日露戦争後の国際関係についてまとめました!
日本と各国との関係の変化
韓国との関係
日本はアメリカと桂・タフト協定を結び、イギリスとは日英同盟協約を改定して、韓国を日本の勢力下におくことを認めさせた
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- 1905 第2次日韓協約:韓国の外交権を奪って統監府を置く
- 1907 第3次日韓協約:韓国の内政権を奪う
- 1910 韓国併合
=韓国への支配を推し進め、最終的に日本に併合した
中国との関係
ポーツマス条約でロシアから譲渡された旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道とその付属の利権を足がかりにして、日本は南満洲への進出を本格化させた
- 1906 関東都督府:関東州を統治するための機関(@旅順)
- 1906 南満州鉄道株式会社:長春〜旅順の鉄道や鉱山・製鉄業などを経営する半官半民の国策会社(@大連)
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日英同盟協約、日露協約を背景に、満州権益を国際社会で承認させた
ロシアとの関係
日露戦争後、ロシアは東アジアでの南下政策を諦めた
→西アジア・バルカン半島に注力
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その結果、日本とロシアの関係は協調的になった
- 1907〜1916年、4次にわたる日露協約:満州と内蒙古における日本とロシアの勢力圏をお互いに認め合う
※ロシアがバルカン半島に力を入れるようになったことが、第一次世界大戦につながった
イギリスとの関係
1905年、日英同盟協約を改定:イギリスは日本の韓国保護国化を承認
=日本とイギリスの協調関係は継続
アメリカとの関係
アメリカは日露戦争後の満州の門戸開放を期待していた(だから日本とロシアの仲介までした)
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1905 桂・タフト協定:日本の韓国指導権と、アメリカのフィリピン統治をお互いに承認
=アメリカは韓国にはそんなに興味がなかった
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ところが、日本は南満洲への進出を本格化させた(アメリカ「狙ってたのにぃぃ!」)
- 1906 関東都督府:関東州を統治するための機関(@旅順)
- 1906 南満州鉄道株式会社:長春〜旅順の鉄道や高山・製鉄業などを経営する半官半民の国策会社(@大連)
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満洲への経済的な進出をねらっていたアメリカは「門戸開放しろよ!日本だけで南満州の権益を独占してるんじゃないよ!!!」って反発
=日米関係が急速に悪化
→(例)日本人移民排斥運動
その他の世界での変化
植民地支配に苦しむアジアの人々が希望を抱いた
日本が日露戦争に勝利したことは、植民地支配に苦しむアジアの人々に希望を与えた。
(例)
- イラン:1906 イラン立憲革命
- オスマン帝国:1908 青年トルコ革命
- 中国:孫文が漢民族による清朝の打倒を目指した(→1911 辛亥革命へ)
日本が列国と対等の地位を獲得した
1911年、関税自主権を完全に回復することができた。
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参考文献
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