日本史

明治新政府について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説しようと頑張る

 

明治新政府について説明をします!

 

この記事の信頼性

僕(もちお)は、元社会科教員。

  • 日本史についてそれなりにくわしい。

僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。

  • 日本史についてそれなりにくわしい。

 

望岡 慶
望岡 慶
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明治新政府とは

 

 

明治新政府についての説明画像

明治新政府とは、武力倒幕をしようとしていた人々が1867年12月9日に王政復古の大号令を発することで作られた政府のこと。

 

 

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どういうことか?を、もっとくわしく説明するために、3つに分けます。

  1. 明治新政府ができるまで
  2. 明治新政府ができる瞬間
  3. 明治新政府へのバトンタッチ

 

 

①明治新政府ができるまで

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1800年頃から外国船が日本に来まくって「やばいやばい」ってなっている中、1853年にはペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航。

 

 

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ペリーは「開国しなさい」と要求し、圧倒的な実力差を目の当たりにした日本は、開国せざるをえなかったのでした。

 

 

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このあとの日本は、「外国に負けない国にならないと、日本終わるぞ…」という危機感を強く抱いた人々を中心に、「外国に負けない国になる」ことに向けて、激動の時代を迎えます。

尊王攘夷運動(天皇LOVE運動+外国ぶっとばせ運動)などが起き、日本は大混乱。

 

 

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で、誰がどうやって日本を引っ張っていくのか?で、結構もめたのです。

誤解を恐れずに言うと、「徳川氏…どうする?必要?」っていうポイントで、もめました。

 

 

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1867年(江戸幕府最後の年)の勢力図はこんな感じ。

将軍徳川慶喜を中心とする幕府は、幕政を立て直そうとしていました。

一方、薩摩藩の大久保利通や長州藩の木戸孝允らは、武力で倒幕しようとしていました。

両者を取り持つような形で、土佐藩の山内豊重や後藤象二郎らは、「天皇のもとで徳川家・雄藩・公家で新政府を作って話し合って政治をする」ことを目指していました。

keywords

雄藩

江戸時代末期に藩政改革を進めて強くなった藩。

(例)薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩

 

公議政体論

天皇のもとで徳川家・雄藩・公家で新政府を作って話し合って政治をしよう、という考え。

 

 

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薩摩藩の大久保利通や長州藩の木戸孝允らが武力倒幕を決意している中で、土佐藩は先手を打って、幕府に「朝廷に政権を返して、徳川家・雄藩・公家で新政府を作って話し合って政治をしていきましょうよ」と言いました。

これを受けて徳川慶喜は1867年10月14日に大政奉還を行ったのです。

 

 

明治新政府ができる瞬間

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一方、薩摩藩の大久保利通や長州藩の木戸孝允は、公家の岩倉具視の協力を得つつ、実は1867年10月14日に倒幕の密勅をゲットしていたのです。

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倒幕の密勅

薩摩藩と長州藩に”ひそかに”下された、「江戸幕府を倒せ!」という天皇の命令

 

大政奉還も倒幕の密勅も同じ1867年10月14日

望岡 慶
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なんで教科書で日付がわざわざ書かれているのかというと、「同日」であるってことが大事だから。

 

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武力倒幕派がせっかく「江戸幕府を倒せ!」っていう天皇のお言葉をいただいたのに、その日に大政奉還されて江戸幕府がなくなってしまったので、「もう江戸幕府なくなっちゃってるじゃん」ってことになってしまったのです。

 

旧幕府側が、ある意味”勝利した”って感じ。

(ちなみに、大政奉還によって江戸幕府はなくなったので、ここから「旧幕府」と呼ぶことになります)

 

 

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薩摩藩と長州藩は反撃します。

1867年12月9日に、土佐藩などの協力を得つつ、王政復古の大号令を発して、新しい政府をつくったのです。

これ、いわゆるクーデターです。

keywords

王政復古の大号令

薩長の武力倒幕派が、天皇中心の新政府を樹立することを目指して出した宣言。

 

クーデター

暴力的な手段を使って政権を奪い取ること。

 

武力倒幕をしようとしていた人々が1867年12月9日に王政復古の大号令を発することで作られた政府のことを、明治新政府と言います。

 

 

③明治新政府へのバトンタッチ

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実は、明治新政府も旧幕府も、目指しているものはほぼ同じでした。

 

ただ、「徳川氏…どうする?必要?」っていうポイントでは一致せず。

  • 明治新政府は「徳川氏を排除して新しい日本を作っていこう!」という立場をとり、
  • 旧幕府は「徳川氏も一緒に入れて新しい日本を作っていこう!」という立場をとったのです。

 

 

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徳川氏を排除しようとしたことがわかる例

1867年12月9日夜に、新政府側で開かれた会議(小御所会議)で、

  • 徳川慶喜が内大臣を辞職すること
  • 徳川慶喜が領地を手放すこと

を求めた(辞官納地といいます)。

 

こんな感じで新政府は徳川氏を挑発し、バトルに持ち込んだのです。

 

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1868年1月から、新政府と旧幕府の間で、1年間にわたる内戦(戊辰戦争)が起きました。

 

結局、1869年5月に、新政府側の勝利という形で決着。

日本の今後の命運は、新政府にバトンタッチされることになったのです。

 

 

明治新政府が目指したもの

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正式にバトンを受け取った明治新政府が目指したのは、超絶ざっくり言うと「外国に負けない国になる」こと。(欧米諸国に対抗できる国力を育成すること)

 

 

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ですが、「外国に負けない国になる」ためには、クリアしなければいけない課題がたくさんありました。

主要なものを5つ書きます。

  1. 藩のせいで日本はバラバラ
  2. 強い軍隊がない
  3. 税金収入が不安定
  4. 国の政治のしくみがない
  5. ”日本”だけだと独立を守れないかも

 

 

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これらの課題を克服するために、新政府はいろんな改革を行ったのです。

 

明治新政府のまとめ

  • 明治新政府とは、武力倒幕をしようとしていた人々が1867年12月9日に王政復古の大号令を発することで作られた政府のこと
  • 明治新政府は、旧幕府との戊辰戦争で勝利し、正式にバトンを受け取った
  • 明治新政府は、「外国に負けない国になる」ことを目指した

 

望岡 慶
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最後までお読みいただきありがとうございました!

 

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