ニクソン・ショックについてまとめました!
ニクソン・ショックとは
1971年にアメリカ合衆国のリチャード・ニクソン大統領が発表した2つの大きな方針転換。
世界がビビってショックを受けるくらいの重大発表だったので、ニクソン・ショックという。
①ニクソン大統領が北京訪問計画を発表
1971年7月にニクソン大統領が「中華人民共和国に訪問するよ」って宣言し、1972年2月に実際に北京に訪問した。
なぜショックだったのか?
日本はアメリカの意向に従って、1952年に中華民国(台湾)と講和条約を結んで外交関係を築いていた。
なぜ中華人民共和国に行ったのか?
長期化し泥沼化したベトナム戦争を解決したかった。
←中国と関係を改善することで、中国を媒介に北ベトナムとの和平交渉を実現させようとした。
※中国とソ連の間で軍事衝突が起きるほど中ソ関係が悪化していたので、中国にとっても都合が良かった。
②ニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表
1971年8月にニクソン大統領が新経済政策を発表した。
- 金とドルの交換を一時的に停止する
- 西ドイツ・日本などの為替レートの大幅な切上げを要求
- 10%の輸入課徴金制度を設ける(→日本から輸入する電気製品が割高になる)
- 90日間の賃金・物価の凍結(→その期間に各国といろいろ調整する)
なぜショックだったのか?
- 日本は固定相場制のもとで輸出を増やそうとしていた。
- 世界経済の枠組みが大きく変化する政策なのに、外国に事前に知らされていなかった。
なぜ金とドルの交換停止を発表したのか?
アメリカ経済が低迷し、基軸通貨だったドルの国際的信用が急落していた
(アメリカ経済が低迷していた理由)
- ベトナム戦争にともなう軍事支出
- 西側諸国への援助
- 貿易赤字(敗戦国の西ドイツ・日本が固定相場制のもとで、マルク安・円安を利用して輸出を増やしていた)
※世界経済の仕組みについては別記事で→国際通貨体制の変遷(歴史)をまとめた
ニクソン・ショックのその後
金本位制が崩壊&固定相場制が崩壊…!
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ドル・ショック後、各国は変動相場制に移行
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しかし長年の固定相場制に慣れていたため、貿易が停滞
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新しい固定相場でスミソニアン体制がスタート
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再びドル不安
↓
変動相場制へ
くわしくは別記事で
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