日本のコメ政策の歴史をざっくりまとめました!
さっさと食糧管理制度とか減反政策について知りたい人は近代のところまで一気に移動してください!
原始
古代
中世
近世
近代
米穀法(1921)by原敬内閣
→政府が市場に介入して米価を操作するようになった(=市場経済ではなくなった)
(米穀法が制定された理由)
恐慌
・米価などの農産物価格が下落
・1931 農業恐慌
戦時中
米不足が深刻化!
→流通をちゃんと管理しないと、食べ物をゲットできなくて餓死する人が大量発生してしまう…!
(米不足が深刻化した理由)
- 労働力の不足
- 肥料や生産資材の不足
- 農地の荒廃
ってことで食糧管理制度が成立しました↓
食糧管理制度(1942) by東條英機内閣
米・麦などの主要食糧の生産・流通・消費を政府が統制・管理する制度
- 政府が生産者から買い取る米価を決める
- 政府が消費者に売り渡す米価を決める
どういうことかというと、、、
みんなが「米がほしい!」って思っても(←需要)、その需要に見合う量の米がなかったら(←供給)米の値段は爆上がりしてしまい、米を買えなくなる人が続出してしまいますよね(→餓死)。
そこで政府は
- 農家に米をたくさん生産してもらおう!(←「米は政府が高めの価格で買い取るよ!」って言うことによって)
- 米の販売値段は政府が決めよう!(←値段が高くなりすぎないようにする)
- 米の流通は政府が全部管理しよう!(←米を買えなくなる人が出ないように)
って考えた。これが食糧管理制度です。
つまり自由な生産・販売にもとづく市場経済を完全に否定したっていうことです。独占価格が成立。
※食糧管理制度に関する会計(お金の出し入れ)のことを食糧管理特別会計(食管会計)という。買取価格の方が販売価格よりも高いので(高く買って安く売るってことをしていたので)、食管会計は赤字。
※政府が絡むルート以外で(=闇市で)流通した米は「ヤミ米」と呼ばれました。違法な米。
※ちなみに米の需要をコントロールするために、1941年から米の配給制も始まっていました。
農業会の設立(1943〜47)
食糧統制を円滑に進めることを目的に、農業に関する様々な団体(農会、産業組合、畜産組合、養蚕業組合、茶業組合)が統合されて農業会が設立された。
〜敗戦〜
現代①(戦後の食糧不足解消まで)
戦後の食糧不足
深刻な食糧不足は戦後も継続した!
そこで、アメリカ合衆国は日本に支援を行った(学校給食にパンが登場)
→これによって日本人の食生活の欧風化が進行(←アメリカの小麦戦略)
※日本人のコメ離れスタート
食糧不足なので、戦時中に成立した食糧管理制度は継続された↓
食糧管理制度は継続(〜1995)
米・麦などの主要食糧の生産・流通・消費を政府が統制・管理する制度
- 政府が生産者から買い取る米価を決める
- 政府が消費者に売り渡す米価を決める
農地改革(1946〜)
「農民の疲弊が日本を侵略戦争に駆り立てたんだヨ!」って考えたGHQは、農地改革の実施を日本政府に求めた。
目的
- 寄生地主制を除去し、安定した自作農を大量に生み出す
- 農業生産力の向上(高額な小作料を取る地主経営のあり方は排除されなければならなかった)
結果
- 全農地の半分近くを占めていた小作地が1割程度にまで減少
- 農家の大半が1町歩未満の零細な自作農となった
→零細経営を中心とする日本の農業構造は改善されず
- 農民の生活水準が上がって購買力が上昇し、国内消費市場が拡大した
※高度経済成長の中で、第2次・第3次産業と第1次産業の格差が拡大した一つの理由
くわしくはこちら
関連:農地改革について
農協の成立(1948)
農地改革で生まれたたくさんの自作農を守ために、農業協同組合(農協)が組織された(←GHQの指示)。
※農業会を改組する形で成立
※食糧統制の必要性から、行政の下請け組織的な性格が強かった(本来、協同組合って自主的・自律的な組織であるはずなのに…)
戦後の食糧不足はなんとか解消!
しかし、食糧不足に対応するために作られた食糧管理制度は継続されました。
このことが、様々な矛盾を生むことになります。
現代②(食糧不足が解消された後)
農家を保護する(←食糧管理制度、減反政策、コメの輸入制限)
↓
農家を競争にさらす(←食糧法、新食糧法、減反政策の廃止)
という変化が、ゆっくりとではありますが進行していきます。
コメの生産が過剰に
食糧不足が解消された後、今度はコメが余るという事態に!!
(農業生産力がアップした理由)
- 肥料の投入
- 品種改良の進展
- 農業機械の導入
- 農薬の導入
※農家・農協にとって、米をたくさん作ることにはメリットがあった。なぜなら食糧管理制度のもとで政府が米を買い入れてくれるから。しかも高い値段で。儲かることが約束されてるわけなので、そりゃ頑張りますわっていう。
※農協は価格に比例して高くなる販売手数料で収入をゲットしていた
※食糧管理制度は高度経済成長のもとで拡大する経済格差を是正する(=農家の所得を補償する)意味合いも持っていた
※米は日本人の主食なので、米を増産することには大きな意義があった(←例え食糧不足が解消されたとしても、食糧安全保障の観点で大事)。
でも、米をたくさん(=必要以上に)作られてしまうと政府は困ります。買取価格の方が販売価格よりも高いので(高く買って安く売るってことをしていたので)、食管会計の赤字がどんどん拡大してしまうからです。
しかも日本人の食生活が欧風化するにつれて米の消費量が減りつつあったので、米が昔のようにバンバン売れない!っていう事態にも陥っていました。
これは困った!
ってことで、政府は「コメはなるべく生産しないようにお願いしやすー…」っていう政策を実施したい(→のちの減反政策)。
ところが、、、
米生産をめぐる攻防
農家・農協からしたら米の生産量削減は簡単には受け入れられません。自分の収入が減ることを意味するので。ってことで、生産量を削減する代償として多額の補助金を要求します。
自民党にとって農家・農協は自分達の大事な支持基盤なので(=たくさんの票を投じてくれるありがたい方々なので)、自民党政府は農家・農協の顔色をうかがいつつ政策を進めなければいけません。
たくさん米を作られたら赤字が拡大して困る政府
vs
たくさん米を作って収入をアップさせたい農家・農協
このような背景のもと、減反政策が実施されます。
減反政策(1970〜)
(目的)
- 米の生産過剰を抑える
- 食管会計の赤字を抑える
(内容)
米の生産量を調整する
- 新しく田んぼを作ることを禁止
- 米を作っている農家に作付面積の削減を要求(←協力した農家に奨励金を出す)
- 米からの転作を促す(←協力した農家に奨励金を出す)
食管会計の赤字を抑える
- 政府が米を買い入れる限度を設定
- 国を経由しないで米を売買できるようにする(自主流通米の発足)
※例えば水田面積10ヘクタールの米農家で、6ヘクタールで米を作り、4ヘクタールで麦や大豆など他の作物を作った場合、、、この他の作物の作付けを「転作」または「減反」と言います。
最初は休耕・転作のどちらでも奨励金が出されていた
→「なにも作物を作らないのに補助金を出すのっておかしくない?」って世間から批判されるので、休耕奨励金は途中で廃止
→食料自給率向上という名目で、麦や大豆などに転作した場合にのみ補助金を出すことにした(これなら世間から批判されないよね!)
(結果)
おいしい米(ブランド米)の生産が盛んになった(←人気がある米は自主流通米として売れば高い値段で売れるから)
過剰米はほとんど減少せず(←減反されたのは日照が悪いなどの生産性が低い田んぼが主だったから)
特に人気のない米の生産は減少せず(←人気がなくても高い値段で政府に買い取ってもらえるから)
外国から米の輸入自由化の圧力をかけられる(ウルグアイ=ラウンド)
農産物の貿易を自由化しようぜ!っていう風潮が高まった。
- 各国は自分が得意な農産物を作ろう!
- 得意な農産物を外国でも自由に売れるようにしよう!
- みんなでそうすれば、みんなハッピー!おいしい農産物が安く手に入るんだから!
- だから農産物の輸入制限はやめようよ!
- 外国の農産物に関税をかけて国内で売れにくくするのもやめようよ!
って感じの交渉が何年にも渡って行われました(1986〜94 GATTのウルグアイ=ラウンド)。
でも日本は(=農協は)「米だけは絶対に輸入したくない」って思っていた。
なぜなら、外国産のおいしくて安い米が国内に入ってきてしまったら、日本国民が「外国産の米も十分おいしいじゃん!日本の米よりも安いし!こっちの方が良くない???」って気づいてしまうから。
もしそんなことになったら、(政府が買い取ってくれることで不当に値段が高くなっている)日本の米は売れなくなって、農家が大打撃を受けてしまう。
それは日本人の主食を海外に依存することにつながり、食糧安全保障の観点でよろしくない!
なにより日本の農家の米が売れなくなったら、僕たち(農協)の販売手数料収入が減ってしまう!!!!僕たちの生活が脅かされてしまう!!!!!!!なんとしてもそれは避けなければいけない!!!!!!!!!!
って農協(&農協に支えられている自民党政権)が思ったのかは謎ですが、とにかく日本は米の輸入自由化に抵抗しまくります。
結局、以下のことが決定されて(=日本の熱い思いがある程度は形になって)会議は幕を閉じました。
ミニマム・アクセス(最低輸入量)
- 国内消費量の4%だけ米を輸入する(=絶対に4%しか輸入しないよ)
- ※6年間で8%まで拡大
米の関税化は2000年まで猶予
なんとか日本の米を守ることに成功したわけです。
米の不作と緊急輸入(1993)
しかも日本国民に「外国の米ってマズイよね。やっぱり日本の米がいいよね!」って思わせることにも余念がありませんでした。
1993年に米が不作になって「これは外国から米を輸入しないとマズイぞ」ってことになってしまったのですが(1993年米騒動=平成の米騒動)、
そこで緊急輸入された米は、日本で食べられているジャポニカ米ではなくインディカ米のタイ米。細長くてパサパサしたやつ。「外国から米を輸入しないとマズイぞ」ってことで輸入された米は、日本人にとってはマズイ米だったわけです。
結果的に多くの日本人が「外国の米ってマズイよね。やっぱり日本の米がいいよね!」って思うことになりました。僕が農協の関係者だったらニヤリとしてしまいそうです。
現代③(農家を競争にさらしていく)
いよいよ矛盾の解消へ
すでに食糧管理制度は制度的に限界を迎えていました。
(理由)
- 食管会計の赤字
- 不自由な米の流通(←消費者は味の悪い管理米ではなくおいしい自主流通米を求めるようになっていたのに)
そこで、次の2つの事件
- ウルグアイ=ラウンドによる米の輸入受け入れ
- 1993年米騒動
が引き金となり、制度の根本的な改革が行われることとなりました。食糧法成立にともなって食糧管理制度は廃止されます。
食糧法(1995)=食糧管理制度の廃止
(内容)
- 日本政府の米買い入れ(政府米)は備蓄を目的とする(買い入れ数量を大幅に削減)
- 農家が自由に米などの作物を販売できるようになった(米の価格は市場取引により決まる)
- 生産数量は農家が自主的に決める(←実際は農協が決めているけど)
(結果)
- 米の流通自由化により、銘柄米の生産で競争が激しくなった
- 米の流通自由化により、米の価格が低下した
※減反政策は継続されている
食糧管理制度が廃止された後も、農家に補助金を出して減反に協力させ、米の供給量を減らす政策は継続されている
→米の価格が高く維持されている!
※高い米価が維持されれば、農家も農協も収入がアップする
米の関税化(1999)
米に高い関税をかけることで、日本の米(米農家)を外国の米から守っている。
新食糧法(2004)
(内容)
誰でも自由に米を販売したり流通させたりすることが出来るようになった
- 米穀の販売が届出制に(←従来は登録制)
- 米穀の輸入は政府に一定額(納付金・関税)を支払えば自由にできる
減反政策廃止(2018)by安倍晋三内閣
(背景)
- 高収益性のブランド米を栽培する農家が増え、業務用の米が不足するようになった
- TPPによる米の自由化に向けて、農家の競争力をアップさせる必要がある
(内容)
- これまで減反に協力してきた農家に払われてきた補助金を0円にする(←徐々に減額しながら)
- 「主食用以外のお米」(=飼料用米や米粉用米)に生産転換をする農家への補助金を増やす
素人の僕は率直に「これって減反になってなくない?だって飼料用米への転換に補助金を出すってことは、主食用の米の生産を抑えようとしてるってことでしょ。それって減反でしょ?」って思うんですけど、、、どうなんだろう…?
ちなみに現在では、自治体や農協などの団体が中心となって米の生産量を調整しています(←「米の生産量はこれくらいにしましょう(じゃないと供給過多になって米の値段が下がっちゃうからさー)」って農家に提示して)。
結局、減反の主体が政府から自治体や農協になっただけで何も変わってなくない…?
※ちなみに飼料用米や米粉用米は見た目にこだわらなくていいので、生産するのが比較的楽と言われています。
米政策の問題点
おいしい米をたくさん作って「低価格でおいしい米」を実現し、国内市場で売るだけじゃなくて海外にどんどん輸出する!日本のコメで世界に打って出る!(→食糧危機に陥った時は、輸出に回していた米を国内市場に回して危機を乗り切る!)
という前向きな姿勢がない。
まあ政府が常に「楽な逃げ道」(=おいしくて世界で戦える米を作るよりも楽に儲かる方法)を農家に用意しちゃうので、そりゃ米農家も頑張らないよねっていう。農家ってそれくらい守ってあげたい存在なんでしょうね、自民党政権にとって(←”日本にとって”だったらいいんですけどね)。
参考文献など
通信教育
学習漫画・参考書
社会科チャンネル
社会科(歴史・地理・公民・政治経済)の内容について、本質的な部分をわかりやすく解説するチャンネルです。