御恩と奉公について説明をします!
この記事の信頼性
僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
御恩と奉公&武士の生活
鎌倉時代の武士の生活について話をします。
今回話をする時代は、鎌倉時代です。
①御恩と奉公とは?
まず、御恩と奉公とは何なのか?についてです。
まず、日本列島の各地には武士がいました。
どうやって武士が誕生して成長していったのか?は、別のところで説明しているので、今回は省略します。
各地の武士の中で、東国の武士は、「平氏を倒すぞ!」っていうところから始まった争いの中で、源頼朝のもとに集まって一緒に戦いました。
なんで源頼朝のもとに集まったのか?
それは、各地の武士にとって、源頼朝についていくのが自分にとってプラスだと思ったからです。
命をかけて戦う時に、自分にとってプラスにならない人にはついていかないですよね。
じゃあ、そのプラスって何なのか?っていうと、土地の確保です。
武士は自分が管理している土地を持っていました。
その土地にいる農民から税を集めて、土地の所有者に税を渡して、余った分を自分のものにしていたんです。
稲作が行われている社会では、土地が富の基盤です。
だから、武士からすると、その富の基盤である土地を守りたいし、できれば土地を増やしたい(広げたい)んです。
土地を確保できれば、自分の取り分も増えて豊かに暮らせますからね。
で、各地の武士は、源頼朝についていくことが、自分の土地の確保にとってプラスだと判断したんです。
源頼朝が勝てば、源頼朝に「今まで通り、その土地はキミが管理してね」って認めてもらえるし、平氏から奪った土地を「この新しい土地はキミが管理してね」って言ってもらえるかもしれない。
だから、各地の武士、特に東国の武士は源頼朝のもとに集まって一緒に戦いました。
ここで、源頼朝と東国の武士との間に主従関係が生まれます。
こうして生まれた将軍と武士との間の関係を、御恩と奉公の関係と言います。
源頼朝は、武士に対して
- 昔から管理していた土地を「引き続きキミが管理してね」と認めたり(本領安堵)
- 新しい土地の管理を任せたり(新恩給与)
する。
これが御恩です。
その代わりに武士は、自分のバトル技術を活かした仕事をする。
具体的には、
- 天皇の家を警固したり(京都大番役)
- 戦いが起きた時に軍事行動に参加したり(軍役)
です。
これが奉公です。
将軍とこのような関係を結んだ武士のことを御家人と言います。
あと大事なこと。
守護と地頭っていうのが出てきますよね。
このうちの地頭っていうのは、土地(荘園・公領)の管理や、その土地にいる農民から税(年貢)を集める仕事をする役職のことです。
「この土地はキミが管理してね」っていう御恩は、つまり、その土地の地頭に任命するっていうことです。
地頭に任命してもらえれば、その土地から自分の取り分をゲットすることができるんです。
なので、武士からしたら嬉しくて仕方ないんです。
土地は富を生み出す、富の基盤ですからね。
一方、守護っていうのは、ある国(地方)の警察のようなことをする役職です。
一つの国(地方)に対して1人、任命されます。
例えば、ある地方で刀をブンブン振り回す訳わかんないヤツが現れたら、そういうヤツを取り締まったりする仕事です。
しかも、別に自分の取り分はありません。
超イヤですよね。
「超荒れている○○っていう国に行って、殺人犯を片っ端から捕まえてきて」って言われる感じです。
②武士の生活
次に、武士の生活についてです。
武士は、自分が管理している土地に館を作って、武芸を磨きながら生活をしていました。
そんな武士が、どうやって行動をするのか?について話をします。
武士は、将軍と主従関係を結んだ御家人を中心に、血の繋がった人たち(家族)でまとまって行動をしていました。
家族の代表者が御家人になって(将軍と主従関係を結んで)、御家人が代表して御恩を受けて、奉公する時は家族みんなでやる、っていう感じです。
このような仕組みのことを惣領制って言います。
こうやって考えると、御家人がまとめて御恩をもらうってことになりますよね。
ところが、御恩として与えられる土地(の管理権)は、一箇所にまとまっているわけじゃなくて、いろんな地域に分散して存在しています。
これらの土地を、子供達は相続します。
だから、血の繋がった家族は各地に分散することになるわけです。
でも、いざ奉公をする場面、例えば鎌倉で反乱が起きて、その戦いに参加する場面が起きた時は、血の繋がった集団でまとまって行動をすることになります。
そこで、みんな「いざ鎌倉!」って言って、各地から武士が集まってくるんです。
これが武士の行動の仕方です。
そんな武士たちは、結構トラブルを起こしたりもしました。
土地のトラブルです。
土地は富を生み出す富の基盤なので、土地をめぐってトラブルが起きます。
土地の管理者(地頭)に任命されている武士は、その土地にいる農民から税(年貢)を集めて、その土地の所有者(荘園領主など)に年貢を納めていました。
が、この武士の中には、年貢を約束通りに土地の所有者に納めなかったり、その土地の中で好き勝手やったりする人がいた。
(地頭は幕府が任命するので、地頭に任命された武士からしたら「土地の所有者ってダレ?別に仲良くないし、適当でいいか」ってことになり得る。あと、幕府が力を持てば持つほど、「俺は幕府に任命された土地の管理者なんだぜ」ってイキって調子に乗る人もいる)
そうすると、土地の所有者からすると「ふざけんなよ」ってことになりますよね。
約束と違うだろ、と。
で、土地の所有者は、幕府に「あんたが任命した地頭が、ちゃんと仕事をしないんですけど」って訴えることになります。
こんな感じの土地のトラブルが、すごく増えました。
なので、鎌倉幕府は問注所っていう裁判を行う役所を作ったし、裁判制度を充実させる政策を必死に行いました。
ただ、地頭の行動に呆れた土地の所有者は、地頭と話し合って自分たちで解決したりもしました。
解決の方法は2つです。
- 1つ目が、その土地の管理を完全に地頭に任せて、毎年一定額を納めさせる方法。(地頭請所)
- 2つ目が、土地の一部を地頭にあげちゃって、お互いの支配権を認め合う方法。(下地中分)
ポイントは、地頭の、現地を支配する力が強まったっていうことです。
武士の力がますます大きくなっていますね。
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