なぜ仏教は世界宗教になり、ヒンドゥー教はならなかったのか?
世界には多くの宗教がある。その中でもキリスト教、イスラム教、仏教は信者の数が特に多く、「世界宗教」と呼ばれている。
では、同じインドで生まれたにもかかわらず、仏教は世界宗教となり、ヒンドゥー教はそうならなかったのはなぜだろうか?
ヒンドゥー教
インドへの侵入者が起源
ヒンドゥー教の起源は、紀元前1500年ごろ、インドにやってきたアーリア人(「高貴な人」という意味)にさかのぼる。

彼らは当時の先住民よりも軍事力や技術において優れていたとされ、インド北部に定住しながら、自らの支配を正当化する思想体系を築いていった。
その中心にあったのが、「ヴェーダ」と呼ばれる宗教文書である。
ヴェーダには、自然神への祭祀の方法や、司祭階級であるバラモンの役割が記されており、やがてこの宗教体系は「バラモン教」と呼ばれるようになる。
この段階で、すでに「バラモン(上の身分)が社会の中心にいることは当然である」という考えが、宗教によって正当化されていたと考えられる。
ヒンドゥー教へと発展
バラモン教は時代とともに、さまざまな民間信仰や哲学、神話(シヴァ神やヴィシュヌ神への信仰など)を取り込みながら、現在のヒンドゥー教へと発展していった。

その中心にあるのが、以下のような思想である。
- カースト制度:バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラという4つのヴァルナ(身分階層)を、「生まれによって当然に与えられるもの」として正当化する考え方。
- 輪廻とカルマ:前世の行い(カルマ)が、今世の身分や運命を決定するという思想。
- ダルマ:生まれによって与えられた役割や義務を果たすことが、良い来世につながるとする教え。
こうした思想は、社会における不平等を「仕方のないもの」「受け入れるべきもの」として人々に納得させる論理として機能した。たとえば、「あなたが今苦しいのは、前世で悪い行いをしたから」「来世を良くするためには、今の身分のまま与えられた義務(ダルマ)を果たすべきだ」といったように。

このような教えは、社会秩序の安定には役立ったが、弱者を積極的に救うようなものではない。むしろ、社会の序列(身分制度)を肯定し、それを維持する側面を強く持ち、弱者の現状を変えるよりも「我慢して受け入れなさい」と教える面がある。
そのため、キリスト教やイスラム教のように「すべての人に救いが開かれている」「誰でも信仰できる」といった普遍的な教えではなかった。このことが、ヒンドゥー教が世界宗教になりにくかった大きな要因のひとつと考えられる。
仏教
一方、仏教は、当時のバラモン教(ヒンドゥー教の前身)が正当化していた身分制度や差別に対する「カウンター(批判・抵抗)」として誕生した思想体系である。
仏教を開いたゴータマ・シッダールタ(ブッダ)は、インド社会に根づいていた不平等な身分制度に疑問を投げかけた。その考えを象徴するのが、次のような言葉である。
「バラモン(尊い人)とは、生まれによってではなく、その生き方によって決まる」

仏教は、
- 下層民や女性、異民族であっても、出家して修行すれば悟りに近づける
- 富や身分ではなく、心のあり方や実践の姿勢こそが大切
- 内面的な努力(瞑想や修行)を重視し、形式的な祭祀や神への供物を必要としない
という特徴を持っていたのだ。こうした思想は、当時の多くの人々にとって、「誰にでも開かれた救い」として受け入れられ、希望のよりどころとなる。
インド国内では、その後ヒンドゥー教に再吸収されるようなかたちで勢いを失ったが、仏教の「普遍的な救済」というメッセージは、国境を越えて東南アジアや東アジアの人々の心に深く響き、広く受け入れられていくことになった。
世界宗教とは
ここまでの話を整理すると、「世界宗教」とは次のような特徴を持つ宗教だと言える。
- 生まれや身分を問わず、誰にでも救いの可能性がある
- 社会の不安や格差に対して、生きる意味や希望を与える
仏教、キリスト教、イスラム教が広く世界に広まったのは、過酷な状況に置かれた人々に対して「あなたにも価値がある」「あなたも救われる」と語りかける力があったからだろう。

一方、ヒンドゥー教は、カースト制度や輪廻思想を通じて、人の生まれや身分によって救いや義務が決まるという、閉じた価値観を内包していた。その教えは、社会秩序の維持には役立ったが、すべての人に救いをもたらす普遍的なメッセージを持っていなかった。
そのため、ヒンドゥー教はインドという地域社会に深く根づいた宗教にはなっても、国境や文化を越えて広がる「世界宗教」とはなり得なかったのである。

ちなみに、ユダヤ教もヒンドゥー教と同様に「世界宗教」にはなっていない。
その理由は、信仰の対象がユダヤ人という特定の民族に限られているためである。ユダヤ教では「神に選ばれた民」はユダヤ人に限定されており、他民族に改宗や布教を積極的に行うことは基本的にない。
このように、民族的・文化的な枠を超える「普遍性」を持たない宗教は、原則として地域宗教にとどまる傾向がある。