日本史

北海道の歴史

 

北海道の歴史についてまとめました!

 

北海道の歴史

原始

旧石器時代

 

  • 置戸安住遺跡
  • 白滝遺跡
  • 樽岸遺跡

 

 

古代

縄文文化

縄文文化は今日の日本列島全域に及んだ(→北海道にも)

 

 

続縄文文化

弥生文化(←稲作)は北海道には及ばなかった

北海道では続縄文文化と呼ばれる食料採取文化が続いた(稲作のない文化)

 

 

擦文文化・オホーツク文化

7世紀以降、擦文文化やオホーツク文化が成立

  • 擦文文化:東北北部から北海道・サハリンに分布(←擦文土器)
  • オホーツク文化:オホーツク海沿岸に分布(←オホーツク式土器)

これらの文化も漁労・狩猟に基礎をおく文化

 

 

中世

アイヌの文化

  • 13世紀にはアイヌの文化が生まれる
  • 津軽の十三湊を根拠地として得宗の支配下にあった安藤氏(安東氏)との交易を行う
  • アイヌの人々のうちサハリンに住んでいた人々はモンゴルと交戦しており、モンゴルの影響は広く日本列島に及んでいた

 

 

本州から和人が進出

  • 14世紀には機内と津軽の十三湊を結ぶ日本海交易が盛んに行われ、サケ・コンブなど北海の産物が京都にもたらされた
  • 本州から、人々が蝦夷ヶ島と呼ばれた北海道の南部に進出し、各地の海岸に港や館(道南十二館)を中心にした居住地をつくる
  • 漁労・狩猟や交易を生業としていたアイヌは和人と交易を行う

 

 

コシャマインの戦い(1457)

和人の進出は次第にアイヌを圧迫

→アイヌは大首長コシャマインを中心に蜂起(1457)

→上ノ国の領主蠣崎(武田)氏によって制圧された

→蠣崎氏の祖武田信広がコシャマインの戦いののち勝山館を築城

→蠣崎氏は道南地域の和人居住地の支配者に成長

→江戸時代には松前氏と名乗る大名に

 

 

近世

商場知行制

  • 蠣崎氏は松前氏と改称し、1604年に徳川家康からアイヌとの交易独占権を保障され、藩制をしいた
  • 和人地以外の広大な蝦夷地の河川流域などに居住するアイヌ集団との交易対象地域は商場or場所と呼ばれ、そこでの交易収入が家臣に与えられた

 

商場知行制と場所請負制についてわかりやすく【蝦夷地の歴史】商場知行制と場所請負制について説明します! ...

 

 

シャクシャインの戦い(1669)

アイヌ集団はシャクシャインを中心に松前藩と対立して戦闘(1669)

→松前藩は津軽藩の協力を得て勝利

→シャクシャインの戦いでアイヌは全面的に松前藩に服従させられた

 

 

場所請負制度

  • 18世紀前半頃までに多くの商場が和人商人の請負となった(場所請負制度)
  • この段階でアイヌはもはや自立した交易の相手ではなく、漁場などで和人商人に使われる立場にかわっていた

 

商場知行制と場所請負制についてわかりやすく【蝦夷地の歴史】商場知行制と場所請負制について説明します! ...

 

 

クナシリ・メナシの戦い(1789)

1789年、国後島のアイヌによる蜂起

→松前藩に鎮圧されたが、アイヌとロシアの連携の可能性を幕府は危惧した

 

 

ロシア使節ラクスマンが根室に来航(1792)

しかも1792年にロシア使節ラクスマンが根室に来航し、漂流民を届けるとともに通商を求めた

この頃、ロシア人は択捉島に上陸して現地のアイヌと交易を行なっていた

→幕府は江戸湾と蝦夷地の海防の強化を諸藩に命じる

 

 

蝦夷地に介入

  • 1798年、幕府は近藤重蔵・最上徳内らに択捉島を探索させ「大日本恵登呂府」の標柱を立てさせた
  • 1800年に八王子千人同心100人を蝦夷地に入植させる
  • 1802年に東蝦夷地を永久の直轄地とし、アイヌを和人とした(→同化政策)

 

 

ロシア使節レザノフが長崎に来航(1804)

1804年にロシア使節レザノフがラクスマンの持ち帰った入港許可証を持って長崎に来航

→幕府は冷淡な対応をして追い返した

→ロシア船は樺太や択捉島を攻撃

→1807年に松前藩と蝦夷地をすべて直轄にして松前奉行の支配のもとにおき、東北諸般をその警護にあたらせる

→1808年に間宮林蔵に樺太とその対岸を探索させた

 

 

ロシアとの関係が改善された

ロシアとの関係はゴローウニン事件を機に改善された

→幕府は1821年に蝦夷地を松前藩に還付した

 

 

近代

箱館の開港

ペリー来航後、1854日米和親条約により箱館を開港

 

日米和親条約と開港について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説【日本史42】・アメリカは、日本を必要な物資を確保する拠点にしようとした ・ペリーは軍艦を率いて日本に来航し、開国を要求した ・幕府は軍事衝突を避けるために、老中阿部正弘のもとで日米和親条約(神奈川条約)を結んだ ・日米和親条約によって、日本は「鎖国」の時に開いていた4つの窓口以外の窓口(港)を開くことになった...

 

 

蝦夷地を北海道に

  • 1869年、蝦夷地を北海道と改称して開拓使をおく
  • アメリカ式の大農場制度・畜産技術の移植をはかり、クラークを招いて1876年に札幌農学校を開校

 

 

屯田兵制度(1874)

目的

  • 士族授産
  • 北海道の開拓
  • ロシアへの備え

 

開発の陰で、アイヌは伝統的な生活・風俗・習慣・信仰を失っていった

 

 

開拓事業が終了(1882)

→開拓使を廃して函館・札幌・根室の3県をおき、1886年に3県を廃して北海道庁を設けた

※1881 開拓使官有物払下げ事件

 

 

北海道旧土人保護法(1899)

 

 

戦時中

 

 

戦後・現代

サンフランシスコ平和条約発効(1952)

→千島列島の放棄

 

 

アイヌ文化振興法(1997)

→2019年廃止

 

 

アイヌ施策推進法(2019)

 

 

参考文献

 

 

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