アジア・太平洋戦争についてまとめました!
太平洋戦争の目的
日本を経済的に封鎖する「ABCD包囲陣」を打ち破る
日中戦争が長期化するなかで、日本はオランダ・フランス・イギリスの植民地がある東南アジアに進出した(南進)。
(理由)
- 石油やゴムなどの資源を手に入れるぞ!
- 欧米諸国が中国を支援しているルート(援蒋ルート)を断ち切るぞ!
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アメリカが日本への石油の輸出を禁止し、イギリスやオランダも同調(ABCD包囲陣)。
日本の軍部は危機感を抱いた。
経済封鎖を打ち破らなければ、日中戦争で勝つことはできない!!
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日本を経済的に封鎖する「ABCD包囲陣」を打ち破るには戦争以外に道はないと主張した。
なぜアメリカとの戦争を決意したのか?については、日米交渉と対米開戦の記事でくわしく説明しています!
太平洋戦争の経過
日本の奇襲により開戦
1941.12.8 海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃
1941.12.8 陸軍がイギリス領のマレー半島に奇襲上陸
→太平洋戦争スタート
最初はいい感じ
最初(緒戦)は好調で、日本は東南アジアから南太平洋まで支配を広げた。
- シンガポール(イギリスの軍事拠点)
- フィリピン(アメリカ領)
- ビルマ(イギリス領)
- インドネシア(オランダ領)
※緒戦=戦争が始まったばかりのころの戦闘
半年で形勢逆転
しかし、1942年6月のミッドウェー海戦で敗北して以降、アメリカの反攻が本格化した。
1942.6 ミッドウェー海戦
- ミッドウェー島はハワイ諸島の北西にある(北アメリカ大陸とユーラシア大陸の中間点←だからMidway)
- 日本軍がミッドウェー島を攻略しようとした
- 日本海軍は空母4隻と艦載機約290機を失う(航空母艦「赤城」が有名)
1943.2 ガダルカナル島で敗北
- ガダルカナル島はソロモン諸島最大の島(オーストラリアの北東、パプアニューギニアの東)
- 大量の輸送船を失う
1943.9 イタリアが降伏
→第二次世界大戦が最終段階に入った
1944.3 インパール作戦の失敗
- イギリス領インドへの侵攻を目指していた
敗戦必至に
1944.7 サイパン島が陥落
→東京が空襲圏に入った
1944末〜 本土空襲
この時期から特別攻撃隊による体当たり戦法を採用し始める
1945.3 東京大空襲
1945.2~3 硫黄島の戦い
1945.3~ 沖縄戦
- 鉄血勤皇隊
- ひめゆり学徒隊
- 集団自決
関連:沖縄の歴史
関連:沖縄旅行の記録
1945.5 ドイツが無条件降伏
→残る敵国は日本のみに
終戦へ
鈴木貫太郎内閣はソ連を仲介とする終戦工作を進めようとした(「国体護持」が目標)。
連合国の動き
1943.11 カイロ会談
- アメリカ・イギリス・中国(※ソ連は日本と戦争状態にあったわけではなかった)
- 連合国の対日方針と戦後のアジアについて話し合われた
1945.2 ヤルタ会談
- アメリカ・イギリス・ソ連
- ヨーロッパ戦後構想の大枠を決定
- ドイツ降伏後2~3ヶ月以内のソ連の対日参戦を密約
- その見返りに千島列島をソ連の領土とすることに
1945.7 ポツダム会談
- アメリカ・イギリス・ソ連
- ドイツ降伏後の戦後処理について話し合われた
1945.7 ポツダム宣言
- アメリカ、イギリス、中国
- ポツダム会談とは別物(ポツダム会談の公式日程で対日問題は協議されなかった←この会議とは別に、アメリカは対日降伏勧告文書を用意していた)
- 日本に降伏を勧告
1945.7.28 ポツダム宣言を黙殺
1945.8.6 ヒロシマ
アメリカとソ連との間で駆け引きが行われていた
アメリカは1945.7 原爆実験に成功
→大統領は原爆投下を命令
=ソ連の参戦なしに日本を降伏させようとした
1945.8.8 ソ連の参戦
ソ連はアメリカの行動に衝撃を受け、日ソ中立条約を破って1945.8.8 満州などに攻め込む。
※現在の北朝鮮と韓国の間くらいまで攻め込む(→だから戦後、朝鮮半島がアメリカとソ連によって分割統治されることになった)
1945.8.9 ナガサキ
1945.8.14 ポツダム宣言受諾
1945.8.15 玉音放送
1945.9.2 降伏文書に調印
動画でも確認
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