日本におけるビール産業の歴史をざっくりまとめました!
明治時代
ビール産業の勃興
幕末の横浜港開港にともない、居留地に住む外国人向けのビール産業が勃興した。
1859 横浜港が開港される(←日米修好通商条約)
→日本とアメリカとの商売がスタート
→日本はビールを輸入
→日本国内でビールを作ろうとする人が現れる
1869 日本初のビール醸造所「シャパン・ヨコハマ・ブルワリー」開設 @横浜
1870 ウィリアム・コープランドが「スプリングバレー・ブルワリー」開設 @横浜
1872 新橋〜横浜間の鉄道が開通
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ビールが普及
だんだんビールが普及し始めた。
1876 政府の開拓使が開拓使麦酒醸造所を設立
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ビール企業の乱立
次々とビール企業が設立された。
1885 キリンビールの前身「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」設立 @横浜
※グラバーや岩崎弥之助が尽力
1887 「日本麦酒醸造会社」設立 @東京
1887 「札幌麦酒会社」設立 @北海道
1889 「大阪麦酒会社」設立 @大阪
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ビール企業の淘汰・整理
ビール企業の間で激しい競争が起こり、淘汰・整理されていった。
1888 ジャパン・ブルワリー・カンパニーが「キリンビール」を発売
1890 日本麦酒醸造会社が「恵比寿ビール」を発売
1892 大阪麦酒会社が「アサヒビール」を発売
1901 無税であったビールに麦酒税が課される
1906 札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒が合併し、「大日本麦酒株式会社」設立
1907 ジャパン・ブルワリー・カンパニーの事業を引き継ぎ、「麒麟麦酒株式会社」設立
※三菱財閥の傘下
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大正時代
海外展開が進む
第一次世界大戦によりビールの海外展開が加速した。
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昭和(戦前)
ビールが統制対象になる
戦時体制が整うとともにビールも統制対象となった。
1939 ビールが統制価格に
1940 家庭用ビールの配給が始まる
1943 ビールの銘柄商標廃止(→ラベルが「麦酒」に統一される)
ビールの生産量が減少
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昭和(戦後)
ビール産業の復活
戦後の混乱を経て、ビール産業が復活した。
1949 ビールの自由販売再開
1949 過度経済力集中排除法により大日本麦酒が分割される
大日本麦酒
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朝日麦酒(アサヒビールの前身)
日本麦酒(サッポロビールの前身)
1949 ビールの商標が復活
1953 ビールの年間生産量が戦前のピークを超えた(←1939)
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ビール企業の競争(朝日麦酒の停滞)
西日本で展開していた朝日麦酒の市場占有率が低下した(←高度経済成長にともなう東京一極集中などが背景)
1963 サントリーがビール事業を再開
1964 日本麦酒が会社の称号を「サッポロビール」に変更
1971 サッポロビールが「エビスビール」を発売
1978 アメリカのビール「バドワイザー」が日本で発売
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ドライ戦争(朝日麦酒の復活)
1987 朝日麦酒が「スーパードライ」を発売(→朝日麦酒が復活)
1988 ビール各社が次々とドライビールを発売
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平成
酒の志向が多様化
1989 ビール会社がミニブルワリーでビールを醸造(←多様なビールを少量生産するため)
1990 輸入ビール人気が急上昇
1991 低アルコール化志向によりチューハイが人気に
1994 酒税法改正により「地ビール」が誕生(←ビール製造免許基準が緩和され、大手メーカーだけでなく中小メーカーもビール事業に参入できるようになった)
1994 デフレにより発泡酒市場が成長
2003 酒税法が改正され、発泡酒の税率が引き上げられた
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令和
人口減少に伴う国内市場縮小の中で競争が激化
キリンの戦略
アサヒの戦略
サッポロの戦略
サントリーの戦略
↓僕が好きなビール
通信教育
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