【日本史】江戸幕府の大名統制をわかりやすく

江戸幕府が大名に対してどのような政策を行なったのか?についてです!
大名とは
大名とは、将軍と主従関係を結んだ武士のうち1万石以上の土地を与えられた武士のことです。
大名は3つに分類されます。
- 親藩:将軍の一族
- 譜代大名:関ヶ原の戦い以前から徳川家に従っていた人
- 外様大名:関ヶ原の戦い以後に徳川家に従った人
これらの大名が支配している土地のことを藩と言います。

「将軍と主従関係を結ぶ」ってどういうことかというと、
- 将軍は武士に対して、御恩として石高に応じた土地の管理を任せて(年貢をゲットする権利を与えて)、
- 武士は将軍に対して、奉公として石高に応じた規模の兵士や馬を準備したり工事をしたりする軍役を担う
という関係を結ぶ、ということです。

1万石とは
1万石って言われてもいまいちピンとこないんですよね。
っていうか、1万石って大体どれくらいなんだろう?ってそもそもあんまり考えながち。せっかくなので考えてみます!(←考えることで、大名が持っているパワーの大きさがわかる)
1石=1000合で、米1石の重さは約140kgです。

米1石は大人1人が1年間で消費する米の量とほとんど同じ量らしいです(ここがポイント!)。
なので、「石高が1万石の土地」っていうのは単純計算で「大人を1万人養うことのできる土地」ということになります。
※ただ、与えられた土地すべてが田んぼっていうわけではなく、「畑」や「屋敷地(家が建っている土地)」の価値も米の量で換算して石高を決めています。
※なので、1万石の土地だからと言って、大人を1万人養うことのできるお米がそのままゲットできる土地というわけではない、ってところは要注意!

1万石のイメージがわかると、1万石以上の土地を与えられた武士である大名ってすごい!!!って感じがしますよね。
大名は自分が支配を任された土地から年貢米を集めることができるので、それなりのパワー(=1万人を養えるパワー)を持っているってことです。
大名はパワーを持っている
で、大名がそれなりのパワーを持っているからこそ、大名は藩の中にいる人々を支配できて、江戸幕府の幕藩体制が成り立つわけです。
ところが一方で、それなりのパワーを持っている大名は江戸幕府にとって危険な存在にもなり得ますよね。
大名は石高に見合った規模の軍隊=家臣団を持っていたので、徳川家と大名がバトルしたら、下手すると徳川家が大名に倒される…っていう可能性だってあります。
実際、19世紀半ばに江戸幕府が滅亡する時には、大名たちが「江戸幕府を倒すぞ!」って決意して倒幕運動を起こしました。
そもそも直前までは戦国時代で、各地の強者たちがしのぎを削っていたわけです。
征夷大将軍に任命されたとしても、ものすごい富を持っていたとしても、、、徳川家は安心できない!徳川家が全国支配を安定させるうえで、大名を統制(コントロール)することは必須です。
ということで、江戸幕府が行った大名統制の政策を2つ説明します。

大名統制のために江戸幕府が行ったこと
一国一城令
1つ目が一国一城令です。
これは、お城は大名1人につき1つまでだよっていうルール。1615年の大坂の陣で豊臣秀吉の子を倒した後に出されました。
一国一城令の目的は大名の軍事力を削減すること。
お城は軍事施設です。攻略する(攻め落とす)のが難しい。そういう城がたくさんあると厄介。
なので(幕府に抵抗する時に立て籠ったりされると超めんどいので)、大名が住むお城(=必要な城)以外の城をすべて廃棄させることにしました。

武家諸法度
2つ目が武家諸法度です。
これは大名が守るべきルールをまとめたもの。1615年に出されたのが最初で、それ以降、将軍の代替わりごとに出されました。

減封、改易
一国一城令や武家諸法度に違反した場合、大名は処罰を受けることになりました。
- 減封(げんぽう):石高・領地の削減
- 改易(かいえき):石高・領地の没収
ここ、実は結構大事なところです。
もし大名が改易された場合、その大名と主従関係を結んでいた家臣は仕える主君を失うことになります。そのような家臣のことを牢人(ろうにん)と言います。
江戸時代の初めの頃には、関ヶ原の戦いで敵だった大名の多くが改易になったり、江戸幕府が大名を厳しく統制したりしたので、大量の牢人が発生することになって社会問題になりました。
このことについてはまた今度説明します。

参勤交代
で、よく誤解される参勤交代について話をします。
参勤交代は、
- 大名が1年おきに江戸に行って1年間滞在する
- 大名の妻子は江戸に住まわせる
という制度です。

この参勤交代は「大名に大きな負担をさせて大名のパワーを削減するために行われたんだ!」って思われがちなんですけど、これは誤解…という説が有力です。
大名にとって結果的に大きな負担になってしまっただけであって、大きな負担をさせることは参勤交代の目的ではなかったようです。
江戸幕府はむしろ、「参勤交代にそんなにお金をかけるなよ!」って大名に対して注意しているくらいでした。
参勤交代の目的は、戦乱がなくなった時代にふさわしい奉公を制度化すること。
1615年の大坂の陣で豊臣秀吉の子を倒した後、戦国時代から続いたバトルに終止符が打たれます。(元和偃武)
そうなると、将軍と主従関係を結んでいた大名にとって、バトルに貢献するという形(軍役)での奉公をする機会がなくなってしまうわけです。
でも、主従関係っていうのは御恩と奉公から成り立つわけですから、御恩をいただいているのに奉公をしない…なんてことは、武士の世界ではあり得ません。
そこで、1635年の武家諸法度の中で参勤交代が制度化されました。
1年おきに大名が家臣団を引き連れて江戸に向かうことそのものが、将軍に対する大名の忠誠を表す儀礼として制度化されたということ。参勤交代が奉公だぞ、と。大名の妻子は人質です。怖いですね。

まとめ
大名とは、将軍と主従関係を結んだ武士のうち、1万石以上の土地を与えられた武士のこと。
大名がそれなりのパワーを持っているからこそ、藩の中にいる人々を支配できて、江戸幕府の幕藩体制っていうものが成り立つ。
が、一方で、それなりのパワーを持っている大名は、江戸幕府にとって危険な存在にもなり得る。
そこで、江戸幕府は大名統制を行った。(一国一城令、武家諸法度)














