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東南アジアの歴史をわかりやすく:なぜ植民地になったのか?

モチオカ(望岡 慶)

東南アジアは全体として、どのような歴史を歩んだのだろうか?

地域の大まかな歴史の流れがわかるように、細かい部分は思い切って省略して、東南アジア史をざっくりまとめる。

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バラバラに発展

東南アジアは、そもそも「つながりにくい地形」をしている。

たとえば、大陸部では・・・

ミャンマーとタイ、タイとベトナムの間には高い山々がそびえている。赤道付近には、うっそうとした熱帯雨林(ジャングル)が広がっている。これらは移動の大きな障害となる。

さらに、海の上には無数の島々が点在している(多島海)。海は移動の手段にもなるが、それぞれの島が孤立しやすいという側面もあった。

こうした地形の特徴のせいで、東南アジア全体が一つの文化としてまとまることは難しかった。それぞれの地域が他と切り離され、独自の文化を発展させていくことになったのである。

外からの影響を受けやすかった

ただ、東南アジアは「外から完全に孤立していた」というわけではない。

この地域は熱帯に位置しており、香辛料や果物、ゴムなどの熱帯作物が豊富。また、モンスーンによって安定した降水があり、河川流域では稲作が盛んに行われてきた。

こうした資源の豊かさゆえに、早くから外の世界とつながっていた。

※モンスーンは航海に適しており、中国やインド、アラビア半島などの商人たちが定期的に東南アジアを訪れることを可能にした。

マレーシア国立博物館にて(2024.12撮影)

こうして、東南アジアは早くから中国やインド、中東の文化の影響を受けるようになる。それぞれの地域で異なる文化が持ち込まれ、東南アジアはきわめて多様な文化をもつ地域として発展していった。

インド化

紀元前後から、インドとの交易が活発になったことで、インドの宗教・文字・政治制度などが東南アジアに伝わった。

特にカンボジアやタイでは、ヒンドゥー教やインド風の王権思想が取り入れられた。

このような現象は「インド化」と呼ばれている。

仏教の流入

同じくインドから伝わった仏教も、この地域に大きな影響を与えた。

カンボジアやミャンマー、タイなどでは仏教が深く根づき、現在でも社会や文化の中心的な存在となっている。

イスラーム化

13世紀ごろからはイスラーム商人の活動が盛んになり、マレー半島やインドネシアの島々にはイスラーム教が広がっていった。

西洋列強の植民地に

東南アジアは、資源の豊かさと交通の要所という立地の良さから、ヨーロッパの列強諸国にとって非常に魅力的な地域だった。

16世紀以降、ポルトガル・スペイン・オランダ・イギリス・フランスなどが次々に進出し、タイを除くほぼ全域が植民地化されていく。

このとき、東南アジアは一つのまとまった国家や政治勢力ではなく、小さな王国や地域勢力に分かれていたため、強大な列強に対抗することはできなかった。

マレーシア国立博物館にて(2024.12撮影)
支配国植民地
イギリスミャンマー、マレーシア、シンガポール、ブルネイ
フランスベトナム、カンボジア、ラオス
オランダインドネシア
スペイン→アメリカフィリピン
ポルトガル東ティモール

植民地時代には、西洋の文化・教育制度・宗教が持ち込まれ、社会のあり方に大きな影響を受けた。

また、プランテーション農業や鉱山開発の労働力として、中国南部や南インドから多数の移民労働者が流入。

こうして東南アジアは、多様な民族・宗教・文化が重層的に存在する社会へと変化していった。

日本の進出と、戦後の独立の波

独立

第二次世界大戦中、日本軍は「アジアの解放」を掲げて東南アジアに進出した。

その結果、これまで支配を続けていたヨーロッパの列強の力が一時的に弱まり、それが独立への引き金となって、戦後、多くの国が独立を果たした。

シンガポール国立博物館にて(2022.9撮影)
国名独立の年支配していた国
フィリピン1946アメリカ
ミャンマー1948イギリス
インドネシア1949オランダ
ラオス・カンボジア1953フランス
ベトナム1954(その後南北統一)フランス
マレーシア1957イギリス
シンガポール1965マレーシアから分離独立
ブルネイ1984イギリス
東ティモール2002インドネシア(国際法上はポルトガル)

こうして、長い植民地支配の時代は幕を閉じ、東南アジアは新たな国際社会の中で、自らの道を模索する時代へと入っていく。

戦後の試行錯誤

文化的にまとまれないからこそ、ゆるやかな協力へ

こうして各国が独立を果たしたものの、そもそも東南アジアは「まとまりにくい地域」である。

  • 多民族
  • 多宗教
  • 多言語

このような文化的多様性があるため、政治的統合を目指すのは難しい。

そうした中で1967年に誕生したのが、ASEAN(東南アジア諸国連合)である。

ASEANは、「ひとつにまとまる」のではなく、「できる範囲で協力しよう」というゆるやかな枠組み。経済・安全保障・文化交流などを通じて、地域の安定と平和的な共存を目指している。

ホーチミンにて(2024.11撮影)

経済発展へ

それぞれのペースで発展。

準備中

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現代の東南アジア

世界から注目されている

東南アジアは今、世界中から注目されている地域である。

豊富な人口と資源、安い労働力、安定した政治。これらを背景に、農産物の生産拠点工業の生産拠点巨大な消費市場としての役割を果たすようになってきた。

各国のペースには差があるものの、全体として著しい経済成長を続けている。

クアラルンプール郊外のプトラジャヤにあるIOI City Mall(2024.12撮影)
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