中国の歴史博物館での日本の描写のされ方
中国の歴史博物館にいくつか行ってきたので、
- 日本のこと(特に戦時中の日本)がどのように紹介・説明されているのか?
- 紹介・説明の仕方にどのような特徴があるのか?
について、まとめてみたいと思います。
現地を訪れる中国人になったつもりで、ぜひお楽しみください!
参考にした中国の歴史博物館
上海
- 抗戦紀念館 四行倉庫
- 中国共産党第1回全国代表大会記念館
- 上海市歴史博物館
深圳
- 深圳博物館歴史館
マカオ
- 澳門博物館
このうち、マカオの澳門博物館には日本に関する描写がほぼありませんでした。
今後、以下の博物館にも行ってみたいと思っています。
- 中国人民抗日戦争紀念館 @北京
- 南京大虐殺紀念館 @南京
- 九・一八歴史博物館 @瀋陽
- 七三一部隊記念館 @ハルビン
また、台湾の歴史博物館の展示内容に関しては別の記事で紹介したいと思います。
日本に関する主な描写
抗戦紀念館 四行倉庫 @上海
入場無料
2015年8月13日の第二次上海事変の78周年に開館したとのこと
盧溝橋事件について
・1937年7月7日の夜、日本軍は北平(現在の北京)南西の盧溝橋付近で演習を行っていた際に、一人の兵士が「行方不明になった」との口実を使い、宛平県城内に入って捜索することを要求したが、中国守備軍である第29軍の厳しい拒絶に遭った。
・その後、日本軍は中国守備軍に対して銃撃を開始し、さらに宛平城を砲撃しました。これに対して第29軍は抗戦を開始した。これが世界を驚かせた盧溝橋事件。
・盧溝橋事件は、日本帝国主義による全面的な中国侵略戦争の始まりであり、また中華民族の全面的な抗戦の出発点でもある。
・中国共産党は国民党と共産党の協力に基づく抗日民族統一戦線を提案、構築し、日本の侵略者を倒すための大衆基盤を築いた。
第二次上海事変
・中国軍第88師262旅524団第1営の「八百壮士」は、中校団附(副団長)である謝晋元の指揮の下、1937年10月26日深夜に四行倉庫に入って守備を固めた
・「八百壮士」は国のために命を捧げる覚悟を持ち、限られた場所で凶悪な日本軍に立ち向かった
・彼らは四日四晩にわたって激戦を繰り広げ、敵の十数回に及ぶ狂気の攻撃を撃退し、200人以上の日本軍兵士を討ち取った
締めの言葉
・倉庫は英雄たちがかつて守り抜いたことで、永遠に国家の記念碑となる。戦場は先人たちが血を流したことで、国民に永久に記憶される。
・孤立した戦いであっても、英雄的な気概と荘厳な正義は中華民族の尊厳を示した。孤軍は孤独ではなく、その広く知られた利他的行為と全人民の支持によって、中華民族の力を結集した。
・中国は必ず強大になる、それは中国人民の努力の夢。壮士を忘れず、英雄を永遠に称えよう。歴史を忘れず、共に平和を築こう。
建物の外壁
・四行倉庫の特殊な地理的条件により、日本軍の主な攻撃は倉庫の西側と北側から行われ、西側の壁が最も激しい攻撃を受ける方向となった。
・そのため、西側の壁には巨大な砲弾の痕と無数の銃弾の痕が残されている。
・2015年、四行倉庫の修繕と上海四行倉庫抗戦記念館の建設過程において、西側の壁の戦後の姿を忠実に復元した。
・その際、「歴史を尊重し、当時の戦闘状況を全面的かつ正確に再現する」という原則に基づき、文献や歴史写真を参照しながら、現地の弾痕の痕跡を確認した。
中国共産党第1回全国代表大会記念館 @上海
入場無料
日清戦争について
・日本は中国に対して甲午戦争(1894年の日清戦争)を起こし、清政府は敗北を喫した。その結果、清政府は《馬関条約》(1895年)を締結させられた。
・この図は旅順における日本軍による中国民衆の虐殺を示している。
上海市歴史博物館 @上海
入場無料
上海事変について
・1932年1月28日および1937年8月13日の淞滬会戦において、中国軍は勇敢に戦い、日本の侵略者に大きな損害を与えた
・祖国と民族の尊厳を守るために、彼らは日本の侵略者に対して生死をかけた戦いを繰り広げた
日中戦争について
・国共産党が主導する「抗日民族統一戦線」の旗のもと、上海の人々は様々な形で日本に対抗する戦いを展開した
・九一八事変以降、中国共産党は大衆に基づく救国運動を提唱し、日本の侵略に対抗した
・心の広い上海の人々は、この都市を第二次世界大戦中、極東で最も早い時期に難民の避難所とし、ファシストに迫害された他国の人々をしっかりと守り抜いた
深圳博物館歴史館 @深圳
入場無料
・この100年間の中国と世界の歴史を振り返ると、なぜ中国は大きく遅れをとり、常に他の強国にいじめられているのか?という疑問が生じる。
・その主な理由は、清政権があまりにも頑固で、完全な改革を実行することを拒否したため。
- 18世紀、西側諸国はすでに科学技術、経済、文化、イデオロギーにおいて大きな進歩を遂げていた。中国はまだ康熙と乾隆の時代の平和と繁栄に浸っていた。
- 明治維新により日本の近代化が加速し、国力が強化された。一方、清朝は非常に傲慢で保守的だった。
- 1911年の革命は、2000年以上中国を統治してきた封建制を打倒することに成功した。
- 中華民国では、中国は軍閥間の戦争のもつれによる国内間題と、外国による侵略の両方に苦しんだ。
・中国共産党が主導し中華人民共和国が成立した。
・深圳は改革開放を通じて、小さく貧しい後進的な国境の県から近代的な大都市へと急速に成長した。これは歴史上比類のない偉業だ。
・歴史は、改革、開放、開拓、革新を堅持することが重要であることを中国人に理解させた。
明治初期の改革により国力がアップした日本をむしろ称賛している。改革の重要性を説くところに先進都市「深圳」の博物館らしさが現れている。
大まかな特徴をまとめると
模型や人形を使って感覚に訴える展示が多い
他の展示エリアと比べて、日本に関する展示エリアでは模型や人形がたくさん使われている
- 日本がやったことをイメージしやすくなり、子供でもわかりやすい
- 単に文字や写真だけで説明されるよりも、「日本はひどいことをした」という感覚を持ちやすい
- 写真を撮ってSNSに投稿する人が増える (実際、人形を使った展示のところで多くの中国人が動画を撮ったり自撮りをしたりしていた:レッドツーリズム)
日本を徹底的に悪者として描いている
- 日清戦争において日本軍による中国民衆の虐殺があったことを紹介している
- 日本が満州事変以降やったことを明確に「侵略」と定義している
中華民族と中国共産党のすごさをアピールしている
- 中国に侵略した悪者である日本と戦い抜いた中華民族はすごい!
- 民衆を率いた中国共産党はすごい!(必ず中国共産党の偉業と紐付けて語られている)
太平洋戦争の際に日本に侵攻・占領されたシンガポールの歴史博物館でも、その時期のことを暗黒時代かのように説明しています。が、シンガポールは過去に起きたことを忠実に説明することに重きを置いている印象を受けました。
一方で、中国の歴史博物館では中国人の反日感情を高めること、中国共産党への支持を高めて中華民族の結束を促すことに重きを置いているような感じがしました。
多くの人に開放している
- 基本的にどの博物館も入場無料