2025.04.01 社会の解説 竹島問題(vs韓国) モチオカ(望岡 慶) 目次 竹島問題が生じた経緯①日本が竹島を島根県に編入(1905)。当時の韓国は日本の影響下にあった。②日本敗戦後、日本の権力が及ぶ地域は北海道・本州・四国・九州とその周辺の島々に限定された。③紆余曲折あり、竹島を日本の領土とみなすサンフランシスコ平和条約が成立。④韓国が「李承晩ライン」という海の境界線を引き、竹島を自国領と主張した。⑤その後も韓国は竹島の実効支配を継続し、現在に至る。竹島問題が生じた経緯 ①日本が竹島を島根県に編入(1905)。当時の韓国は日本の影響下にあった。 Q経緯 1904.2 日露戦争が始まる。 朝鮮半島での日露の戦闘で日本軍が勝利。韓国は事実上、日本の占領下に。 1904.8 第一次日韓協約を結ぶ(→日本が推薦する財政・外交顧問を韓国政府に置くことを認めさせた)。 1905.1 竹島を島根県に編入することを閣議決定。 1905.9 日露戦争が終了。 ②日本敗戦後、日本の権力が及ぶ地域は北海道・本州・四国・九州とその周辺の島々に限定された。 Q経緯 1945.8.14 日本がポツダム宣言を受諾。 日本の領土の最終決定は将来の平和条約で行われるとされた。 1946.1 GHQが発した命令(GHQ覚書(SCAPIN-677))で、竹島は日本の統治区域から除外 日本の権力が及ばなくなった地域 地域獲得の歴史戦後の動向台湾日清戦争で獲得→中国に返還朝鮮韓国併合条約で獲得→北をソ連が占領し、南をアメリカが占領南樺太日露戦争で獲得→ソ連が占領千島列島樺太・千島交換条約で獲得→ソ連が占領沖縄琉球処分・日清戦争で獲得→アメリカが占領小笠原諸島領有を宣言→アメリカが占領 ③紆余曲折あり、竹島を日本の領土とみなすサンフランシスコ平和条約が成立。 Q経緯 草案段階で、日本が竹島を放棄するか否かの修正が何度もなされた。 最終的に、竹島の名前は日本領に関する条文では直接出てこない一方で、「放棄する島々」にも明記されなかった。よって竹島は日本の領土として解釈される、というのが日本の立場。 しかし、日本に併合されていた韓国は日本の交戦国ではないため、韓国との間でサンフランシスコ平和条約が結ばれたわけではない。 ④韓国が「李承晩ライン」という海の境界線を引き、竹島を自国領と主張した。 Q経緯 1950.6 朝鮮戦争が始まる。 1951.9 サンフランシスコ平和条約が締結される。 サンフランシスコ平和条約の発効日は決まっておらず、条約が定めた条件(=日本および署名国のうち3分の2以上が批准)を満たした日に発効することとなっていた。 1952.1 サンフランシスコ平和条約の発効が近いと判断した韓国の李承晩大統領が、韓国独自の海の国境線を引く。(李承晩ライン) 1952.4 サンフランシスコ平和条約が発効。 1953.7 朝鮮戦争が終了。 ⑤その後も韓国は竹島の実効支配を継続し、現在に至る。 ABOUT ME モチオカ ケイ社会科コンテンツクリエイターXContact関東で生まれる → 公立中学校 → 公立高校 → 1年間浪人 → 東大(教育学部) → 東大院(教育学研究科) → 修士課程修了(教育学) → 公立中学校の教員に → 退職 → ブログをがんばる → ?