古墳とヤマト政権について説明をします!
この記事を読むと
- 古墳がなんで重要なのか?についてわかる
- 古墳とヤマト政権の関係についてわかる
この記事の信頼性
僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
古墳とヤマト政権
※社会科チャンネルをやっています。チャンネル登録お願いします(クリック)。
古墳とヤマト政権っていうテーマで話をします。
で、今回の話に入る前に、ここまでの歴史についてまとめておいた方がわかりやすいと思うので、まとめます。
朝鮮半島から九州に稲作が伝わって、日本で稲作が広まったことによって、人々の生活が大きく変わりました。
動物を狩ったり魚をとったりする生活から、農業をするようになったんですね。
で、人々の生活が変わるなかで集団の中でリーダーが生まれて、社会の中に上下関係が生まれることになりました。
で、ある集団が別の集団を吸収したりして、だんだんと広い地域を支配する国みたいなものが誕生したんです。
じゃあ国のリーダーは何を考えるか?です。
国のリーダーは、自分の国を安定させたいんです。
自分の国を崩壊させたくないんです。
そのためにとった方法が、「強い人の影響力を利用する」っていう方法です。
ここでいう強い人っていうのは、中国のこと。
中国っていう「強い存在」の影響力を使う、つまり「オレは中国の皇帝に認められた存在なんだぜ」って言うことで、自分の国の支配を安定させようとしました。
そのために、国のリーダーは中国に使いを送ったりしたんですよね。
で、そのあと出てくる邪馬台国の卑弥呼も、人々を安定して支配するため、国を安定させるために、中国の影響力を使いました。
この後の歴史が、今回の動画のテーマです。
古墳ってなんで重要なの?
※社会科チャンネルをやっています。チャンネル登録お願いします(クリック)。
古墳についての話をする前に、ここまでの歴史がどうやってわかったのか?について少し話をします。
これ、この後の歴史を知るうえで大事なんですよね。
ここまでの歴史がどうやってわかったのか?というと、土の中から発掘されたモノを調べることによって推測したり、中国の歴史書に書かれている内容を参考にしたりすることでわかったんですね。
昔の日本人って、文字で自分の国の歴史について書いたりはしていないんですよ。
マジかよって感じですが、書いてないんです。
だから、発掘されたモノか中国の歴史書から推測するしかない。
で、邪馬台国ってその後どうなったの?っていうところが気になるんですけど、なんとなんと、
頼りになる中国の歴史書から、日本に関する文章が約150年間、なくなっちゃうんです。
266年に邪馬台国の誰々がこんなことをした、って書かれていたところから、次に日本についての文章が登場するのが約150年後。
つまり、日本の歴史が全然わからなくなっちゃったんですよね。
ちょうど4世紀の歴史がまるまる書かれていないので、「空白の4世紀」って言ったりします。
実は、邪馬台国が日本のどこにあったのか?っていうのはあんまりわかっていないんです。
近畿(奈良)あたりにあった説と、九州あたりにあった説があります。
で、なんでどこにあったのかがわからないのかっていうと、中国の歴史書に書かれなくなっちゃったからっていう事情があるんですよね。
じゃあどうやって歴史を知ればいいのか?です。
文字で書かれていないんだったら、土の中から発掘されたモノから推測するしかないわけです。
で、なんとちょうど日本の歴史が中国の歴史書から消えた時期くらいから、日本のあちこちで古墳っていう大きなお墓が造られるようになったんです。
別に大きなお墓自体はそんなに珍しいものじゃないんですけど、この時期に造られたお墓は不自然にみんな同じような形だったんですよ。
鍵穴みたいな形のお墓。
このようなお墓を、前方後円墳って呼びます。
なんだこれは?って感じじゃないですか。
日本のあちこちでみんな鍵穴みたいなお墓を作り出すんですよ。
偶然とは思えない。
で、この古墳は、当時の様子を知る上で、つまり歴史を知る上で、かなり参考になるだろうってことです。
中国の歴史書に日本のことが書かれなくなっちゃったけど、前方後円墳が日本のあちこちで誕生したっていうことから、当時の日本で何があったのかを予想するんです。
この古墳からわかることを3つ説明します。
1つ目。
古墳ってものすごく大きなお墓なので、造るためにたくさんの材料と労働力が必要ですよね。
ここから、この時期に富と権力をもった支配者が日本のあちこちで現れたっていうことがわかります。
この、富と権力をもった地域の有力者・支配者のことを豪族って言います。
2つ目。
前方後円墳っていう特殊な形のお墓が、九州から東北地方にまで広がって出現したんです。
ここから、各地の豪族が結びついて(共通の意識をもって)チームみたいなものを作っていたことがわかります。
サッカーのチームとかって、同じユニフォームをみんなで着るじゃないですか。
このような、各地の豪族が結びついて成立した連合体をヤマト政権って言います。
3つ目。
最初の頃の古墳の中で最も巨大なものは、奈良のヤマト(大和)地方にあったんですよね。
ここから、ヤマト政権の中心地が、奈良のヤマト地方にあったっていうことがわかります。
で、ここで思うのは、よくインターネットのない時代に広い地域にまたがる連合体が作れたよなっていうことなんですよね。
今だったら、LINEグループとかを作れば、「俺たち私たちは仲間だよね」って確認しあえるじゃないですか。
奈良のヤマト地方にいるボスが、LINEグループに入会させたり退会させたりする権限を持っていて、いろんな地域の人をまとめているようなイメージですかね。
でも、昔はそういうインターネットっていう便利なものはないんですよ。
しかも、新幹線や飛行機もないわけですから、直接会うのにもすごく時間がかかるわけです。
それなのに、広い地域にまたがるリーダー(豪族)達が、「オレたちは仲間だぜ」っていう感覚を共有するのって、本当にすごいですよね。
で、その「オレたちは仲間だぜ」っていう感覚を共有させるために、死んだ後に入るお墓の形を利用したわけですよ。
この発想、すごいですよね。
各地のリーダー(豪族)達は、前方後円墳にある種の憧れを抱いたってことですからね。
「ジャイアンツのユニフォームを着たい!」みたいな。
とにかく、こんな感じで、古墳っていうモノから当時の日本の歴史が推測できるんです。
そういう意味で、古墳っていうのは重要なのです。
まとめ
- 昔の日本人は、文字で自分の国の歴史について書いたりはしていない
- 中国の歴史書から、約150年間、日本に関する文章が消えた(空白の4世紀)
- ちょうどその時期くらいから、日本のあちこちで古墳っていう大きなお墓が造られるようになった
- その古墳の様子から、日本でヤマト政権っていう豪族の連合体ができたことが推測できる
動画でも解説
※社会科チャンネルをやっています。チャンネル登録お願いします(クリック)。
日本史の記事・動画一覧はこちら
参考文献
関連:高校日本史Bの参考書・問題集を東大卒元教員が紹介【大学受験にもおすすめ】
通信教育
学習漫画・参考書
社会科チャンネル
社会科(歴史・地理・公民・政治経済)の内容について、本質的な部分をわかりやすく解説するチャンネルです。