社会(国家)は単一民族で構成されていた方がいい?

モチオカ(望岡 慶)

単一民族社会に近い方がいいのか?それとも他民族社会の方がいいのか?

どっちだと思います?

前提知識

  • 国籍を取得した他民族→【帰化】
  • 国籍を取得していない他民族→【移民】

※帰化はOKだけど、移民はNG!っていう考え方もありです

それぞれの立場に関して、よく指摘されることはこちら↓

単一民族社会に賛成な理由(多民族社会に反対な理由)

  • 単一民族社会だと、統一感や共通のアイデンティティを持ちやすい
  • 単一民族社会だと、言語の壁や文化の違いによるコミュニケーションの課題が少なくなる
  • 多民族社会だと、異なる文化間の摩擦や対立が生じる可能性がある
  • 多民族社会だと、差別、不平等などの問題が生じる可能性がある
  • 他民族社会だと、治安が悪化する

単一民族に反対な理由(多民族社会に賛成な理由)

  • 民族の多様性は、文化的な豊かさや異なる視点をもたらす
  • 民族の多様性により、相互理解や対話を重視する社会になる
  • 単一民族社会だと、「人間は一人一人違う」という当たり前の事実を忘れやすい
  • 多民族社会だと、移民に寛容になり人口を増やしやすい

あなたはどっち派?

★★★

僕は「多民族社会の方がいい(移民もOK)」派かな。

見た目が違う人、前提としている文化(マナー)が違う人と共存する社会の方が単純に面白そう(良くも悪くもいろんなことが起きて退屈しなさそう)だし。

それに、いろんな人がいた方が同調圧力が弱まりそうだし、他者を尊重する意識が高まる気がする。

「他の民族や文化を尊重する姿勢さえあればいいのだから、わざわざ一緒に住む必要はない」ってのはその通りなんだけど、やっぱり一緒の社会に住まないとそういう姿勢は身につかないと思うんだよね。

最近、街中で頻繁に外国人を見るようになったんだけど(←外国人がたくさん訪れる街に引っ越した)、いつもちょっと不安な気持ちになる。

話しかけられたらどうしよう・・・でも日本語通じないよな・・・どうしよう・・・みたいな。

あと単純に、「いま目の前にいる人と、僕は満足にコミュニケーションを取ることができないんだな・・・」という肩身の狭さ。

でも、こういう不安・肩身が狭い感覚を抱くことが結構大事なんじゃないかなと思う。

コミュニケーションに不安を感じるからこそ(≒自分が圧倒的な強者じゃないということに気づくからこそ)、相手を尊重する態度が身に付くと思うから。

例えば英語を学んだり、相手の文化(考え方)を理解しようとしたり。

逆に、周りに「難なくコミュニケーションを取れる相手」しかいない環境だと、すごく傲慢になっちゃうというか。同調圧力が効きすぎるというか。

事実、日本人って日本国内でかなり傲慢に振る舞っていると思う。まあ「自分の国」なんだからいいんだけどさ・・・でも「相手が俺に合わせろ」感が強すぎる感じしません?

単一民族社会だと、「僕たちは同じ○○人」ってことでお互い分かり合えているような錯覚をしてしまいがち。

でも、他人のことなんてわからないんだよね。家族や恋人、友達ですら、「相手を完璧に理解する」なんて無理。

だからといって「相手を理解しようとする必要はない」ってことが言いたいわけじゃなく、

相手のことを完璧に理解するのは無理だけど、それでも、相手のことを理解しようと努めることが大事だよね、って思う。

で、多民族社会の中にいると、そういう態度が自然と育まれるのかなって気がする。

否応なく「自分と相手は違う」という当たり前の事実が突きつけられるので。

ってことで、僕は今のところ「多民族社会の方がいい(移民もOK)」派かな。

ただ、多民族社会の国に行ったことがないので、行って実際に見てみたら考えがガラッと変わるのかもしれないなーとも思います

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モチオカ ケイ
モチオカ ケイ
社会科コンテンツクリエイター
関東で生まれる → 公立中学校 → 公立高校 → 1年間浪人 → 東大(教育学部) → 東大院(教育学研究科) → 修士課程修了(教育学) → 公立中学校の教員に → 退職 → ブログをがんばる → ?
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