明治新政府が誕生した後、どのように日本経済を発展させていったのか?についてまとめました!
明治政府が目指したこと
「国を豊かにしたい!強くしたい!」(=富国強兵)
「そのために経済を発展させたい!」(=殖産興業)
ってのが、明治政府が目指したことです。
明治時代の経済の具体的な説明に入る前に、、、
経済が発展するために必要なことは何なのか?
を考えてみたいと思います(→ここを理解しておくと勉強がしやすくなるので)。
経済発展のために必要なこと
お金をたくさん持っている人(=資本家)
お金をたくさん持っていないと、そもそも「〇〇の会社を作って、ガッツリお金儲けしよう!」とはなかなか考えないですよね。
関係する歴史的事項
秩禄処分、松方デフレによる地主の成長
たくさんのお金を貸してくれる人(=銀行)
「事業を立ち上げてそれで利益を出そう!」と思ったら、元手となるお金がたくさん必要で、手持ちのお金だけでは足りないことが多いです。
なので、誰かからお金を借りたりもらったりする必要が生じます。
関係する歴史的事項
国立銀行条例、秩禄処分
マジメに働いてくれる人(=労働者)
お金をたくさん持っている人が会社を作ったとしても、そこでマジメに働いてくれる人がいないと会社は成長しません。
関係する歴史的事項
学制、地租改正、松方デフレによる農民の没落
発展の見本・モデル
何らかの事業を起こして経済活動をする際には、参考になる(マネできる)見本・モデルがあった方が良いですよね。
関係する歴史的事項
お雇い外国人、官営模範工場
土地の所有権
経済活動をする際はどこかに工場を作ったりオフィスを作ったりするわけですが、
もしその土地の所有権がはっきりしていなかったら、「その土地から出ていけ!」って言われたりして厄介です。
関係する歴史的事項
地券発行、地租改正
物価の安定(貨幣の安定)
モノの値段の変化が激しいと(=物価が不安定だと)、経済活動はしにくいです。
例えばアップルパイを作る仕事をする時に、原料のリンゴが1個50円だったのが来週には300円になるかもしれない…ってなったら、計画や見通しを立てにくくて困りますよね。
関係する歴史的事項
新貨条例、国立銀行条例、日本銀行、銀本位制、貨幣法(→金本位制)
交通網、通信網
商売をする際は、原料をどこかから仕入れたり製品をどこかに運んだりする必要がありますよね。
あと、遠くにいる人と連絡を取らなければいけないことも多い。
交通網、通信網が整備されていないと、経済活動はしにくいです。
関係する歴史的事項
郵便制度、鉄道、電信線、海運業
明治時代の経済
一言で言うと、江戸幕府が滅亡してから日本経済はどんどん成長していったよ、ってことなんですけど、、、
明治時代の経済について勉強する時は、次の2つの観点に着目するとわかりやすいと思います!
- 「経済発展に必要なこと」を整備していく過程
- 経済発展の具体的な中身(歴史的事項)
全体像(殖産興業)
- 「国を豊かにしたい!強くしたい!」(=富国強兵)
- 「そのために経済を発展させたい!」(=殖産興業)
って政府が考えて殖産興業を掲げている中で、1880年代後半から産業革命が進んだ
っていう構造です。
この流れを4つの時期に分けて説明したいと思います!
- 大隈財政の時期(明治政府成立〜1881年頃)
- 松方財政の時期(1881年頃〜1892年頃)
- 日清戦争前後
- 日露戦争前後
※日清戦争前後・日露戦争前後は超ざっくり
※正確な時系列にこだわらず、わかりやすさ重視で説明していきます!
①大隈財政の時期
政府みずから日本経済を引っ張った時期(基礎を作ろうとした時期)です。
※見本・モデルが日本にない時期だったので、外国人教師(お雇い外国人)に指導してもらった。
そして、政府自身が見本・モデルを作っていった(→官営模範工場)
(例)1872年:富岡製糸場(@群馬)
新貨条例(1871年)
金融資料館@小樽 より
江戸時代の貨幣制度を改めて、日本全国で統一の貨幣制度を作ろうとした。
- 金(ゴールド)で貨幣の価値の裏付けをする(1円=金1.5g)
- 単位は円・銭・厘
- 外国人にもわかりやすい10進法
→しかし、貿易では銀が使われた。
国立銀行条例(1872年)
金融資料館@小樽 より
渋沢栄一が中心となって国立銀行条例を制定。
安定した価値をもつ紙幣を発行しようとしたが、うまくいかず。
- 政府認可の民間銀行(=国立銀行)に紙幣を発行させる
- 紙幣に金貨との兌換を義務づける
- 4行しか設立されなかった
- 銀行が発行した紙幣は信用されなかった
交通・通信の整備
交通
- 1872年:新橋・横浜間の鉄道が開通
- 政府は郵便汽船三菱会社(岩崎弥太郎が経営)を保護し、軍事輸送を行わせる
通信
- 1871年:郵便制度スタート(←前島密)
- 電信線の整備
田畑永代売買の禁令を解く(1872年)
土地の売買ができるようになった。
地券を発行(1872年)
地券所持者に土地の所有権を認めた。
地租改正(1873年)
政府の税収が安定した一方で、
農民は定額の税を現金で納めなきゃいけなくなり、不況時に没落しやすくなった。
くわしくはこちらの記事で。
秩禄処分(1876年)
秩禄を受け取っていた華族・士族に年間支給額の5〜14年分の額の金禄公債証書を与えて、秩禄を全廃した。
この結果、政府の支出は削減され、まとまったお金をゲットした人が登場した。
→多額の公債を交付された華族・上級士族は、それを国立銀行や株式会社などに投資。
国立銀行条例改正(1876年)
金融資料館@小樽 より
秩禄処分を機に、国立銀行設立の条件をゆるめた。
- 国立銀行が発行する紙幣の兌換義務を取り除いた(→不換紙幣)。
- 銀行設立において、金禄公債証書による出資を認めた。
この結果、商人・地主や金禄公債証書で出資する華族・士族によって国立銀行が次々と設立された。
→国立銀行が不換紙幣を発行しまくったことにより、激しいインフレーションが起こった。
地租を3%から2.5%に(1877年)
地租改正反対一揆を受けて、政府は地租の税率を3%から2.5%に引き下げた。
西南戦争(1877年)
金融資料館@小樽 より
政府は不換紙幣を発行しまくって戦費を調達した。
→激しいインフレーションが起こった。
※西南戦争の際、軍事輸送は郵便汽船三菱会社(岩崎弥太郎が経営)に行わせた。
寺島宗則が関税自主権の回復を目指す(1878年)
国内産業の保護と政府歳入の増加を目的として関税自主権の回復をめざした。
←1870年代後半はインフレ急進+地租2.5%に
アメリカと改正交渉に入ったが、途中で断念。失敗。
官営事業払下げ(1880年〜)
激しいインフレーションにより、定額の地租を中心とする政府の税収は実質的に減少。財政難に。
そこで、官営事業を払い下げる(=民間に売る)ことで赤字を減らそうとした。
※工場払下げ概則というルールに基づいて。
しかし、あまり進まず…。
※この流れの中で、開拓使官有物払下げ事件が起きる。
明治十四年の政変(1881年)
大隈重信が政府から追放されて失脚。大隈財政は終了。
くわしくはこちらの記事で。
明治十四年の政変で大隈重信が政府を追放された後、松方正義が大蔵卿に就任し、ここから松方財政がスタートする。
②松方財政の時期
物価を安定させるために、思い切った経済政策を行って不況に導いた時期です。
当時の状況
- 不換紙幣が発行されまくっていて、激しいインフレが起こっている。
- インフレのせいで政府の税収が実質的に減少し、財政難に陥っている。
松方正義の政策
不換紙幣を政府が回収して、処分する!
そのために、、、
- 増税を行う
- 軍事費以外の歳出を徹底的に減らす(緊縮財政)
※中国との戦争が起こるかもしれない時期だったので、軍事費は削減できなかった。
そして、物価を安定させる!
日本銀行を設立(1882年)
金融資料館@小樽 より
紙幣(銀行券)を発行できる唯一の銀行(=中央銀行)。
国立銀行条例再改正(1883年)
国立銀行から紙幣を発行する権利を取り上げた。
銀本位制を確立(1885年)
金融資料館@小樽 より
不換紙幣を政府が回収・処分し、1円紙幣の価値=1円銀貨の価値に近づいたところで、1885年から日本銀行に銀と兌換できる紙幣を発行させた。
→物価安定
デフレーションが進行
市場に出回っている紙幣の量を減らす松方正義の政策により、デフレーションが進行した。
この結果、農村経済は深刻な不況に。
- 米価・繭価など農産物価格が大きく下落
- 農民は定額の税を現金で納めなきゃいけないので、実質的に負担が増えた
こうして、生活費をなんとかゲットするために土地を売る農民が増え、それとともに没落する農民も増加(→労働者に)。
一方で、余裕のある地主は彼らの土地を買い集めて、さらに成長(→資本家に)。
官営事業の払下げを促進(1884年〜)
1884年に工場払下げ概則を廃止し、軍事工場と鉄道を除く官営事業の払下げを一気に進めた。
払下げを受けたのは、政治家と親しい資本家(=政商)だった。こうして、資本家がどんどん成長していく。
産業革命が進展(1880年代後半〜)
紡績業・鉄道業で株式会社設立ブームが起きた(企業勃興)。
産業革命について、くわしくは別記事で。
関連:日本の産業革命について
③日清戦争前後
1895年の下関条約で巨額の賠償金をゲット。
この賠償金を使って、軍備拡張を進め、金本位制を確立した。
- 1897年:八幡製鉄所
- 1897年:貨幣法(→金本位制の確立)
くわしくは産業革命の記事で。
④日露戦争前後
経済発展にともなって、利害関係者(経済に関わる人)が増えた。
→(僕の予想ですが)このことと政党の成長は密接につながっているはず。地主などのお金持ちは、自分の利益を拡大してくれそうな政党(立憲政友会)に投票するはずなので。
一方で、農村は経済発展から取り残された。
また、労働者は劣悪な環境で働かされた(→社会主義勢力の登場)。
社会主義の歴史については別記事参照。
1905年のポーツマス条約で、賠償金をゲットできなかった。
→経済危機が進行(第一次世界大戦中の大戦景気まで脱却できず)。
また、日本経済に占める植民地の役割が大きくなった(← 原料の調達場所、市場として)。
- 台湾、朝鮮、南満州
動画でも解説
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参考文献
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社会科(歴史・地理・公民・政治経済)の内容について、本質的な部分をわかりやすく解説するチャンネルです。