影響下に置けると思ったのに…」
日本にとって、朝鮮を勢力圏に入れることは明治新政府誕生からの長年の目標だった。
日本ピーンチ!
三国干渉後、ロシアが満州を占領した
日清戦争での清の敗北を受けて、列強各国が中国での権利獲得を競った(=中国分割)。
清は日本へ賠償金を支払わなければいけない
→ヨーロッパ諸国から借入れ(鉄道敷設などの利権を与えることを見返りとして)
- ドイツ:膠州湾を租借
- イギリス:威海衛と九竜半島を租借
- フランス:広州湾を租借
- 日本:福建省の不割譲を約束させる
- ロシア:東清鉄道の敷設権、旅順・大連を租借
日露戦争との絡みでは、ロシアがどう動いたのか?を理解することが大事。
・ロシアは、三国干渉の見返りとして、満州北部の鉄道敷設権をゲット(1896年)。
・1898年、ロシアは遼東半島の旅順・大連を租借(ハルビン・旅順間に南部支線を建設することが認められる)。
※租借=外国の領土の中のある地域を借りて、一定の期間、統治すること。
ロシア以外の列強各国も、中国で権利獲得
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当然、中国の民衆は「ふざけんなよー!」って怒る
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1900年、列強の進出に対して「扶清滅洋」を唱える宗教団体(義和団)が運動を起こす
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清国政府は義和団を支持し、各国と戦うことを宣言してしまう(→北清事変)
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日本を含む列国が、連合軍を派遣して北京を占領
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清が降伏
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北清事変を機にロシアが満州を占領し、満州の植民地化を既成事実化しようとする
ロシアの満州占領に対して、日本はこう思った↓
「ロシアが満州で利権を持つのはいいけど、占領するのはさすがに許せん!」
「満州がロシアのものになったら、お隣の朝鮮半島もロシアのものになっちゃうかも!それはやばい!」
※ちなみに、アメリカは中国での権利獲得に完全に出遅れていた。なので、アメリカは満州で自由にビジネスできるようになること(=門戸開放・機会均等)を期待していた。
※イギリスは、ロシアの中国進出を食い止めたかった。イギリスがNo.1の国であり続けたかったから。
日英同盟を背景にロシアと交渉したが、うまくいかず
ロシアの満州占領に「まずい!許せん!」って思った日本は、2つの方法で悩む。
①日露協商論:ロシアとの単独交渉により事態の打開に努める
②日英同盟論:ロシアと交渉するためにはイギリスとの提携が必要
2つの方法はどちらも以下の点で共通していた。
- ロシアの満洲占領には反対!
- 満洲でのロシアの優越権を認めることによって韓国(朝鮮半島)での日本の優越権を確保しよう!(満韓交換)
日本は「とにかく朝鮮の優越権はゲットしたい!朝鮮が最優先!」って思っていたってことです。
結局、第1次桂太郎内閣はロシアの中国進出を食い止めたかったイギリスと同盟を結ぶ(1902年:日英同盟)。
日英同盟
- 仮想敵はロシア
- 同盟国の一方が他国と交戦した場合は、他の同盟国は厳正中立を守る
- 同盟国の一方が2国以上と交戦する場合は、他の同盟国も参戦する
→これのおかげで、日本とロシアの一対一の戦争になった(日露戦争)。
この日英同盟を背景にロシアと交渉
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ロシアが満州から撤兵することを約束
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ところが期限の1903年になっても撤兵を完了させなかった
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日本では国民の多くが熱狂的に開戦に賛成!
※反戦論もあったけど(→内村鑑三、幸徳秋水)
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1904年初め、日本とロシアの交渉が決裂。2月にお互いに宣戦布告し、日露戦争がスタート。
日露戦争の主な戦いと結果
日露戦争=ヨーロッパ諸国と戦った最初の戦争
ロシアに勝てるかどうかはわからない→いつどうやって戦争を終わらせるかがカギ
日本は外国から借金(=外債を発行)したり非常特別税を設けたりして戦費を調達
主な戦場=満州南部・遼東半島・日本海
日本は韓国に日韓議定書にサインさせ、韓国内で軍事行動をできるようにした
- 旅順要塞を攻略(←多数の兵を失いつつ)
- 奉天会戦で辛勝
- 日本海海戦で圧勝
日露戦争の終わり方
日本海海戦で勝利したのを機に、日本はアメリカのローズヴェルト大統領に仲介を頼んだ。
- 日本にこれ以上戦う余力はなかった(←兵器不足、兵士不足、莫大な戦費)。
- ロシアにもこれ以上戦う余力はなかった(←国内での反戦運動、革命運動=血の日曜日事件)。
日本海海戦で圧勝し、日本が実質的に勝利していたが、、、
重要なポイントは「ロシアは降伏しなかった」ということ(→ここがこの後の交渉でロシアからの賠償金を勝ち取れなかった理由)。
アメリカに仲介してもらいつつ、アメリカのポーツマスという都市で日本とロシアが交渉
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お互いが譲歩して1905年9月に講和条約(=ポーツマス条約)が成立。
ポーツマス条約
- 日本の韓国に対する指導・監督権をロシアが認める
- 旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道とその付属の利権をロシアが日本に譲渡する
- 北緯50度以南の樺太と付属の諸島をロシアが日本に譲渡する
- 日本の沿海州とカムチャツカの漁業権をロシアが認める
- 賠償金なし
日露戦争がもたらしたもの
民衆のエネルギー増大
(例)1905年:日比谷焼き打ち事件(賠償金をとれない講和条約に民衆が不満を爆発させた)
→このあとの大正デモクラシーにつながる。
韓国支配の進展
→1910年には韓国併合を強行。
南満州経営の開始
アメリカとの対立、ロシアとの接近
アメリカは満州の門戸開放を期待していたのに(だから日本とロシアの仲介までしたのに)、日本は単独で満州へ進出。
↓
アメリカの対日感情が悪化する
(例)日本人移民排斥運動
一方、日本はロシアと接近(4次にわたる日露協約:1907〜1916年)
経済危機
日露戦争での莫大な戦費(外債・非常特別税)+無賠償での講和
↓
日本は経済危機に陥る
くわしくは次の記事で。
動画でも解説
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