戦前の経済史をざっくりまとめました!
戦前の近代日本経済史
明治時代
大隈財政
くわしくはこちら→明治時代の経済(殖産興業・大隈財政・松方財政)
松方財政
くわしくはこちら→明治時代の経済(殖産興業・大隈財政・松方財政)
上からの産業革命
技術
- 外国から輸入し、官営模範工場を作った。
財源
- 地租改正により安定的な財源を確保した。
労働力
- 四民平等によって工場労働者を創出した。
- 高い小作料に苦しむ農村の過剰人口が大量の低賃金労働力となった。
くわしくはこちら→日本の産業革命について
日露戦争後の財政危機
日露戦争後、日本の国家財政は危機的な状況に陥った。
(1)産業革命の影響
1つ目の理由は産業革命です。
日清戦争前後の時期に紡績業が発展し、日露戦争前後の時期に重工業が発展しました。このこと自体は悪いことではありませんが、問題は「紡績業の原料となる綿花」や「重工業で必要な機械や鉄」は外国からの輸入に依存していた、ということでした。
産業革命にともなって経済が発展していけばいくほど貿易赤字が拡大していく…という状態だったわけです。
(2)植民地への進出の影響
2つ目の理由は植民地への進出です。
日本は日清戦争で台湾を獲得し、日露戦争後は南満州に進出し、さらに韓国を植民地化しました。
今まで「日本」ではなかったところに進出するわけなので、当然、たくさんのお金がかかります。植民地への進出が国家財政を圧迫することになりました。
(3)日露戦争の影響
3つ目の理由は日露戦争です。
日露戦争は新しい兵器が使われる大規模な戦争で、巨額の軍事費が必要な戦争でした。
この軍事費をなんとかして確保しなければいけません。日本は増税をしたり(非常特別税:約3億)、イギリスやアメリカからお金をたくさん借りたり(外債募集:約7億)しました。
が、日露戦争では(日清戦争の時とは違って)賠償金を獲得できなかったんです。この結果、日本は借金の返済にかなり苦しむことになりました。
これら3つの理由から、日本は国家財政の危機に直面することになり、このことが国内政治にかなりのインパクトをもたらすことになります。
くわしくはこちら→日露戦争後の財政危機と大正政変
大正時代頃〜
大戦景気
第一次世界大戦のおかげで、日本は日露戦争後から続く国家財政の危機から抜け出すことができた。
(理由)日本は第一次世界大戦の戦場にはならず、輸出を拡大することができたから。
第一次世界大戦によって大きく3つの変化が起きた。
- ヨーロッパ諸国が軍需品を日本に求めた
- ヨーロッパ諸国がアジア市場にモノを売る余裕がなくなった
- アメリカが好景気になってストッキングなどの需要が大きくなった
そこで日本は、以下の対応をした。
- ヨーロッパ諸国に軍需品を輸出
- アジア市場に綿織物などを輸出
- アメリカにストッキングの原料である生糸などを輸出
→この結果、貿易は大幅な輸出超過に。
こうして、日本は好景気になり(大戦景気)、日露戦争後から続く国家財政の危機から抜け出すことができた。
と同時に、三井・三菱などの財閥がさらに力を伸ばして、成金と呼ばれるお金持ちが増えることになった。
くわしくはこちら→第一次世界大戦中の日本の行動と影響
海外市場や植民地の役割が大きくなった
:台湾、朝鮮、南満州
(理由)
低所得な国民が多く、国内市場が狭かったから
- 労働条件が劣悪
- 労働運動の弾圧
- 小作農が多い
国内に天然資源がないから
- 原油、天然ゴム、鉄鉱石など
大正末期~昭和初期の不況で、社会不安が激化したから
恐慌の時代
くわしくはこちら→金融恐慌とは?
井上財政
くわしくはこちら→井上財政とは?
高橋財政
くわしくはこちら→高橋財政とは?
統制経済
くわしくはこちら→
動画でも解説
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参考文献
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社会科チャンネル
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