源平の争乱と鎌倉幕府の成立について説明をします!
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僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
源平の争乱と鎌倉幕府の成立
源平の争乱と鎌倉幕府の成立について話をします。
今回話をする時代は、平安時代の終わりから鎌倉時代です。
①源平の争乱
まず、鎌倉幕府がどのように成立していくのか?についてです。
平清盛は後白河上皇を助けることで権力を強めていったのですが、なんと平清盛と後白河上皇の関係がだんだんと悪くなっていきました。
自分よりも下の存在だった人が力を握ると、嫉妬して「うぜええええ」って思っちゃう、っていう感じなんですかね。
で、平清盛は反抗します。
1179年に後白河上皇を鳥羽殿(とばどの)っていう場所に閉じ込めて、自分たち(平氏)に反発する貴族を処罰するんです。
こうして平氏が独裁的な権力を握って平氏政権ができ上がったのですが、やっぱり周りの人からすると「平氏め、ふざけんなよ」って感じですよね。
そこで、後白河上皇の子供である以仁王(もちひとおう)っていう人が、「みんな、平氏を倒すぞ!」って声を上げました。
この声は各地に伝わって、木曽(長野)で源義仲が、伊豆(静岡)で源頼朝が兵を挙げるなど、各地で戦いが広がることになったんです。
この戦いは5年続きます。(治承・寿永の乱)
なんで各地で戦いが同時に起きたのか?というと、自分の土地を守り、さらに広げるためっていうのもあります。
平氏とそんなに仲が良くない人からすると、いつ自分の土地を平氏に奪われるかわからないですよね。
これ以上、平氏が力を持つと、富の基盤である土地を奪われる可能性があるんです。
一方で、この戦いをきっかけにして平氏の土地を奪うことに成功すれば、自分の土地をさらに広げることができます。
ある意味、一か八かではありますが、チャンスなんです。
じゃあ、このチャンスの状況で、自分の土地を守りたい人は誰についていくのか?
誰に協力すれば、自分にとってプラスになるのか?っていうのを真剣に考えるんですね。
で、最終的に選ばれたのが、源頼朝だったんです。
源頼朝は伊豆で兵を挙げて、鎌倉を本拠地にします。
で、「平氏を倒すぞ!」っていう戦いの中で、自分の土地を守りたい人(特に東国の武士団)と源頼朝がだんだんと関係を深めていくんです。
「源頼朝についていけば、自分の土地は守れそうだ」って判断した人たちが、源頼朝のもとに集まってくるんですね。
そして、源頼朝は平氏をだんだん西の方に追い詰めていって、自分の弟である源義経などを派遣して平氏と戦わせて、1185年に壇ノ浦の戦いで平氏政権を滅ぼすことに成功しました。
②幕府とは?
次は、鎌倉幕府の成立についての話です。
「みんな、平氏を倒すぞ!」っていうところから始まった戦いの中で、源頼朝が鎌倉を本拠地として武家政権を作りました。
これが鎌倉幕府です。
なんですけど、幕府って何なのかイマイチよくわからなかったりするじゃないですか。
急に鎌倉幕府、室町幕府っていうのが出てきて、急に天皇の存在感が薄れますよね。
イマイチよくわからないまま、とりあえず「幕府っていうのができたのかー」って流してしまいがち。
そうなると日本の歴史についてよくわからないままになってしまうので、幕府って何なのか?について説明します。
まず、日本のトップの人は天皇です。
これは変わっていません。
ただ、その天皇が日本全国を支配する、まとめるのが難しくなっていたわけです。
日本に住んでいる人、一人一人からすると、生きていくためには食べ物を確保することが重要です。
その食べ物は、お米ですね。
つまり、お米を作ることのできる土地っていうのは、富の基盤として、人間にとってすごく重要なものだった。
だから、人間は土地を守りたいんです。
ただ、人間はいろんな人がいます。
なかには土地を実力で奪おうとしてくるヤツもいるわけです。
これを聞くと、そんなヤツがいるなんてヒドイ!って思うかもしれません。
が、もし自分が食べ物を全くゲットできなくなって死にそうになって、そのまま死ぬか、誰かの土地を奪って生き延びるか、っていう選択に迫られたら、どうですか。
誰かの土地を奪って生き延びようって思う人が多い気がしませんか。
人間は欲望のカタマリですから、富をゲットしようと思うのは当たり前だし、仕方ないことなんです。
じゃあ、どうするか?です。
そういうルール違反みたいなことが起きた時にどうするか?
もしくは、そういうルール違反みたいなことが起きないようにするためにはどうしたらいいか?
これらが重要になります。
そういう時は、やっぱりパワーが必要です。
法律(ルール)を作ったとしても、その法律(ルール)を破った時になんの罰もなかったら、ルールを守らないのが人間ですよね。
結局、いろんな人間がいる社会が平和に穏やかにまとまるためには、パワーってのが必要なんです。
学校でも、荒れないクラスって先生のパワーが強かったりしますよね。
もちろん、生徒がみんな優しい心を持っていて、思いやりがあって、みんなで作ったルールをみんなが守れればクラスは荒れません。
ですが、人間はいろんな人がいて、ルールを破る人もいるし、誰かをいじめようとする人もいるのが現実じゃないですか。
それに、誰も悪者はいなくて、どっちも正しいからこそ対立しちゃう、みたいなことだってあります。
そんな時に、クラスっていう社会は荒れる可能性があるんですけど、そのクラスの先生がパワーを持っていたりすると、平和が保たれたりしますよね。
まあ簡単に言うと、先生がいつもピストルを持っていて、ルール違反した生徒に、、、とかだったら、ルール違反ってまあ起きないっていうことです。
長々説明しちゃったんですけど、何が言いたいかというと、社会の安定にはパワーが必要になることが多いっていうことです。
パワーのことを、暴力装置って表現することもあります。
じゃあ日本のトップである天皇はパワー(暴力装置)を持っていたか?
持ってないんです。
天皇が持っているのは、「すげええええ」って感じちゃう、オーラです。
「日本のトップだ!」っていうオーラです。
権威とも言います。
だから、パワーを持っていない天皇は、富の基盤である土地を守ってあげることができない。
守ってあげるような仕組みを整えることができなかったんです。
じゃあ、パワーを持っていたのは誰か?っていうと、それが武士なんですね。
わかりやすいですよね。
あいつら、人を殺す力を持っているんです。
むっちゃパワーを持っているじゃないですか。
このような、パワーを持った存在、軍隊が政治を行うようになると、そのような政治のあり方のことを軍事政権って呼ぶようになります。
幕府って、軍事政権なんです。
例えば、今の日本で自衛隊の人が内閣総理大臣になって政治を行い始めたら、軍事政権です。
(日本国憲法で禁止されているので、憲法が機能していれば、ありえないけど)
話を戻します。
天皇は、「すげええええ」っていうオーラを持った存在で、日本のトップであることは間違いないです。
が、土地を守ってあげる力を持っているわけじゃないし、仕組みも機能していないので、社会が不安定になる可能性がある。
一方、武士は社会を安定させられるパワーを持っている。
そこで、天皇は武士に社会を安定させる仕事を任せるようになります。
そうしてでき上がったのが、武家政権、鎌倉幕府です。
学校でイメージすると、こんな感じです。
荒れている学年があります。
校長先生は、その学年をまとめることができない。(当然、校長のもとで働く先生も)
学年の中にいるナイフとかピストルとかをジャラジャラ腰にぶら下げた強い生徒が、校長のもとに行って、「俺たちに任せてください」って言う。
校長先生は、その生徒を「将軍」に任命して、学年のことを任せた。
将軍になった生徒は「あの校長先生から将軍って認められたんたぜ」っていうことを根拠にして、学年をまとめていく。
もし校長からの任命なしに「俺についてこい!」って言ったところで、周りからしたら「は?」って感じなわけですよ。
だから、強い生徒(将軍)にとって、校長先生(朝廷)とつながりを持っておく、っていうことが不可欠です。
まあこんなイメージです。(あくまでイメージですよ)
③鎌倉幕府の成立
鎌倉幕府の成立について、ちゃんと説明します。
1183年に、源頼朝は後白河上皇と交渉をして、東国の支配権を認めてもらいます。
1185年に平氏が滅んだ後、後白河上皇は源頼朝が力を持ちすぎることを警戒して、弟の源義経に「頼朝をぶっつぶせ」って命令をします。
そのことを知った源頼朝は、京都に軍を送って朝廷に圧力をかけます。
「義経をぶっつぶすために、
- 国ごとに守護を任命する
- 荘園や公領ごとに地頭を任命する
権利を認めろ」と。
で、源頼朝は、この権利を朝廷に認めさせました。
守護っていうのは、地方の警察みたいな仕事をする役職のことです。
地頭っていうのは、荘園や公領を管理して、その中から税を集める役職のことです。
これは、社会を安定させる仕事を、源頼朝が正式に朝廷から任されたっていうことです。
地方の警察も任されたし、土地を管理する人を任命する権利も得ましたからね。
2つ目の地頭っていうのが結構重要です。
これは、オーラを持っている朝廷に認められた、パワーを持っている源頼朝から、「ここの土地はあなたが管理してください」って言われるっていうことです。
「あの頼朝さんが認めたんだから」っていうことで、自分の土地は守られることになるんです。
守護・地頭を任命する権利を認めさせた1185年に、鎌倉幕府が成立したと言われています。
ただ、平氏は滅したものの、東北地方には奥州藤原氏っていう存在がいます。
こいつが邪魔なわけです。
で、源義経は頼朝にぶっ潰されることを恐れて、東北地方にいって奥州藤原氏に守ってもらっていたんです。
そこで、源頼朝は義経をかくまった(隠した)ことを理由に、奥州藤原氏を滅ぼしました。
1192年には、源頼朝は朝廷から征夷大将軍に任命されます。
こうして、鎌倉幕府が成立したんです。
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