【日本史】井上財政とは?わかりやすく:痛みをともなう大改革→最悪なことに

井上財政について説明をします!
井上財政とは?
浜口雄幸内閣(1929年7月~1931年4月)と第2次若槻礼次郎内閣(1931年4月~1931年12月)で大蔵大臣を務めた井上準之助が行った財政政策のこと。
円為替相場の安定と経済界の整理・産業の合理化を目指して、緊縮財政と旧平価での金輸出解禁を行った。
超ざっくり言うと、井上財政は一時的にケガをしながら、日本経済を根本的に立て直すぞ!!って感じの政策です。骨をポキッと折ることで、折れた時は痛いけど治癒後には丈夫な骨になるぞ的な。

もう少しちゃんと言うと、(あえて)円高をもたらすことで日本経済を不況に導いて、イマイチな企業をぶっ潰して日本経済を健全なものにするぞ!!です。
ぜひ、このイメージを持ちながら続きを読んでください!

井上財政が行われる前の状況
財政政策を行うわけですから、何かしら経済に関して問題点があるっていうことです。
どんな問題があったのでしょうか?(どんな状況だったのでしょうか?)
金本位制を中断していた
第一次世界大戦(1914〜1917)の影響で、日本は1917年9月から金本位制を中断していました。
金本位制ってのは超ざっくり言うと「紙幣をいつでも金(ゴールド)と交換できますよ」っていうシステムです。
このシステムにすることで、紙っぺらの紙幣に「価値がある!」ってみんなが信じるようになるわけです(ちなみに現代の日本は金本位制じゃないです。紙幣を金と交換できないので)。

「ただ、紙幣と金(ゴールド)をいつでも交換できますよ」っていうシステムにすると、常にそれ相応の金(ゴールド)を準備しておかなきゃいけません(みんなが「交換してください」って言ってきたらオワリなので)。
つまり、金本位制のもとでは、紙幣をいくらでも刷れるわけではなく紙幣量は金(ゴールド)の保有量に規定されることになります。

紙幣量が金(ゴールド)の保有量によって決まるシステムのもとでは、自国の紙幣と外国の紙幣の交換もしやすくなります。金(ゴールド)が共通の尺度になるからです。
実際、日本では1円=金0.75グラム、アメリカでは1ドル≒金1.5グラムと定めらていたので、金(ゴールド)を間にはさむことで「2円=金1.5グラム≒1ドル」という関係が成り立っていました(実際には100円=49.85ドルでした)。
お互いの国が金本位制を採用していれば、違う国同士でもお金のやり取りがしやすい。

この金本位制を欧米の各国が採用していて、日本も1897年から金本位制に移行していました。

ところが、第一次世界大戦が起きました。戦争をするにあたって、金本位制だと困る。
というのも、戦争中はたくさんお金が必要になるのでたくさんお金を刷りたいけど、金本位制だとお金を自由に刷れないからです。
また、海外から戦争に必要なものをたくさん輸入することになるので、支払いのために金(ゴールド)が国外に大量流出することになるからです(←日本に関して言うと、日露戦争後の財政危機のせいで日本円への国際的信用がなかったので、貿易の際はなかなか日本円で決済できなかった)。

ってことで、第一次世界大戦が始まった後、欧米諸国は金本位制を中断しました。で、日本も1917年9月に金本位制から離脱。
第一次世界大戦が終わった後、数年かけて欧米諸国は次々と金本位制に復帰していきました。
が、日本は関東大震災(1923年)や金融恐慌(1927年)のせいでなかなか金本位制に復帰することができませんでした。
日本は「主要国」の一つだったのに、その日本が金本位制じゃない。他の主要国からしたら「はよ金本位制に戻れよ!」って感じでした。


円為替相場が不安定だった
さっき「金本位制のもとでは金(ゴールド)が共通の尺度になるので、違う国同士でもお金のやり取りがしやすい」という話をしました。
これは逆の言い方をすると、金本位制じゃないと違う国同士のお金のやり取りがしにくいってことを意味します。
実際、日本は金本位制に復帰できていなかったので、外国とのお金のやり取りがしにくい状況(貿易をやりにくい状況)になっていました。
というのも金(ゴールド)に裏付けられていない日本円の価値(外国のお金との交換の比率)は、全体的には下がりつつグラグラと揺れ動いていたからです。これが「円為替相場が不安定だった」の意味です。

イマイチな企業が生き残っていた
そして日本国内に目を向けると、イマイチな企業(不良企業)が生き残っているという状況でした。
第一次世界大戦中の大戦景気で「なんか業績が伸びちゃった(実はイマイチな)企業」は、戦争が終わった後の戦後恐慌(1920年)で本来は潰れるべきでした。
ですが、1923年の関東大震災後の救済措置のおかげでムダに生き残っちゃったんです。もともとイマイチだった飲食店が、「コロナのせいで業績が悪くなったんです!」って言って政府からお金をたくさんもらって生き延びちゃう…ってのに似ています。

イマイチな企業が生き残っているのに「日本の経済は強い!」とは言えません。
井上財政の目的・目標
ここまでをざっとまとめます。
井上財政が行われる前の状況
- 金本位制を中断していた
- 円為替相場が不安定だった
- イマイチな企業が生き残っていた
この状況を打開するために、井上財政(1929年7月〜1931年4月)では2つの目的・目標を掲げました。
- 金本位制に復帰する
- イマイチな企業を整理する
金本位制に復帰したい!
「他の主要国と同様に、日本も金本位制に復帰する!」というのが井上準之助が目指していたことでした。
日本が金本位制に復帰することで
- 欧米諸国と足並みをそろえることができる(=国際協調体制)
- 円為替相場を安定させることができる(→貿易が安定する)
からです。

イマイチな企業を整理したい!
また、井上準之助は「国際競争力を強化するために、イマイチな企業を整理したい」とも考えていました。
難しい言葉で表現すると「経済界の整理・産業の合理化を促進して、国際競争力の強化を目指す」です。
井上財政の内容
これらの目的・目標を達成するために、井上財政では
- 緊縮財政
- 旧平価での金輸出解禁
という政策が行われました。

緊縮財政
金本位制のもとでは、紙幣をいくらでも刷れるわけではなく、紙幣量は金(ゴールド)の保有量に規定されることになります。
井上財政が始まる前は「発行できるお金の量(=金の保有量)」よりも多くのお金が市場に出回っていたので、金本位制に復帰するためには市場に出回っているお金の量を減らさなければいけません。
そこで政府は緊縮財政を行なって(=国の支出を減らして)市場に出回っているお金の量を少しずつ減らしていきました。

旧平価での金輸出解禁
そして、市場に出回っているお金の量が良い感じに減ってきて「いよいよ金本位制に復帰できるぞ!」っていうタイミングで、日本は金本位制に思い切って復帰します(1930年1月)。
ただ、金本位制に復帰するということは「日本円を金(ゴールド)と結びつける」ということですから、
「1円=金●グラム(=□ドル)」
という基準を設ける必要があります。この基準のことを平価と言います。

平価をどうするか?に関して、ざっくり2つの選択肢がありました。
- 【旧平価】100円=49.85ドル(1897年に定められた為替相場)
- 【新平価】100円=46.5ドル(1930年頃の実際の為替相場)
※旧平価=1897年に日本が初めて金本位制に移行する際に、貨幣法という法律で定められた水準

つまり、昔の基準でいくか、今の状況に見合った基準でいくか?の2つの選択肢があったっていうことです。
んで、井上準之助は旧平価での金本位制復帰に踏み切りました。
- 旧平価では1円の価値は0.49ドル
- 新平価では1円の価値は0.46ドル
ってことなので、井上準之助は円の価値を(実際の価値よりも)切り上げた状態で(=円高)金本位制に復帰したということです。
旧平価で金本位制に復帰した思惑
井上準之助はこう考えていました。
旧平価=円高になる
→円高だと輸入が有利で輸出が不利
→輸入が増えて輸出が減るので、外国への支払いが増える
→金(ゴールド)が国外に流出する
→発行できる紙幣の量が少なくなる(デフレ)
→紙幣の量が減って経済活動が停滞するので不況に陥る
→イマイチな企業は潰れる
→日本経済が健全な状態になる
→日本の国際競争力がアップする

これを聞くと「そんな政策うまくいくのかよ!」って思うかもですが、井上財政は国民や財界からも支持された政策だったようです。
ところが…
井上財政の結果
1929年10月にアメリカの株価の大暴落から始まった世界恐慌の影響が想定以上のヤバさでした。

結局、日本経済は
- 旧平価での金輸出解禁による不況
- 世界恐慌による輸出激減
の二重の打撃を受けることになり、深刻な状態に陥ってしまいます(これを昭和恐慌と言います)。

→高橋財政













