日本史

国立銀行条例改正についてわかりやすく【日本の歴史】

国立銀行条例改正についてまとめました!

※「授業を聞いたり教科書を読んだりしてなんとなくわかったけど、いまいちわかった気がしない」っていう人向けに、要するにこういうことがやりたかったんだよ!ってのを説明したいと思います

国立銀行条例が改正された背景

政府は以下の2つの目的

過去に発行された紙幣を整理して、価値の裏付けがしっかりある新紙幣を発行しよう!

国内産業を育てるために、金融機関(お金を借りられる機関)を作ろう

これらの目的を達成するために、国立銀行条例を出して銀行を設立しようとした。

が、

銀行が発行した紙幣は人々に信用されず、

発行されるとすぐに兌換される(=金貨と交換される)ことが多かった

→銀行は経営不振に・・・

つまり、1つ目の目的を達成することができなかった。

そこで政府は方針を転換。

ひとまず2つ目の目的である「金融機関の設立」を優先することにした。

こうして1876年に出されたのが国立銀行条例改正!

って感じです。

国立銀行条例について理解できていないと国立銀行条例改正についてもよくわからないと思うので、不安な人は国立銀行条例の記事を先に読んでいただけたら、、、と思います!

国立銀行条例改正(1876)

目的

金融機関の設立を促し、お金の流れをスムーズにする

内容

国立銀行が発行する紙幣の兌換義務を取り除いた(→不換紙幣)。

銀行設立において、金禄公債証書による出資を認めた。

=交付された公債を裏付けとした紙幣の発行を認め、士族が国立銀行の設立や運営に関われるようにした

金禄公債証書とは

明治新政府は、華族や士族に秩禄(身分に基づく給料のようなもの)を支給していた。

秩禄は、働いてくれた対価というわけではなく、身分が高いというだけで支給されるものだったので、財政を圧迫する困った存在だった(←できれば支給したくない)

政府は財政基盤確立のため、秩禄を受け取っていた華族・士族に年間支給額の5~14年分の額の金禄公債証書を与えて、秩禄を全廃した(秩禄処分

まとまった退職金を払うので、退職してくれ・・・みたいな感じ

政府の支出は削減され、まとまったお金をゲットした人が登場

多額の公債を交付された華族・上級士族は、それを国立銀行や株式会社などに投資

どんな紙幣を発行?

新しく正貨(金や銀)に交換することができない紙幣を発行した。

当初の銀行券(上)と比べると、裏面から金貨の図柄が消えていることがわかる(←金貨とは交換できない紙幣だから)

結果

国立銀行の設立が相次ぐ

商人・地主や金禄公債証書で出資する華族・士族によって国立銀行が次々と設立された。

※1879年には153行に達した(第153国立銀行の設立を機に政府は認可を打ち切った)

※国立銀行とは別に、江戸時代から金融業を営んできた商人などによって、紙幣の発行権限をもたない私立銀行が設立された(1876 三井銀行など)

激しいインフレが起きる

国立銀行が不換紙幣を発行しまくったことにより、紙幣の価値が下がり激しいインフレーションが起こった

関連:なぜ貨幣が生まれたのか?なぜ貨幣が必要なのか?

金融システムが整う

金融機関が多数設立され、お金の流れがスムーズになった。

(例)国立銀行は例えば群馬や長野で生糸を生産して横浜経由で輸出する商人たちの活動を支えた

最終的に、日本銀行へ

軌道修正がなされ、日本銀行が集約的に紙幣を発行するシステムへと移行することになった。

→1882 日本銀行(記事準備中)

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参考文献

土方晉(1999)『横浜正金銀行(戦前円の対外価値変動史)』

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