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織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説【日本史30】

 

本記事では、織田信長の統一事業について説明をします!

 

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望岡 慶
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織田信長の統一事業についてわかりやすく

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織田信長の統一事業の話をします。

 

 

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

今回話をする時代は、安土桃山時代です。

 

織田信長とその後の豊臣秀吉が大きな権力を握っていた状態のことを、織豊政権と言います。1573年の室町幕府滅亡から1603年の江戸幕府成立までの約30年間です。

 

今回はこの織豊政権の前半、織田信長の時代についての話です。

 

 

まず、織田信長が大きな権力を握る直前(16世紀半ば)の、主な戦国大名の支配の様子はこんな感じでした。

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

越後=長尾景虎(上杉謙信):守護代出身

相模=北条氏康:家来出身

甲斐=武田信玄:守護出身

駿河=今川義元:守護出身

越前=朝倉義景:守護代出身

尾張=織田信長:守護代出身

安芸=毛利元就:家来出身

薩摩=島津貴久:守護出身

 

このような状況の中、尾張の小さな戦国大名だった織田信長が力を伸ばしていきます。

 

 

①桶狭間の戦いでデビュー

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

尾張の織田信長と駿河の今川義元は、支配領域の境界線をめぐって争っていました。

 

で、織田信長は、1560年に桶狭間に出張していた今川義元の軍に奇襲攻撃を仕掛けたんです。これを桶狭間の戦いと言います。

 

 

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

奇襲っていうのは、敵が予測していない時期・場所・方法によって攻撃をすること。桶狭間の戦いは日本三大奇襲の1つに数えられているみたいです。

 

桶狭間の戦いは、今川義元が首を斬られて殺されてしまったことによって織田信長の勝利となりました。この桶狭間の戦いでの勝利によって、織田信長は力を伸ばしました。信長のデビュー戦っていう感じですね。

 

 

②足利義昭を将軍にする

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

その後、織田信長は「天下布武」の印章を使い始めました。印章っていうのはハンコのことです。

「天下布武」の意味はいろんな解釈がされているようですが、最近は「京都周辺を武力でおさえて、室町幕府の支配を立て直すぞ!」っていうような意味合いだったと考えられているようです。

とにかく、「やってやるぞ」っていう意思表示をしたってことでOKです(←雑)

 

 

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

で、足利義昭っていう人が織田信長を頼ってきました

足利義昭は、京都がむちゃくちゃ混乱していたので京都から離れていたんですけど、織田信長の力を借りることで京都に戻ろうとしたんです。

 

足利義昭は、1568年に織田信長たちの軍隊に警備されながら京都に到着。そして、織田信長のサポートもあって足利義昭は朝廷から室町幕府の15代将軍に任命されました。

望岡 慶
望岡 慶
足利義昭と織田信長はお互いWin-Winの関係だったと思います。

 

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

足利義昭からしたら、武力を持つ織田信長のサポートを借りることで将軍になる(室町幕府の力を復活させる)ことができたわけです。

織田信長からしたら、(当時は力が衰えていたとはいえ)「将軍」っていうオーラのある存在に近づくことができて、戦国大名である自分の存在感を全国に示すことができるわけです。

 

 

③織田信長は、自分に従わない勢力を倒す

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

ただその後、足利義昭と織田信長は対立することになりました。

足利義昭は室町幕府の支配を復活させることを目指していたのに対して、織田信長は支配地域を広げて「あわよくば全国を支配するぞ!」って考えていたはずですから、思い描いている未来が違ったんですよ。(たぶん)

 

 

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

結局、対立が激しくなって、将軍の足利義昭は織田信長によって京都から追放されることになってしまいました。1573年のことです。この年が室町幕府滅亡の年です。

 

 

織田信長は、足利義昭に限らず自分に従わない勢力と戦いました。各地の戦国大名や仏教勢力です。

 

戦国大名との戦い

戦国大名との戦いは、例えばこんな感じです。

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説
  • 1570年:近江の浅井、越前の朝倉を倒す(姉川の戦い)
  • 1575年:甲斐の武田勝頼を倒す(長篠の戦い)

2つ目の長篠の戦いは、織田信長が使った戦い方で有名です。鉄砲の三段撃ちってやつです。

 

1576年には、近江(滋賀)に安土城を作りました。

 

 

仏教勢力との戦い

同時に、織田信長は対立していた仏教勢力とも戦いました。

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

1570年から1580年にかけて、大坂の本願寺勢力を倒しました。(石山戦争)

また、1571年には比叡山延暦寺の焼き討ちを行いました。

 

本願寺の勢力も延暦寺の勢力も、当時ものすごく勢いがあった集団でした。詳しい説明は省略しますが、とにかく織田信長は自分に従わない仏教勢力を倒したんです。

 

 

④経済力を強化

織田信長は単に戦うだけではなくて、経済力も強化しました。

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

1576年に安土城を作った後、城下町に楽市令を出して商人や職人を集めて住まわせるんです。

「営業するなら税を納めてね、とかは言いませんよ。自由にビジネス(商売)をやってください。」と言うことで、商売をしたい人を集めて経済を発展させようとした、っていうことです。

 

また、貿易で発達していた湊町のっていう都市を織田信長は武力で従わせて、貿易の利益をゲットしました。

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

それまでは、は自治都市でした戦国大名の誰かの支配に従っていたわけではなくて、その都市に住んでいる人たちが、自分たちで都市をまとめていたんです。

その自治都市であるを、織田信長は武力で従わせることに成功しました。

※堺は鉄砲を作っている都市だったので、織田信長にとって堺は重要都市。なんとしてもゲットしたい場所だったんでしょうね

 

 

⑤本能寺の変

こうして、織田信長は天下統一に向けて突き進んでいたんですけど、、、織田信長に対してムカついている人も結構いたみたいです。

結局、1582年に本能寺っていう京都にあるお寺で、家来の明智光秀に裏切られてしまいました。で、織田信長は自害。これを本能寺の変と言います。

【日本の歴史30】織田信長の統一事業(織豊政権1)について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

この後、織田信長の意志を引き継いで天下統一を成し遂げたのが、豊臣秀吉です。

豊臣秀吉の統一事業(織豊政権2)

 

 

まとめ

尾張の戦国大名だった織田信長は、1560年の桶狭間の戦いでデビューした。

その後、足利義昭をサポートして、彼を15代将軍にすることに成功した。

織田信長は、自分に従わない勢力を倒した。(戦国大名・足利義昭・仏教勢力)

織田信長は、経済力を強化しようとした。

天下統一に向けて突き進んでいた織田信長は、天下統一を成し遂げる前に本能寺の変で自害することになった。

 

望岡 慶
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豊臣秀吉の統一事業について

 

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