【日本史】横浜正金銀行とは?わかりやすく:なぜか教科書で太字なやつ

横浜正金銀行が教科書に太字で書かれている理由(=大事な理由)について説明します!
横浜正金銀行とは

1880年、貿易金融を目的として設立された銀行。1887年に特殊銀行となる。1931年の金本位制離脱後には、為替統制の中心機関。1946年、普通銀行に改組し、東京銀行として再発足。1996年から東京三菱銀行、現在は三菱東京UFJ銀行。
日本史用語集 改訂版 A・B共用
ざっくり一言で言うと

横浜正金銀行
=貿易しやすくするために(外国と商売しやすくするために)設立された銀行
しっかり理解するために、まず「そもそも貿易に必要なものって何なの?」っていうところから考えてみます。
貿易に必要なものは?
輸出に必要なもの




- 「貿易しましょう!」というお互いの合意(商談)
- 外国に売る商品
- 商品を運ぶための手段(→日本は海に囲まれているので、船が使われた)
- 相手から無事にお金が届くようにするための仕組み(価値の運搬手段)
輸入に必要なもの




- 「貿易しましょう!」というお互いの合意(商談)
- 商品を運ぶための手段(→日本は海に囲まれているので、船が使われた)
- 外国から商品を買うためのお金(=価値の交換手段)
- 相手に無事にお金を送り届けるための仕組み(価値の運搬手段)
相手からモノを買う時には、「相手が価値を感じているもの」をこちら側が持っている必要がある

(例)日本国内では、日本人は日本のお金(円)に価値を感じている。だからこそ、日本円を使ってモノを買うことができる。
(例)僕モチオカが日本円をまったく持っておらず、「モチオカマネー」しか持っていなかった場合、誰もモチオカマネーになんか価値を感じないので、僕はモノを買うことができない。
(例)外国からモノを買いたい時、相手国の人が日本円にまったく価値を感じていない場合は、日本円を使ってモノを買うことができない。
(例)外国からモノを買いたい時、相手国の人がドルに価値を感じている場合は、ドルを使えばモノを買うことができる。
→これが外貨獲得が必要な理由!
横浜正金銀行を設立した背景
外国商人は日本の紙幣なんか欲しくない

外国商人は日本紙幣なんて欲しくありません。
金や銀と交換できない紙幣(まだまだヒヨッコの日本政府が作った紙幣)に価値があるとはあまり信じられないからです。
外国商人との取引に銀貨を使っていた

外国商人が欲しいのは、それ自体で価値がある金や銀。もしくは金や銀が成分に含まれている硬貨(正貨)です。
→そのため、日本は外国からモノを買う際に1円銀貨を支払っていました(=外国のモノと日本の銀貨を交換していた)
※しかも銀貨はお互いの合意があれば開港場に限らず使ってもOKというルールだった(=銀貨は貿易だけでなく国内での取引にも使われる貴重な通貨)
関連:新貨条例
紙幣は過剰に発行され価値が低下

当時、銀貨の価値が高まっていた一方で、紙幣の価値は下がっていました。
- (理由1)国立銀行条例改正によって国立銀行が多数設立され、紙幣が大量に発行されていた
- (理由2)西南戦争の戦費と殖産興業の資金をまかなうために、政府が大量の紙幣(政府紙幣)を発行していた
シルバーが成分に含まれていてそれ自体に価値がある銀貨(そして輸入超過によりどんどん海外に流出する銀貨)
と
どんどん発行されて量が増えていく紙幣
人々はどっちを欲しがるか?
どう考えても銀貨の方です。たとえ額面上は同じ価値だったとしても(1円銀貨と1円紙幣だったとしても)、銀貨の方にみんなが価値を感じたわけです。

1円紙幣<1円銀貨
みんなが銀貨を欲しがり、そして手に入れた銀貨を貯め込むようになり、銀貨が不足
→ますます銀貨の価値が上がり、ますますみんなが銀貨を欲しがる・・・というループに入る
商人が正貨を確保しづらい状況

こうして、
外国人と取引をする商人にとっても銀貨が手に入りにくい状況
に陥ってしまいました。

外国人は銀貨がないと取引(貿易)をしてくれないので、大問題です。
外国商人から「Youはシルバーを持っていないからビジネスできないヨ!」って言われてしまう。まじで困る。
銀貨を増やす&貿易用に管理する必要に迫られる
そこで、
- 銀貨を増やす
- 貿易したい人のために銀貨を用意しておく(日本円と交換できるようにする)
ことが必要になりました。
この役割を果たすために1880年に設立されたのが横浜正金銀行です。

貿易が活発に行われていた横浜に店舗をドーンと構えて、たくさんの銀貨を蓄積して、
「貿易用の銀貨ありまっせ!貿易したい商人の方々、ぜひぜひご活用ください!」
って感じのことを言った。
※横浜正金銀行は民間出資+政府出資により設立された
為替決済に必要な銀貨を常備し、貿易決済での正銀貨の供給を集約


横浜正金銀行のその後

1887年には、外国貿易関係を専門とする特殊銀行となった。
日露戦争では戦費調達のために外債の発行に尽力した。

1907年、国内に5店舗、五大陸に20の店舗を有した。
1920年には世界三大為替銀行の一つとなった。
太平洋戦争中は、国家的金融機関として日本の勢力圏内での金融の中心となった。
戦後、1947年に東京銀行(現 三菱UFJ銀行)として再スタート。
参考文献
土方晋(1999).『横浜正金銀行:戦前円の対外価値変動史』. 山本書店.
塚原哲也 (2023).『読んで深める 日本史実力強化書 第2版』. 駿台文庫.





