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韓国はどんな国?

モチオカ(望岡 慶)
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韓国を理解するためのポイント

地理的には決して恵まれていない

(2023.5撮影)

韓国は地理的に見ると決して恵まれた土地とは言えない。

まず自然環境の面では、気候の厳しさが挙げられる。夏は比較的温暖だが、冬になるとシベリアからの冷たい気団の影響を強く受け、厳しい寒さにさらされる。

地形の面でも恵まれているとは言い難い。韓国には広い平野が少なく、山地が国土の大部分を占めている。とくに東側には高い山脈が連なっており、海に面していても港などとして活用しにくい地域が多い。西側には比較的なだらかな地形もあるが、国全体で見ると人が暮らしやすい平地は限られている。

また、鉱産資源も乏しく、産業の基盤となるエネルギーや原材料を国内だけでまかなうのは困難。

こうした地理的な条件の中で、韓国は限られた土地と資源を効率的に活用する必要があった。そのため、国のしくみも「分散」より「集中」志向の国家運営へと自然に向かっていった。

中央集権型

(2023.5撮影)

韓国の社会は、政治・経済・教育など多くの面で「中央集権型」。たとえば、首都ソウルには政治機関、大企業、有名大学、メディアなどが集中していて、他の地域との差が大きくなっている。

このような構造がつくられた理由のひとつが、朝鮮半島の地理的な特徴。山が多く、平野が小規模に分かれて点在する地形では、大きな独立した地方勢力が育ちにくく、国全体を一つにまとめて守るためには中央に力を集めるほうが効率的だった。

もうひとつの理由は歴史的な影響。朝鮮半島は、古くから中国の影響を強く受けてきた。とくに儒教に基づいた政治思想では、「皇帝(天子)」が中心となり、中央から官僚を派遣して全国を統治するのが理想とされていた。

朝鮮王朝でもこのモデルが採用され、王のもとで科挙によって選ばれた官僚が地方を支配するという体制が築かれた。地方が独自に動く余地は少なく、「中央が指示し、地方は従う」という価値観が社会全体に根づいていった。

(2023.5撮影)

朝鮮戦争は「強いもの」をさらに強くした

韓国という国家のかたちを現在のように決定づけた最大の出来事のひとつが、1950年に始まった朝鮮戦争。

日本の植民地支配のもとでは韓国内に自前の資本や産業が十分育っておらず、経済の土台が脆弱だった上で、朝鮮戦争によって広い範囲の都市や産業基盤が破壊された。

そんな中で、限られた予算や時間で復興を成し遂げるため、政府は限られた大企業=「財閥」に依存する経済戦略をとらざるを得なかった。

(2023.5撮影)

また、戦争は現在も「休戦中」という形で終わっておらず、北朝鮮との緊張状態が続いている。こうした中で、国の防衛や外交、経済を一手に引き受けられる強力なリーダーシップが求められ、大統領に強い権限が集中する体制がつくられていった。

軍事政権時代、とくに朴正熙政権は「反共主義」を掲げて長く政権を維持し、経済政策と安全保障を強力に推し進めた。

つまり、朝鮮戦争という非常事態が、「すでに強かったもの」にさらなる力と正統性を与える結果となったのだ。

まとめ:

地理的な条件の厳しさ、古くから続く中央集権の制度、そして朝鮮戦争――これらが重なり合うことで、今の韓国社会が形づくられてきた。

では、韓国に関してもっと深掘りしていこう!

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