日本史

日清戦争について東大卒元社会科教員がわかりやすく解説【日本の歴史53】

 

日清戦争について説明します!

 

この記事の信頼性

僕(もちお)は、元社会科教員。

  • 日本史についてそれなりにくわしい。

僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。

  • 日本史についてそれなりにくわしい。

 

望岡 慶
望岡 慶
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日清戦争とは?

日清戦争は、1894年〜1895年にかけて日本と中国(清)が朝鮮の支配権をめぐって戦った戦争です。

 

そもそも戦争とは?

戦争=何かをめぐって国同士が対立している時の解決手段の一つ。

 

国同士が対立している時は、まず対話での解決を目指すのが基本です(←対話で解決できれば、すごいコストがかかる戦争をしなくて済むので)

ですが、話し合いで解決できそうにない場合、「武力を使って自分の目的を達成させよう(=相手に認めさせよう)!」ってなるわけです。

お母さんが子供のことをビンタする時と同じです。

 

じゃあ、日本と清は何をめぐって対立していたのでしょうか?

 

日清戦争の背景(日本と清は何で対立していた?)

朝鮮の支配権が日本と清の対立の背景です。

 

日本の事情

明治政府のメンバーは、日本を守るために(独立を守るために)朝鮮を勢力圏に組み込もうと考えていました。

というのも、国境の外側に日本が勢力を持っている地域があれば安全だからです。外国との間で何かヤバいことがあった時に、まずはその勢力圏を差し出して「これで許してください!日本の内部には入ってこないでください!」って感じの対処をすることができるわけです。

いわゆる植民地みたいなものです(←この時代、欧米諸国はいろんな地域を自分の国の植民地にしていました)

 

このあたりについては、明治初期の外交についての記事でくわしく説明をしたので、ぜひそちらもあわせてお読みいただけたら!と思います。

明治初期の外交について東大卒元社会科教員がわかりやすく解説【日本の歴史48】

 

 

清の事情

一方、清は伝統的なアジア流の国際関係を維持し、朝鮮を自分の国の子分みたいな存在のままにしておきたいと考えていました。

伝統的なアジア流の国際関係

中国の皇帝を中心とする国際関係(冊封体制)

 

  • 中国の周辺の国の王が、中国の皇帝にお土産を渡して「ははぁ〜」と挨拶をして(=朝貢)
  • 中国の皇帝が、「あなたをその地域の支配者として認めますよ」と認める(=冊封)

 

 

こうして、「朝鮮を自分のものにしたい!」って考えた日本と「朝鮮はもともと俺の子分だ」って考えていた清との間で、朝鮮の支配権をめぐって対立が起こったわけです。

 

では、なぜ日本と清の対立が日清戦争という戦争にまで発展することになってしまったのでしょうか?

 

日清戦争が勃発するまでの流れ

(1)朝鮮と国交を結ぼうとしたけど拒否される

明治新政府は発足してすぐに、朝鮮に対して「国交を結びましょうよ」っていう交渉をしました。

ところが、当時の朝鮮で権力を握っていた人が「外国ぶっとばせ!」っていう攘夷の方針だったので、なかなか明治新政府の思い通りにはいきませんでした。

 

 

(2)征韓論争

その後、明治新政府のメンバーの一部(岩倉使節団)が海外に行っている間に、日本に残っていた政府のメンバーは「朝鮮がまた拒否しやがったら、もう武力を使っちゃおうぜ」っていう考え(征韓論)を持つようになりました。

で、この方針でいくことが一度決定されたのですが、岩倉使節団が帰国して、彼らが「征韓論なんて絶対ダメ!」って猛反対したので、征韓論は挫折します。

→征韓論を否定されたメンバーは政府を離れて、自由民権運動や士族反乱を展開していきます(別記事)。

 

 

(3)江華島事件を起こして日朝修好条規を結ばせる

(征韓論を否定したくせに、)明治政府のメンバーは1875年に朝鮮の江華島っていう島の近くに軍艦を送って、空砲をバンバン鳴らしたり測量をしたりするなどの威圧行為を行い、朝鮮を挑発しました。

んで、この挑発に乗って朝鮮が砲撃をしてきたので、「砲撃しやがったな!復讐だ!」ってことで、日本と朝鮮の間でバトルが起きます(江華島事件)。

 

この事件をきっかけに、1876年、日本は軍事力を背景に交渉を進めて朝鮮と日朝修好条規を結びました。朝鮮にとって不平等な条約です。

日朝修好条規(1876年)

  • 釜山だけでなく、他に2港を開く(→仁川・元山に決定)
  • 日本の領事裁判権や関税免除を認める

 

朝鮮はそれまで世界とは限られた関係しか持たなかったんですけど、この条約によって朝鮮は開国することになりました。

日本がペリー来航以降アメリカにやられたことと同じようなことを、今度は日本が朝鮮に対してやった、って感じです。

 

 

(4)板挟みになった朝鮮で政治抗争が激化

こうして日本は朝鮮を自分の勢力圏にするための第一歩を踏み出すことができたわけですが、まだ完全に自分の勢力圏にできたわけではありません。

 

当時の朝鮮はアジア流の国際関係の中にいて、まだ中国の影響のもとにある状態でした。

つまり朝鮮は、「力を伸ばしてきた日本」と「親分の中国」の間で板挟みになっているような状況です。

 

そのため、「外国はぶっとばして今まで通り清との関係を維持しよう!」っていう勢力と「日本と接近して国を発展させよう!」っていう勢力の間で対立が起きることになりました。

「外国はぶっとばして今まで通り清との関係を維持しよう!」っていう勢力

=国王の父の大院君たち

 

「日本と接近して国を発展させよう!」っていう勢力

=国王妃の閔妃たち

なんか国王(高宗)は板挟みになってる感じなのでむっちゃ大変そうですよね…。

 

 

ちなみに(←っていうか大事な話ですが)、朝鮮の人々の中には「日本をぶっとばして今まで通り清との関係を維持しよう!」って考えて、国王の父である大院君を支持する人々が結構いました。

日朝修好条規に基づいて日本商人が国内に進出してきたのを受けて、「なんか嫌だな」って思う人が結構いたわけです。このあたりは江戸時代末期に外国と貿易するようになった日本と同じです。

 

 

(5)壬午軍乱(1882年)

そして1882年、大院君を支持する軍隊が反乱を起こしました。そして一般庶民もこれに応えて、日本公使館を襲ったりしました。

この暴動のことを壬午軍乱と言います。

 

結局、この暴動は清が軍隊を朝鮮に送ったことによって鎮圧されたのですが、これ以降、清は朝鮮に軍隊を駐留し続けます。

 

一方の日本は、日本公使館が襲われたわけなので見返りを求めます。朝鮮に賠償金を払わせたり、日本の軍隊を朝鮮に駐留させる権利を認めさせたりしました(済物浦条約)。

 

こうして、清の軍隊と日本の軍隊がともに朝鮮にいる!という状況になりました。

 

 

(6)甲申政変(1884年)

1884年、また朝鮮で事件が起きます。

 

きっかけは1884年に起きた清仏戦争です。清とフランスの間で戦争が起こったことによって、朝鮮に駐留する清の軍隊が一部撤退しました。

で、「これはチャンス!」って思った朝鮮の親日派の人たち(独立党)が「政権を奪い取るぞ!」ってことでクーデタを起こしたんです。これを甲申政変と言います。

 

ですが、結局、この暴動も清の軍隊によって鎮圧されてしまいました。

 

 

(7)日本はまだ戦争したくない

ここまでずっと、朝鮮国内で混乱が続いていますよね。

「日本と近づこう!」っていう勢力と「清と近づこう!」っていう勢力が権力争いをしていて、日本も清も朝鮮を狙っている、という構図です。ちょっと歯車が狂うだけで戦争が起きそうな状況なわけです。

 

でも当時の日本は戦争を望んでいたわけではありません。

まだ江戸幕府が滅亡してから20年も経っていない時期で、まだまだ日本は弱小国です。外国と戦争するための軍隊もまだ十分に整備されていません。東アジアでずっと親分として振る舞ってきた中国と戦争をしても勝てる保証はないんです。

 

 

(8)天津条約(1885年)

そこで日本の明治政府は、日中関係の悪化をなんとかするために(戦争を回避するために)1885年に伊藤博文を清に送って、中国代表の李鴻章と話し合って条約を結びました。

天津条約の内容

  • 日本軍・中国軍がともに朝鮮から撤退する
  • 次に朝鮮に出兵する際には、お互いに事前通告しようね(=次が本番だぞ)

 

この天津条約の内容は重要です。

 

朝鮮国内で何かが起きて「助けてー」って中国に要求した場合、中国は日本に対して「これから朝鮮に軍隊を送るよ」って伝える

「朝鮮は俺のものなんだよー!中国にとられてたまるかあー!」って感じの日本も朝鮮に出兵する

日本軍と中国軍の間でバトルが起きて日清戦争に発展する(はず)。

 

「次が本番だぞ…!」って感じの条約なんです。

 

 

(9)日本は軍事力を強化

天津条約で日本と清の対立にいったんストップがかかったので、その後の日本は将来起こるだろう日清戦争に向けて軍事力を強化していきます。

軍事力強化の具体例

  • 松方財政(松方正義大蔵卿・大蔵大臣のもとでの財政政策)において、軍備拡張のための増税が行われた
  • 1888年、陸軍の編制が、国内治安対策をメインとした鎮台から、対外戦争対策をメインとした師団に改められた
  • 1889年、徴兵令が全面改正された(免役規定が廃止され、ほぼ国民皆兵が実現した)

 

 

(10)ロシアがシベリア鉄道建設開始(1891年)

日本が頑張って軍事力を強化している中、1891年にロシアがシベリア鉄道の建設を開始しました。

これがかなり厄介で、シベリア鉄道ができるとロシアが東アジアの方まで簡単に軍隊を送ったりできるようになっちゃうんですよね。

 

日本はもちろん、中国に対して影響力を持っていたイギリスも、ロシアを強く警戒するようになりました。

で、イギリスは「日本にロシアの勢力拡大を食い止めてもらおう!」って期待し始めたんです。こうして、日本の国際的地位(存在価値)が一気にアップします。

 

 

(11)甲午農民戦争(1894年)

そしていよいよ日清戦争が始まります。

 

1894年に朝鮮国内で甲午農民戦争と呼ばれる農民の反政府暴動が起きました。

甲午農民戦争

全琫準が指導。

減税と排日を要求し、民衆がまとまった。

  • 日本への穀物輸出が増加した
  • 生活不安が高まり、民衆がまとまった(←平等と社会変革を説く民衆宗教である東学が浸透)
  • 朝鮮政府が増税した

 

民衆がまとまった理由

・平等と社会変革を説く民衆宗教である東学が浸透したから。

 

減税と排日を要求した理由

1876年の日朝修好条規以降、日本が朝鮮から穀物を輸入するようになった

→1889年、朝鮮地方官が凶作を理由に大豆・米の対日輸出を禁止した(防穀令)

→日本は朝鮮に賠償を求める

→1893年、朝鮮は賠償に応じる

→朝鮮の民衆は生活が苦しくなる

 

で、この反政府暴動を受けて、朝鮮政府は清に対して「助けてー」って求めました。

そしたら、天津条約で約束した通り、清は日本に対して「これから朝鮮に軍隊を送るよ」って伝えなければいけません。んで、約束通り清は日本に通告し、日本も「清に負けてたまるか!」ってことで朝鮮に出兵しました。

 

これを見て「やべえ!」って思った朝鮮の農民は暴動をやめて、朝鮮は日本と清に軍隊の撤退を求めたんですけど、この要求を両軍とも受け入れませんでした。

 

 

(12)日清戦争勃発(1894年)

そして日本は、後に引けない状況でした。

日本国内では、

  • 議会と内閣の間で激しい対立が起きていたり、
  • 新聞は「戦争を始めろ!」って煽っていたり、、

っていう状況で、ここで朝鮮から軍隊を撤退させたら内閣が猛批判を受けること間違いなし!って感じだったんです。民主主義って難しいですね…。

 

そんな中、イギリスとの間で条約改正が実現しました(日英通商航海条約の調印)。存在価値が高まった日本をイギリスが正式に認めてくれた!って感じです。

 

そこで、第2次伊藤博文内閣は、1894年7月に朝鮮王宮を軍事占領して親日派政権を作る!という思い切った策を実行します。

そして朝鮮政府に「日本が清の軍隊を駆逐する」ことを認めさせて、戦争の口実を作りました。

 

こうして日清戦争が勃発しました。

日清戦争の途中経過は省略します(Wikipediaを見てください!)。

 

 

日清戦争の結果

日清戦争は日本の勝利に終わり、1895年に日本と清との間で下関条約が結ばれました。

 

下関条約(1895年)

  • 朝鮮が独立国であることを清が承認する
  • 清は遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲る
  • 清は賠償金(2億両)を日本に支払う
  • 清は揚子江流域の開港と通商上の特権を認める

 

日清戦争の結果、日本は東アジアでの影響力をものすごく拡大させたのですが、、、

シベリア鉄道を建設して東アジアに進出しようとしていたロシアとの間で対立が生じることになりました。

 

その話は次回!

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望岡 慶
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