日本史

第一次世界大戦の背景【日本の歴史59-1】

 

第一次世界大戦の勃発

人類最初の世界戦争である第一次世界大戦。1914年から1918年まで4年間続きました。

きっかけは、1914年6月28日に起きたサラエボ事件。

サラエボ事件

セルビア人の青年がオーストリアの皇位継承者とその妻を射殺するという事件

※当時オーストリアに併合されていたボスニアのサラエボという都市で起きた事件なので、サラエボ事件って言います。

 

これ、すごい事件ですよね。皇位継承者を殺してしまうなんて!

あまりイメージしたくないですが、日本で同じことが起きたというイメージしてみると、この事件のトンデモナさがわかると思います。

 

 

ここで疑問なのが、次の2つ。

  • なんでセルビア人がオーストリアの皇位継承者を殺したくなるくらいの気持ちになったのか?
  • 2つの国の間の事件に過ぎなかった事件が、多くの国家をまきこんだ世界大戦につながったのはどうしてなのか?

 

この疑問を解消するために、第一次世界大戦の背景について見ていきます!

 

 

第一次世界大戦の背景

セルビアとオーストリアが対立していた

セルビアとオーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナをめぐって争っていました。

くわしい事情を説明します↓

 

【バルカン半島】

19世紀、ヨーロッパの国々は「領土を拡大したい!植民地をゲットしたい!」って強く思っていました

 

(理由)

新たなフィールドを手にすることができれば、自分の国で作ったモノをもっと売ることできるし、モノを作るための原料をゲットすることができるから(市場・原料供給地としての植民地)

 

で、そのターゲットの一つとされていたのが、バルカン半島でした。

 

もともとバルカン半島では、オスマン帝国が力を持っていました。ところが、そのオスマン帝国が18世紀ごろから衰えていきます。

オスマン帝国の衰退にともなって、バルカン半島をめぐる動きが加速することに。

バルカン半島をめぐる動き(東方問題・バルカン問題)

  • オスマン帝国支配下のギリシア人やスラブ人、アラブ人などの独立運動が起こった。
  • 「オスマン帝国が衰えた後のバルカン半島で力を持ちたい!」って考えた国々が対立した。

 

 

【ロシアの南下政策】

特にバルカン半島を狙っていたのはロシアでした。ロシアは南の方に勢力を拡大しようとしていたんです(南下政策)。

 

(理由)

ロシアはかなり北の方にある国で、港の周りの海が冬になると凍ってしまう。

→なので、「冬でも凍らない港(不凍港)がほしい!」「一年中、自由に船を出せるようにしたい!」って強く思っていた。

 

南にあるバルカン半島にあるオスマン帝国では、スラヴ民族が独立運動を起こしていました。

 

そこで、ロシアが動いた。ロシアは、オスマン帝国内で独立運動を起こしていたスラヴ民族を支援したんです。

 

(理由)

ロシア人もスラヴ民族に分類される。

→「僕たちと同じスラヴ民族を助けるぞ!」っていう理由でスラヴ民族に協力し(パン=スラヴ主義)、バルカン半島で力を持とうとした。

 

当然、オスマン帝国からしたら「ロシアてめえ何やっとんのじゃ!」です。

 

結果、1877年にロシアとオスマン帝国との間で戦争が起きました(ロシア=トルコ戦争)。

 

(結果)

ロシアの勝利。

 

勝利したロシアが勢力拡大に成功した…かと思いきや、周りの国に邪魔されます。

ロシアの勢力拡大を快く思わないオーストリア・イギリスが、ロシアの動きに反対。ヨーロッパの国々で話し合いをすることになりました(ベルリン会議)。

ベルリン会議で決まったこと

  • ルーマニア・セルビア・モンテネグロの独立
  • ブルガリアはオスマン帝国内の自治国
  • オーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナの占領と行政権をゲット

 

他の国々が茶々を入れてきたことによって、ロシアは思い通りに南方向へ勢力を拡大できず…

日清戦争後の三国干渉で、日本が遼東半島を中国に返還したことに似ています。

 

 

【オーストリアの行動】

そしていよいよセルビアとオーストリアの対立が深まる決定的な出来事が起こります。

1908年にオスマン帝国内で混乱が生じました(青年トルコ革命)。

「これはチャンスだ!」って思ったオーストリアは、自分が管理していたボスニア・ヘルツェゴヴィナの併合を宣言

セルビア人からしたら、「オーストリアめ、ふざけるなよ」って感じ。

(理由)ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは、住民の多くがスラヴ民族。

→なので、お隣にあるセルビア王国(同じくスラヴ民族の国)は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナをいつか編入しようと思っていた

→なのに、ゲルマン民族の国であるオーストリアによって、いきなり併合されてしまうことになった

 

セルビア人はカッチーン!って感じ。この強い反発心がサラエボ事件へとつながります。

 

でも、これだと単にセルビアとオーストリアという2つの国の間の問題にすぎません。

なぜ2つの国の間の事件に過ぎなかったサラエボ事件が、多くの国家をまきこんだ世界大戦につながったのか?

それは、周りの国々が「セルビアを応援する国」と「オーストリアを応援する国」とに分かれたからです。

 

 

周りの国々が2つの陣営に分かれていた

国益を守る方法

「自分の国=国益を守るためにはどうするのがいいのか?」について考えてみます。

 

「自分の国=国益を守るための方法」は大きく3つに分けられる。

  • (1)自分で守る
  • (2)仲間を作ってお互いに守る
  • (3)みんなで協力してみんなで守る

 

例えば学校のクラスがむちゃくちゃ荒れていて、常に命の危険にさらされているような状態だとしたら、自分の命を守るために筋トレをしたりして防衛力を高めたりしますよね。これが(1)です。

 

ただ、これだと相手が2人で襲いかかってきた時にやられてしまう可能性が高いです。

 

そこで、仲間を作って「お互いに何かあったら助け合おう」っていう約束を作ればいいかも!(同盟を結べばいいかも!)っていう考えが出てきます。

こういう約束をしたグループがいくつかできて、グループ同士の力関係(パワーバランス)がいい感じに保たれたとします。

すると、「相手のグループのメンバーに手を出したら、グループ同士の戦いになって大変なことになるぞ…」ってお互いが警戒するようになります。抑止力が働くわけです。これが(2)です。

 

ただ、抑止力が働くとはいえ、実際にグループの誰かが他のグループの誰かとドンパチを始めたら、グループ同士の大きなケンカになりますよね。

 

そこで、「もうこのクラスでケンカするのはダメ。もしケンカが起こったら、ケンカした人に対してみんなで制裁を加えることにしよう!」っていう考えが出てきます。これが(3)です。

 

 

このように、自分の国=国益を守るための方法は大きく3つに分けられます。それぞれを現代的な言葉で表すと、こうなります。

  • (1)→個別的自衛権
  • (2)→集団的自衛権
  • (3)→集団安全保障

 

本題に戻ると、、、

 

 

三国同盟と三国協商

第一次世界大戦の前までは(2)の考え方が主流でした。

「グループを作って、グループ同士の力関係を保つことによって平和を維持しよう」ってみんなが思っていたんです。

 

(具体例)

  • オーストリアはドイツ・イタリアと軍事同盟を結んでいた(三国同盟)。
  • ロシアはイギリス・フランスと軍事同盟を結んでいた(三国協商)。

※「同盟」は条約にもとづく強制力のある協力関係。「協商」は同盟よりもゆるやかな協力関係。

 

グループ同士のパワーバランスが保たれていれば、抑止力が働きます。

ですが、実際にグループの誰かが他のグループの誰かとドンパチを始めたら、グループ同士の大きなケンカになる…という話をさっきしましたよね。

 

で、実際にドンパチを始めてしまったわけです。それがサラエボ事件。

サラエボ事件後にオーストリアとセルビアが戦争を始める

「僕たちと同じスラヴ民族を守るぞ」ってことで、ロシアがセルビアを助ける

 

この瞬間、三国同盟vs三国協商の構図になりました。

「(2)仲間を作ってお互いに守る」の考え方の弱点である「実際にグループの誰かが他のグループの誰かとドンパチを始めたらグループ同士の大きなケンカになる」ってのが、現実のものになった

こうして、世界大戦が勃発したのです。

※こうやって考えると、世界大戦が終わった後に「もう戦争はしたくない!」って思った国々が国際連盟を作った理由がよくわかるはず。「(2)仲間を作ってお互いに守る」考え方が失敗したので、「(3)みんなで協力してみんなで守る」考え方に発展したわけです。

 

 

参考文献

関連:高校日本史Bの参考書・問題集を東大卒元教員が紹介【大学受験にもおすすめ】

関連:日本の歴史の漫画を東大卒元教員が比較して紹介

 

動画でも解説

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