レバノンはどんな国なのか?について説明をします。
この記事の信頼性
僕(もちお)は、勉強が得意。
- 小学生の時は偏差値40台だったけど、「学年で10位以内に入ったら携帯電話を買ってあげる」という親の甘い言葉で火がつき、猛勉強。その結果、
- 中学生では、塾に行かずに学年1位
- 高校では、学年で1ケタの順位をキープ
- 東大模試で文科三類1位
- 東大に合格
僕(もちお)は、元社会科教員。
レバノンの場所
まず、レバノンはどこにあるのか?についてです。
レバノンは、このあたり…西アジア(中東)にあります。
拡大するとこんな感じ。
地中海、アラビア海、紅海(こうかい)は重要な海なので、覚えておくべし!!です。
もうちょっと拡大。
レバノンは、ここです。
地中海に面していますね。
レバノンはどんな国?
次に、レバノンはどんな国なのか?についてです。
基本情報はこんな感じ。
人口 | 約600万人 |
---|---|
大きさ | 岐阜県くらい |
首都 | ベイルート |
民族 | アラブ人が9割 |
言語 | アラビア語(フランス語・英語もOK) |
気候 | 地中海性気候(温帯) |
地中海性気候は、夏に降水量が少なくなって乾燥する気候のことです。
(これはレバノンの雨温図ではないですが)
ポイント①:フランスと関係が深い
レバノンは、フランスと関係が深いです。
昔、レバノンの地域はオスマン帝国の一部でした。
が、第一次世界大戦後にオスマン帝国が崩壊すると、1920年にレバノンはフランスの委任統治領になりました。(シリアと一緒に)
で、第二次世界大戦中の1943年に、レバノンはシリアから分離独立しました。
このように、レバノンはフランスに支配されていた時期があったので、今でもフランスと関係が深いのです。
ポイント②:首都ベイルートは内戦でボロボロに
レバノンの首都ベイルートは、内戦でボロボロになって地位が下がりました。
首都ベイルートは、独立以後、交通の要衝として中東の重要都市でした。
「中東のパリ」と呼ばれるくらい、中東の金融・商業の中心地として発展していたそうです。
ちなみに、これがベイルートの写真。
撮影時期は最近だと思いますが、ベイルートが発展都市だということがわかると思います。
「中東のパリ」と呼ばれるほど発展をしていたベイルートでしたが、1975年から1990年にかけてレバノンで内戦が起きた結果、国はボロボロになり、ベイルートもボロボロになってしまいました。
内戦終了後、レバノンの人々は一生懸命ベイルートを再建しています。(さっきの写真のように)
ですが、エジプトのカイロ、トルコのイスタンブール、アラブ首長国連邦のドバイにその地位が奪われつつあります。
このように、首都ベイルートはレバノン内戦でボロボロになり、国際的な地位が下がってしまいました。
ポイント③:シリア内戦の影響で国はボロボロに
隣国シリアで2011年に起きた内戦の影響で、レバノンもボロボロになっていきました。
レバノンは、隣国シリアと緊密な関係を築いています。
もともとはシリアがレバノンを実質的に支配していたみたいです。(ただ、親シリア派と反シリア派の対立もあり、2008年に、レバノンとシリアは通常の二国間関係に移行したとのこと)
ベッタリだったんですね。
ですが、2011年にシリアで内戦が起きました。
2011年にチュニジアやエジプトなど30年以上の長期独裁政権が、民衆のデモ活動で倒れた(「アラブの春」)のですが、この動きが波及して、シリア政府軍とシリアの反体制派・同盟組織による内戦が起きたのです。
で、さらにレバノンにも影響が及ぶことに。
レバノン内部で親政権派と反政権派の衝突が起きました。
さらに、シリアからの難民も多数受け入れました。(2014年現在、レバノン住民の約4分の1がシリアから逃れてきた難民らしい:Wikipedia情報)
これらの結果、レバノンの主要産業である観光業収入の減少し、国がボロボロになっていっています。
このように、レバノンはシリア内戦の影響でボロボロになりつつあります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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