イスラーム教のシーア派とスンナ派の違いとは?本質をわかりやすく
シーア派とスンナ派の違いを理解するカギ
イスラーム教は「社会のあり方」も担っている
イスラーム教は単なる「信仰」ではなく、社会全体の秩序をも構築する宗教である。
われわれは宗教というと、個人の心の救いを第一義とするものと考え、政治や経済とは無縁なもの(もしくは無縁であるべきもの)と思っている。
しかしイスラームはその本質上、つねに社会を問題にし、政治も経済もそのなかに包み込んできた。われわれの考える宗教の枠内にとどまらないのだ。
ここのところを誤解して、イスラームをわれわれの考える「宗教」の一つと考えるから、イスラームは理解しがたい存在となるのだ。個人の心をあつかう「宗教」と社会の安寧を司る国家の役目をともに担っているのがイスラームといってよいだろう。
「宗教」が「迷える一匹の羊」のためにあるとすれば、国家は「残りの九九匹の羊」の安全を考えようとする。仏教やキリスト教は、九九匹を委ねるべき国家を別にもっていたため、一匹のことだけを考えていればよかった。そのような国家をもたなかったイスラームは自ら九九匹のことも考えなければならなかったのである。
「宗教が国家の制度の役割も担っている」と言える。イスラーム社会の基本的な枠組みは以下の通り。
- 信仰(イーマーン):唯一神アッラーを信じる
- シャリーア(イスラーム法):日常生活から刑法・商取引までを網羅
- ウンマ(共同体):宗教共同体がそのまま政治単位でもある
このように、イスラーム教は「社会のあり方」そのものにも深く関わっている。
そのため、イスラーム社会では「誰がリーダーになるか」が極めて重要な問題となる。
なのに、社会のリーダーの選び方が決まっていなかった
ところが問題があった。
ムハンマドは、自分の死後に誰がイスラーム社会のリーダー(カリフ)になるかを明確に決めず、後継者の選び方の制度も残さなかった。

ムハンマドさん、そこ大事なところなんだから決めといてくれ〜って感じ。
極めて重大な制度的欠陥…!だと思う

でもムハンマドの子孫はいた!
ムハンマドの息子は全員、若くして亡くなった
ムハンマドは生涯で7人の子供を得たとされている。そのうち3人が男子。
もし男子が成人まで成長していたら、自然とムハンマドの後継者=カリフとして位置づけられたかもしれない。
しかし、残念ながら男子は若くして亡くなり、成人の男子の子孫は残らなかった。
その結果、「後継者は誰になるのか?」という問題が生まれ、後のシーア派とスンナ派の分裂につながっていく。
ムハンマドの娘ファーティマだけが子供を残した
ムハンマドには4人の娘がいた。しかし、うち3人は子供を残さず亡くなったとされる(幼くして亡くなった、あるいは詳細が不明)。
唯一、ファーティマだけが子供を残した。
ファーティマはムハンマドのいとこであるアリー(Ali)と結婚し、ハサンとフサインという2人の息子が生まれた。
つまり、この2人の息子が預言者ムハンマドの血統を引き継ぐ存在となったわけである。
誰をリーダーにするか?で考え方が対立!
ムハンマドは後継者の選び方を決めなかった。一方で、ムハンマドの子孫は存在する。
そのため、「誰をイスラーム社会のリーダーにするか?」で意見が分かれることになる。
大きく分けると、二つの考え方に分かれた。
- 「血」こそが重要だ…!という派閥
- 「血」よりも能力や承認こそが重要だ…!という派閥
これがシーア派とスンナ派の違いである。
例えるなら、「男系男子こそ天皇の位を継ぐべき」と考える人と、「国民や支持者からの承認と品格がある人が天皇になるべき」と考える人の違い、といったイメージ。
シーア派とスンナ派の考え方の違い

シーア派の基本的な考え方
- 「指導者(イマーム)はムハンマドの血を引くアリー家系(アリーとファーティマの子孫)から選ばれるべき」
- つまり「血筋」が最も重要と考える
どの代で「正統なイマーム」が途絶えたかという解釈によって、さらに細かく分派される。
- 十二イマーム派:12代目で隠れた
- 七イマーム派(イスマーイール派):7代目で途絶えた
→シーア派の十二イマーム派では、「イマーム不在の期間、宗教指導者(ウラマー)や学識ある指導者が社会秩序や日常生活の指導を担う」とされている。(→イラン)
スンナ派の基本的な考え方
- 「ムハンマドの血筋よりも、信仰と指導力が重要」
- リーダーは有力者たちの合議(選挙や承認)によって決めるのが正しいと考える
現代にも影響
初期イスラームの後継者問題は、今なお中東の政治や紛争に影響を及ぼしている。
- サウジアラビア(スンニ派の拠点):自らを「イスラームの守護者」と称する
- イラン(シーア派の拠点):シーア派の「正統な指導者国家」として、周辺国に影響力を拡大
参考文献