日明貿易(勘合貿易)と日朝貿易について説明をします!
日明貿易(勘合貿易)と日朝貿易とは
日明貿易(勘合貿易)と日朝貿易について話をします。
今回話をする時代は、室町時代です。
①日明貿易
日明貿易とは
日明貿易は、室町時代に行われた中国との貿易のことです。(貿易っていうのは、国境を越えたモノのやり取りのこと)
東アジアにはモンゴル人が作った元っていう国があって、その元と鎌倉幕府が戦いましたよね。
ところが、その元っていう国が衰えて、1368年に中国では再び漢民族の国ができたんです。この国のことを明と言います。
この明と、日本は貿易することになりました。
日明貿易のシステム
日明貿易で一番有名なのが、勘合っていう証明書を使ったっていうことです。
書類を2つ重ねた状態で、印鑑のインクがちょうど半分ずつ付くように印鑑を押して、片方を日本が、もう片方を明が持つ。
で、日本はその勘合を持って明に行って、もう片方に押されている印鑑のインクとピッタリ合うかどうかをチェックして、ピッタリ合えば「あなたは本物ですね」ってことで貿易ができる、っていう仕組みです。
じゃあ、なんでこんな面倒なことをした(勘合を使った)のか?です。
どんな問題を解決したくて「勘合を使おう」っていう発想になったのでしょうか。
これは、14世紀に中国や朝鮮半島の近くの海で、他の人のモノを奪ったり(海賊行為)密かに貿易を行ったり(密貿易)する武装集団が現れたからです。
この武装集団のことを倭寇と言います。(とんかつ屋じゃないですよ)
佐賀県立名護屋城博物館より
明は、この倭寇に困っていたんです。
で、このような倭寇がなんで生まれるんだろう?って考えたところ、「人の出入りを自由にしているからだ!」っていう結論に至ったみたいです。
だから、倭寇を抑えるためには人の出入りをしっかりと管理しないといけない。
人の出入りを管理するためには、2つの方向性から考える必要があります。
出国と入国です。
出国に関しては、明だけで対応することができますよね。
自分の国から人が出て行かないようにすればいいだけなので。
そこで、明はまず自分の国の国民が出国することを禁止しました。(海禁政策)
次に入国の管理です。
例えば日本から人が明にやって来たとします。
その時点でその人のことを審査して、「入国していいですよ」(「貿易をしていいですよ」)って入国許可証を与える、っていう方法が考えられます。
ただ、これだと大変ですよね。
もし日本から(に限らずいろんな国から)大量の人が明にやって来たとしたら、その時点でいちいち審査して入国許可証を与えるかどうかを決める、、、むちゃくちゃ大変です。
そこで、明への入国に関しては、明だけで頑張るんじゃなくて日本(外国)にも管理をしてもらうことにするんです。
つまり、「海を渡って明に行ったイチロー君は、海を渡って明に行くことを正式に認められた、”ちゃんとした”人です」って示せるように、日本のリーダーが自分の国の人を管理するということ。
これを実現するために、明は2つの政策を実行します。
1つ目が、周辺の国のリーダーに朝貢を求めた、ということ。
これ、中国が他の国と付き合う時の伝統的なやり方です。
中国の周辺の国のリーダーが中国の皇帝に貢ぎ物を送ってご挨拶をすることを「朝貢」と言います。
朝貢された中国皇帝は、「よしよし、良い子だな」って感じで朝貢をしてきたリーダーを「あなたは〇〇国の国王です」って認めてあげて、朝貢のお返しとして豪華なモノをたくさんあげたんです。
これを「冊封」と言います。
この朝貢・冊封の関係を、周辺の国のリーダーと結びます。
その上で、勘合を使います。これが2つ目です。
「海を渡って明に行っていいのは、リーダーが派遣する船だけだよ」ってことにするんです。
そこで、明は勘合という証明書を発行して、日本のリーダーに渡します。
船を明に送る時に、日本のリーダーは明から渡された勘合を船に持たせる。
で、船が明に到着したら、そこで「これは正式な勘合かな?」っていう審査をして、晴れてその審査をクリアしたら「あなたは”ちゃんとした”人」ですねって認められることになります。
このように、明は入国の管理をするために、周辺の国のリーダーに朝貢を求めて正式な国同士の関係を結んで、その上で勘合っていう証明書を発行したんです。
こうすれば、日本からわけわかんない人が明に行って他の人のモノを奪ったり(海賊行為)、密かに貿易を行ったり(密貿易)していたら、「おい、お前ふざけんなよ」って説得力を持って言えることになって、倭寇を抑えることができるようになるわけです。
まとめると、
- 出国管理のために、明は自国民の海外渡航を禁止した(海禁政策)
- 入国管理のために、明は朝貢を求めて、勘合を発行した
- これらの目的は、倭寇を抑えるため
となります。
テストの話をすると、「日本が発行した勘合を使って、日明貿易が行われた」っていう文章は○か×か?みたいな問題がよく出ます。
が、ちゃんと仕組みとその背景にある「解決したいこと」を理解しておけば、「日本が勘合を発行したら、明からしたら意味ないじゃん。明が発行したんでしょ。」ってことで、当然×だ、って判断できます。
ちなみに、室町幕府の3代将軍である足利義満は、明の皇帝から「日本国王」の地位を認められます。(冊封されます)
つまり、「あなたが日本のリーダーです」って言われるんです。
天皇じゃないのに「日本国王」なのかよ!ってツッコミたくなるくらい、足利義満の存在感はすさまじかった、ってことです。
日明貿易でやり取りしたものは?(貿易品)
では、そんな日明貿易で、どんなモノがやり取りされたのか?です。
日本は銅や硫黄や刀などを輸出しました。
硫黄っていうのは、日本にとっての重大な輸出品でした。
温泉とか火山に行くと、卵みたいな匂いがプーンってするじゃないですか。あれは硫黄がちょっと変化したものの匂いです。日本は火山がたくさんあるので、硫黄が結構採れるんですよ。
この硫黄は、火薬の原料になるんです。
なので、火薬の利用が拡大するのにともなって、硫黄は日本にとっての重大な輸出品になりました。
一方、日本は銅銭(明銭)や生糸や陶磁器などを輸入しました。
銅を輸出して銅銭を輸入するって、わけわかんないことしている感じがしますが、当時の日本にはみんなが信用する貨幣を作る力がなかったんです。
このあたりについては、「鎌倉時代④(民衆の生活)」で説明をしました。
あと、生糸っていうのは、蚕の繭から作った糸のことです。
シルクとも言います。
鹿児島と中国との関係
- 薩摩半島の坊津などは倭寇の根拠地となった
- 島津氏は日明貿易の遣明船の警固などを担った
- 島津氏は硫黄などを輸出品として明と交易を行なった
②日朝貿易
次に、朝鮮半島との貿易(日朝貿易)について説明をします。
日朝貿易とは
朝鮮半島には高麗という国がありましたが、1392年に李成桂っていう人が高麗を滅ぼして朝鮮という国を作りました。
この朝鮮と、日本は貿易することになりました。
日朝貿易のシステム
朝鮮も倭寇に困っていました。
そこで、李成桂は日本に対して「関係を築きましょう。倭寇の取り締まりもお願いね。」って言いました。これを足利義満が受け入れて、日本と朝鮮との正式な関係が成立しました。
ここまでを聞くと「日明貿易と同じだな」って思うかもしれませんが、そうではありません。
日朝貿易は、幕府(国のリーダー)だけでなく、守護大名、各地の武士、商売をしている人(商人)も参加したんです。
朝鮮はいろんな人と貿易をした、ということです。
ですが、それだと結局うまくいかなかった(混乱が起きた)ということもあって、朝鮮は、貿易に参加する人を管理することを求めるようになりました。
その結果、対馬っていう島にいた宗っていう人(宗氏)が日朝貿易を管理する、という仕組みが整いました。(対馬は、ちょうど朝鮮半島と九州のど真ん中にあります)
日朝貿易でやり取りしたものは?(貿易品)
では、そんな日朝貿易で、どんなモノがやり取りされたのか?です。
日本は銅や硫黄や刀などを輸出しました。
一方、日本は木綿や仏教の経典を輸入しました。
木綿っていうのは、綿花から取れるワタから作った糸のことです。
コットンとも言います。
仏教の経典っていうのは、仏教の教えが書かれた書物のことです。
動画でも解説
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