八幡製鉄所の眺望スペースを観光して学んだこと
2022年3月に八幡製鉄所の旧本事務所 眺望スペースに行ってきました。
その旅行記をブログ記事として残しておきます!
八幡製鉄所とは
日清戦争後の軍備拡張・製鋼業振興政策にもとづいて福岡県八幡村に設立された官営製鉄所。1897年着工、1901年操業開始。
清の大冶鉄山の鉄鉱石と筑豊炭田の石炭を使用。
製鉄所とは
製鉄所=鉄鉱石から鉄を取り出すところから最終製品の製造までを一つの敷地内で行う工場(銑鋼一貫製鉄所)
- 製銑(せいせん):鉄鉱石から鉄を取り出す(←高炉を使う)。取り出された鉄は炭素を2〜3%含んでおり、銑鉄(pig iron)と呼ばれる。
- 製鋼:銑鉄から炭素分を除去し、必要に応じて他の合金元素を混ぜる。高炉で取り出した銑鉄はこのままでは硬くてもろく、圧延加工をするのが困難だが、製鋼により得られる鋼(steel)は粘り強さを持つ(粗鋼:crude steel)。
- 鋳造:粗鋼を加工しやすいように一定の形に鋳固める。
- 圧延:鋳造で製造された半製品に力を加えて鍛え、所定の形状の製品に加工する。
※鉄鉱石から不純物を除去し鋼を作る作業がものすごく大変。超高温で加熱できる施設が必要。
スペースワールド駅から八幡製鉄所へ!
「官営八幡製鉄所」関連資産は、現在も操業している製鉄所構内に立地しています(日本製鐵 九州製鉄所八幡地区)。
なので、残念ながら内部を見学することはできません。ですが、旧本事務所の外観を眺望できるスペースが用意されています。
スペースワールド駅から徒歩10分。
昔、スペースワールドという遊園地だった場所(2018年1月、営業終了)の横を通って、
地下歩道をくぐると、、、
官営八幡製鉄所 旧本事務所 眺望スペース
眺望スペースに到着!
これが旧本事務所(1899年竣工)。
パネルがたくさん掲示されています。
外観とパネルしか見ることができないので、正直見るべきものは少ないです。
石炭
が、観光案内ボランティアガイドのおじちゃんがいて、ありがたいことに約20分ガッツリ説明してもらうことができました。
ボランティアガイドのおじちゃんに教えてもらった内容
八幡製鉄所ができるまでの歴史
江戸時代末期に日本近海に外国船の出没が増えて、「海防が必要だ!」という意識になった。
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アヘン戦争で中国が負けたのを見て、日本の特に九州の人たちが「このままじゃ日本も植民地になってしまう」って危機感を抱いた。
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「鉄をたくさん作らなきゃ!」って思った。が、従来の日本の技術(たたら製鉄)は西洋式の製鉄・製鋼技術と比べると劣っていて、精度が高く飛距離の長い大型の大砲を作ることは困難だった。
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西洋式の製鉄・製鋼技術の導入を目指して試行錯誤。反射炉の研究が行われた。
※ペリーが来航する前から、佐賀藩(鍋島藩)はオランダの書物を参考にして反射炉を作っていた。
※ペリー来航がきっかけで、江戸幕府直営の反射炉として伊豆で韮山反射炉が築造された(佐賀藩に助けてもらって)。
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岩倉使節団が、イギリスに渡航した際に鉄について学んだ(パークスなどから)。
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釜石に製鉄所を作り1880年から操業を開始したが、うまくいかず(1883年廃業)。
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日清戦争に勝利した日本は、伊藤博文内閣のもと「製鐵所設置建議案」を賛成多数で可決
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製鉄所の候補地は4つ。
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八幡に決定
(理由)
- 筑豊炭田がある
- 門司港という国際港がある
- 防御的に優れる湾奥に位置する
- 水が豊富で地震が少ない
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1901年に、日清戦争の賠償金などを財源として官営八幡製鉄所が操業開始。
しかし、1901年に東田第一高炉に火入をしたがうまくいかず。ドイツの技師は給料が高く、すでにドイツの技師には帰ってもらっていた。どうしよう…
※釜石はイギリスの技術だけど、八幡はドイツの技術
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野呂景義っていう人を呼んで調べてもらった。「ドイツの技術と日本の石炭が合わないのでは?」
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調査・改良後、火入をしたらうまくいくようになった
ボタ山
炭鉱で石炭の採掘に伴って発生する捨石(ボタ)の集積場。
日本列島における産炭地は偏在
- 北海道
- 本州の一部(常盤・宇部・大嶺など)
- 北九州
→筑豊炭田は内陸部の産炭地。そのため、ボタ山が各地にできた。
※釧路炭田(北海道)、三池炭田(福岡県:宮原坑、万田坑)のような海沿いや島の炭鉱にはボタ山がない。ボタは海に廃棄されるから(三池港の埋め立てに使った)。
鉄道のレールを作る工場
八幡製鉄所エリアには、鉄道のレールを作る工場があります(現在も稼働中)。
※八幡製鉄所は操業開始後、鉄道用レールを作りまくった(最初の5年間、レールは重量比で八幡製鉄所の全鉄鋼製品の60%超え)。
レールのような比較的単純な製品は、製鐵初期の段階では重視されて生産される。その歴史の名残もあって、レールは老舗製鉄メーカーでの生産が盛ん。
(参考:小島英俊(2015).『鉄道技術の日本史』.中公新書)
八幡製鉄所に行ってみて、製鉄について全然知らなかったんだな…って恥ずかしくなった
今は鉄が身近にありすぎて「鉄を作るのなんて簡単でしょ」って思っちゃったりするのですが、鉄を国産するって実はすごい難しいことなんですよね。
弥生時代の段階ではなかなか国内で鉄を作ることができなかったわけですし、それ以降は長いこと「たたら製鉄」というやり方で鉄を作っていたわけで。
高品質の鉄を大量生産できるようになったのは1900年代に入ってからなので、つい最近じゃん…!って感じです。
過去の偉人たちは「高品質の鉄を大量生産できるようになる」という目標に向かって、ものすごく努力をしたわけです。
その様子に思いを馳せることができるのが、八幡製鉄所の眺望スペースです。行くまでは正直「別に大したことない施設でしょ…」って思っていたんですけど、日本人なら死ぬまでに一度は行っておいても良いのでは!?って思いました。