日本史

日本の産業革命についてわかりやすく【日本の歴史57-2】

 

 

産業革命とは

産業革命=機械を使った工業生産が広まる過程(=今まで手動だったものが自動になる)

 

産業革命はいつ起こった?

日本の産業革命は1880年代後半頃から始まりました。

1880年代後半:紡績業・鉄道業で株式会社設立ブーム(企業勃興)

日清戦争前後:紡績業を中心に産業革命が進む

日露戦争前後:重工業部門の産業革命が進む&経済危機に直面

 

 

日本の産業革命のポイント

大まかな全体像

軽工業から産業革命が進んだ。

2つの糸

  • 紡績業
  • 製糸業

 

重工業は遅れて発展。

民間企業はあまり発達せず

鉄鋼の国産化を目指して1897年に官営八幡製鉄所を設立

日露戦争後、民間重工業が発達し始める

  • 日本製鋼所
  • 池貝鉄工所
  • 水力発電事業

 

 

紡績業

製品=綿糸

  • 綿花の繊維をより合わせて(ねじって、からみつくように一体化させて)糸を作る。

産業革命の中心

綿糸の機械制生産が急増(今までの手紡ぎ・ガラ紡による綿糸生産を圧迫)

「日本は綿糸を大量に輸入していた→自分の国で作ろう!」っていう動機

幕末以来、イギリス製綿製品の輸入に圧迫されて、綿花栽培が壊滅。綿糸・綿織物の生産も衰える

→綿織物生産が次第に上向く(輸入綿糸と、飛び杼を取り入れて改良した手織機を使用)

→「原料の綿糸を国産したい!」

渋沢栄一が1882年に大阪紡績会社を設立

  • 輸入の紡績機・蒸気機関を使う
  • 大規模経営に成功(1万錘)
  • 昼夜2交代の24時間操業

 

 

しかし、紡績業は生産拡大にともない貿易赤字を生む産業だった。

(理由)

原料の綿花と機械を輸入に頼っている

輸出しない限り、外貨は出ていくばかり…

日清戦争後にやっと輸出産業になった(to中国・朝鮮)

  • 1890年に、綿糸の生産量が輸入量を上回る
  • 1897年に、綿糸の輸出量が輸入量を上回る

(輸出産業へと発展した理由)

  • 日清戦争で中国に勝利した後、綿糸などの日本製品を有利な条件で中国市場に輸出できるようになった
  • 貧しい農家の子女が工場で低賃金で働いたことで、製品価格を抑制できた
  • 1893年にボンベイ航路が開かれて輸出しやすくなった
  • 1896年に政府が綿花輸入関税を撤廃した

 

 

製糸業

製品=生糸

  • 蚕の繭をお湯で煮て、繭から糸を巻き取っていく。

幕末以来の最大の輸出産業(=外貨を得る手段)(toアメリカ)

紡績業による貿易赤字を抑制する重要な産業

(理由)

原料の繭と器械は国産でまかなわれている

→製品を輸出すれば、外貨を獲得できる

※当初は座繰製糸が普及。やがて器械製糸(フランスなどからの輸入機械に学んで元々あった技術を改良して作成)の小工場が長野・山梨などの農村地帯に続々と生まれた。

 

 

 

重工業

鉱山業

1884年頃からの官営事業払下げにより、三井・三菱・古河などの政商が優良鉱山の払下げを受けた(→政商から財閥へと成長していく)

  • 三菱:高島炭鉱@長崎
  • 三井:三池炭鉱@福岡

 

鉄鋼業

重工業の基礎となる鉄鋼の国産化を目指して、1897年に官営八幡製鉄所を設立(→1901年に操業開始)

  • 筑豊炭田から石炭を入手
  • 中国の大冶鉄山から鉄鉱石を輸入
  • 日清戦争の賠償金の一部を使って建設

 

 

交通

鉄道業

物資の輸送・軍事輸送の必要性から、鉄道業が発展。

  • 日本鉄道株式会社:日本初の民営鉄道会社(←1881年に華族・士族が出資して、東北線を経営。北海道開拓を支える鉄道の建設するために。)

※西南戦争の出費などで財政的にキツかったので、民間資本を取り入れて鉄道を敷設

 

海運業

1870年代に郵便汽船三菱会社が政府の保護を受けて発展。

 

三菱と政府の関係

三菱は、明治期に政商として巨万の利益を得て、その礎を築いた。

  • 欧米の海運会社が独占していた内外航路から外国汽船会社を駆逐するため、明治政府の保護を受けて「郵便汽船三菱会社」と改称
  • 台湾出兵や西南戦争の際には軍事輸送を担う
  • 大久保利通、大隈重信の後ろ盾があった

→しかし、1878年に大久保利通は暗殺され、大隈重信は1881年に失脚する

→政府は三井を使って半官半民の共同運輸会社を設立→競争

→岩崎弥太郎の病死後、三菱、共同運輸の共倒れを恐れた政府が調停し、1885年、両社が合併して日本郵船会社が設立された。

 

 

なぜ産業革命が起きたのか?(背景)

  • 秩禄処分、松方財政でのデフレ・不況により資本家層・労働者層が形成された
  • 銀本位制の確立によって物価が安定した

 

資本家層・労働者層が形成された(←秩禄処分、松方財政でのデフレ・不況)

そもそも、お金をたくさん持っていないと「○○の会社を作ってガッツリお金儲けしよう!」とはなかなか考えないですよね。

また、お金をたくさん持っている人が会社を作ったとしても、そこでマジメに働いてくれる人がいないと会社は成長しませんよね。

 

明治時代初期には、お金持ちが生まれるタイミングと労働者層が形成されるタイミングがありました。

秩禄処分

秩禄を受け取っていた華族・士族に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与えて、秩禄を全廃しました。

この結果、政府の支出は削減され、まとまったお金をゲットした人が登場します。

 

→多額の公債を交付された華族・上級士族は、それを国立銀行や株式会社などに投資。

 

松方財政

日本の財政を担当していた松方正義は、

  • 増税を行う
  • 軍事費以外の歳出を徹底的に減らす(緊縮財政)

という政策を行いました(松方財政:1882年頃〜)

 

この結果、市場に出回っている紙幣の量をが減り、デフレーションが進行します。

そして、農村経済は深刻な不況に陥りました。

  • 米価・繭価など農産物価格が大きく下落
  • 農民は定額の税(地価の3%)を現金で納めなきゃいけないので、実質的に負担が増えた

 

こうして、生活費をなんとかゲットするために土地を売る農民が増え、それとともに没落する農民も増加(→労働者に)

一方で、余裕のある地主は彼らの土地を買い集めて、さらに成長(→資本家に)

※土地の売買ができるようになった背景に、1872年の「田畑永代売買の禁令解除」と「地券の発行」があります。

 

 

物価が安定した(←銀本位制の確立)

モノの値段の変化が激しいと(=物価が不安定だと)、経済活動はしにくいですよね。

例えばアップルパイを作る仕事をする時に、原料のリンゴが1個50円だったのが来週には300円になるかもしれない…ってなったら、計画や見通しを立てにくくて困ります。

 

明治新政府は物価を安定させるために(貨幣の信用を確保するために)貨幣制度を整えていきました。

最終的に、1885年に銀本位制を確立して物価を安定させることに成功しました。

  • 貨幣を銀といつでも交換できる(銀兌換できる)ようにして、貨幣の価値を銀で裏付けし、貨幣への信用を高めた。

※1897年には、国際標準だった金本位制を確立。外国との商売(=貿易)もしやすくなった。

 

 

産業革命の影響・結果

農業の発展が相対的に遅れた

(政府の対応)

  • 地方改良運動(江戸時代以来の村落共同体である旧町村を、行政単位としての新しい町村に再編成し、その租税負担力の増加を図る)

 

労働運動が発生した

  • 待遇改善や賃金引き上げを要求する工場労働者のストライキが行われた
  • 1897年:労働組合期成会が結成された(by高野房太郎、片山潜)→労働運動の指導に乗り出す

(政府の対応)

  • 1900年:治安警察法(労働者の団結権・ストライキ権を制限して労働運動を取り締まる)
  • 1911年:工場法を制定(資本家の反対により不備がありまくり)

 

社会主義運動が始まった

  • 1901年:社会民主党の結成(by安部磯雄ら)

(政府の対応)

  • 前年に制定された治安警察法にもとづき、結成直後に禁止した。

 

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公害問題が発生した

  • 1891年:足尾鉱毒事件

(政府の対応)

  • 谷中村に遊水池を建設して洪水対策を講じる
  • 被害を受けた地域住民の要求は受け入れず

 

参考文献

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