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イスラーム教をわかりやすく:なぜ戒律(ルール)が厳しいのか?

モチオカ(望岡 慶)

「イスラーム教は戒律が厳しい」というイメージがないだろうか?

たとえば

  • 断食の月(ラマダーン)には日中の飲食を控える
  • 豚肉を食べてはいけない
  • 1日に5回、メッカの方向に向かって礼拝をする

など、「目に見える形」で守らなければならないルールが多い。キリスト教と比べると、行動に関する決まりが多く、厳しい印象がある。

エジプト・カイロにて(2025.3撮影)

なぜ、イスラーム教にはこうした戒律が多いのだろうか?

その答えを探るために、まずはイスラーム教が生まれた歴史と環境をざっくり見てみたい。

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イスラーム教はどのように生まれ、広まった?

「西アジアの辺境」で誕生

イスラーム教は、7世紀初頭のアラビア半島で生まれた。

当時の西アジアの主役は、北と西に君臨する東ローマ帝国、そして東で勢力を誇るササン朝ペルシアという二大国だった。

その間に位置するアラビア半島は、広大な砂漠に覆われ、いわば「大国に囲まれた辺境」にあたる場所。

ここでイスラーム教が誕生したのである。

明確な法体系がなかった社会で誕生

砂漠の広がるアラビア半島には、広大な砂漠のあちこちにオアシスが点在し、そこを拠点に遊牧・農業・隊商交易に従事するアラブ諸部族が暮らしていた。

アラビア社会には、国家による成文法や裁判制度といった「統一された法体系」はなかった。代わりに、「部族ごとの慣習(アダ)」「長老の判断」「名誉と報復の倫理」などが秩序の役割を果たしていた。秩序はあくまでローカルルールに依存していたのである。

エジプトで目撃した現地人の喧嘩(2025.3撮影)

そんな部族が数多く存在していたため、部族間の対立・抗争が絶えなかった

このような特徴を持つアラビア社会の中で、イスラーム教が誕生する。

ムハンマドが創始

アラビア半島の商業都市メッカでは、信仰も多神教や部族の神々が中心で、社会は価値観や規範がバラバラ。遠方との交易で富を得た商人層が力を持つ一方、貧富の差や不正が広がっていた。

こうした社会に疑問を抱いたのがムハンマド。

彼は「唯一神(アッラー)のもとで、人々は平等である」「貧者を救い、孤児を助け、不正を許さない社会を作ろう」と訴えた。

この理念は共感を呼び、次第に信者が増加。やがてムハンマドはメッカを追放されるが、後に勢力を伸ばし、630年にはメッカを征服。

ムハンマドの権威に多くのアラブ諸部族が従い、彼の率いるイスラーム教徒の共同体(ウンマ)は、有力な政治的・軍事的勢力となった。

つまり、イスラーム教という共通の価値観で、アラブ諸部族がまとまっていったのである。

部族内対立を和らげる一環で外に拡大

しかしムハンマドは、後継者を明確に指名せず、後継者の選び方の制度を作ることもしなかった。

そのため、彼が亡くなると(632年)、「誰がウンマを率いるのか」をめぐってアラブ諸部族の間に対立が生じることになった。

そこで、混乱の中で選ばれた初代カリフ(後継者)たちは、人々の関心を内部の争いからそらすため、対外戦争(征服活動)に乗り出す。

この遠征は成功を収めた。

アラビア半島の砂漠よりもはるかに肥沃で豊かな土地を獲得できたため、多くのアラブ人は家族ごと新たな支配地の都市に移住。現地の支配層となりながら、イスラームの信仰とアラブ人の支配体制を広めていく。

こうして、イスラーム教はアラビア半島から西アジア一帯、さらにその先へと急速に拡大していった。

マレーシア・イスラーム美術館にて(2024.12撮影)

なぜイスラームは戒律が厳しい?

では、このようにして生まれ、広まったイスラーム教が、なぜ「厳しい」と感じられるほどの戒律を持つのか?

仮説として、2つの視点から話をしてみたい。

厳しい自然環境

よく語られる、「砂漠の宗教だから」という説。

砂漠では、水や食料の確保が常に命に直結し、一人の勝手な行動は共同体全体の生存を危うくする。

そのため、「こうすべき」という行動規範を明確にして全員が守ることが不可欠だった。この生活の知恵や掟が、宗教の戒律として体系化されたのではないか、という考え方である。

エジプト(2025.3撮影)

関連:ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、過酷な土地だから生まれた?

統治システム不在

キリスト教は、すでにローマ帝国という法や制度が整った社会の中で、苦しい思いをしている人のために生まれた宗教。

だから、社会秩序的な話は少なく、精神的な話が多い。

ノートルダム大聖堂(2025.6撮影)

一方、イスラム教は、統治のシステムが曖昧な中で、社会をまとめるために生まれた宗教。

だから、宗教自体が、信仰面だけでなく社会秩序のルールブックとしても機能する必要があり、具体的な行動指針や禁止事項が多く定められた。

カイロのアズハル・モスク(2025.3撮影)

イスラームはどんな内容?

2つの要因(=過酷な自然環境統治システム不在の社会状況)が重なったことで、イスラーム教は「行動面のルールが多い宗教」という特徴を持つに至ったと考えられる。

では、その内容は本当に「厳しい」のだろうか?

もしかすると、「断食」などインパクトのある習慣が注目されすぎて、厳しさのイメージが増幅されているだけかもしれない。

具体的な中身を見てみよう!

イスラーム:「自分のすべてを誰かに委ねること」

マレーシア・イスラム美術館にて(2024.12撮影)

「イスラーム」という言葉は、アラビア語で「自分のすべてを(神に)委ねること」を意味する。

この時点で、なんだか厳格そうな響きがあるが・・・

六信五行

イスラームには、信じるべきことが六信(ろくしん)、行うべきことが五行(ごぎょう)として定められている。

特徴的なのは、「人間の心の中は他人にはわからないため、行為こそが信仰の証とされている」という点である。

そのため、五行は特に重視される。

五行

信仰告白(シャハーダ)「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはその使徒である」と告白する。
礼拝(サラート)1日5回、メッカの方角に向かって祈る。(砂漠においては方角と時刻を把握することが重要だったから?)
喜捨(ザカート)財産の一部を貧しい人や共同体のために分け合う。(砂漠においては共同体でお互いに助け合うことが重要だったから?)
断食(サウム)ラマダーン月に夜明けから日没まで飲食を断つ。(砂漠における苦しみを思い出し、貧しい人への思いやりの精神を育むため?)
巡礼(ハッジ)一生に一度、可能であればメッカを訪れる。
マレーシア・イスラム美術館にて(2024.12撮影)

六信

アッラー世界を創造し、支配するただひとりの神。
天使人間とは異なる存在で、神の命令を伝える。(ムハンマドにコーランを伝えたのは天使ガブリエル。)
使徒神の言葉を人々に伝える人。(アダム、ノア、モーセ、ダビデ、イエスなどが含まれ、ムハンマドは最後の預言者とされる。)
啓典神の言葉が記された書物。(コーランは人類に与えられた最後の啓典とされる。)
来世世界には終わりがあり、その後に裁きが行われる。
神の予定世界で起こるすべてのことは神の意志によってあらかじめ定められている。
マレーシアのピンクモスク。(2024.12撮影)

まとめ

こうして見ると、イスラームの教えは単なる禁止事項の羅列ではなく、信仰心の確認と共同体の維持、そして自己修養を目的としたものだとわかる。

過酷な環境や無秩序な社会で生まれたからこそ、「行動」を通じて信仰を示す仕組みになったのだろう。

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