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西アジア(中東)の農業と交易をわかりやすく:なぜ砂漠で人が暮らせるの?

モチオカ(望岡 慶)

西アジアと言えば砂漠。

植物が育ちにくい砂漠で、人々はどうやって食べ物を手に入れてきたのだろうか?

エジプト(2025.3撮影)
モチオカ
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西アジアの食事

まずそもそも、西アジアの人々は何を食べてきたのだろう?

以下が、西アジアの食事の例である。

フムス(ひよこ豆のペースト)とピタパン(2025.2撮影 @アラブ首長国連邦)
ナツメヤシの実「デーツ」(2025.2撮影 @アラブ首長国連邦)
チーズ(2025.2撮影 @アラブ首長国連邦)
シャワルマ(羊肉や鶏肉を串に刺して回転させながら焼いた料理)(2025.2撮影 @アラブ首長国連邦)

では、一体なぜこうした食事になるのだろう?

それは、乾燥地域での農業の条件に深く関係している。

西アジアの伝統的な農業

「西アジア」と聞いて、まず思い浮かぶのは広大な砂漠かもしれない。確かにこの地域は乾燥しており、雨が少ないため、植物を育てるのは簡単ではない。

しかし、だからといって農業が不可能だったというわけではない。

西アジアの人々は、「水をどう確保し、どう無駄にしないか」を工夫しながら、作物を育ててきた。

特に重要だったのが乾燥に強い植物である。小麦、大麦、豆類(ひよこ豆、レンズ豆など)は、少ない水でも育ちやすく、さらに保存もしやすいことから、古代から主食として広く利用されてきた。

河川流域では灌漑農業

チグリス川・ユーフラテス川のような大河の周辺では、川から水を引いて畑にまく灌漑農業が盛んに行われた。

※チグリス川とユーフラテス川の流域に広がる肥沃な土地は、「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる。この地域で古代メソポタミア文明が栄えた。世界で最も早く農業が始まった場所の一つとされている。

河川がない地域ではオアシス農業

一方で、西アジアの多くは大河がない乾燥地帯である。そこで活躍したのがカナートという地下水路。

砂漠のわずかな地下水源(オアシス)から水をトンネルで導き、蒸発を防ぎながら畑や集落に届ける仕組み。傾斜を利用して水を流すため、ポンプを使わなくても水を運べた。

オアシス農業ではナツメヤシなどが栽培された。

遊牧

しかし、広大な砂漠地帯では、耕作だけで人々を養うことはできなかった。そこで重要になったのが遊牧である。

乾燥した土地でも育つヤギやヒツジを飼うことで、人々は肉や乳、毛皮といった生活に必要なものを得てきた。

特にヒツジやヤギのミルクから作られるチーズは、貴重なタンパク源であり、保存食としても重宝された。

乾燥地域の限界と特徴

乾燥地域の農業は不安定

乾燥地域の農業は、どうしても不安定になりがちである。雨が少なく収穫量に限りがあるため、自給自足だけで暮らすのは難しい。

そのため、西アジア各地の社会(部族集団)では、確保できる食糧の量に差があった。

食糧が足りない社会もあれば、有り余る社会もある。さらに、同じ場所でも年によって状況が変わることがあった。

ナイル川(2025.2撮影)

乾燥地域は都市が点在する

そのような社会(部族集団)が各地に点在していたのが、西アジアである。

大河川の流域では、湿潤地域のように都市と農村が連続的につながっていたが、そうではない大部分の場所では、水を確保できる場所(オアシス)に人が集中し、小規模な都市が点在する形になる。

だから乾燥地域では交易・市場が重要

西アジアの乾燥地域には、互いの間に食料の格差がある小さな社会が分散して存在していた。

水や食料が限られる社会は、他の地域との物資のやりとりに頼らざるを得ない。一方で、余剰を確保できる社会は、他の社会に食糧や品物を供給できる。

こうして、乾燥地域では自然と交易が盛んになった。

砂漠を旅するキャラバンは、ナツメヤシやスパイス、宝石などを運び、遠く離れた地域から必要な食料や品物を手に入れたのである。

エジプト(2025.3撮影)

その結果、都市は「中継地」「交易拠点」として栄え、各地に市場(バザール、スーク)が発達した。交換は物々交換の場合もあれば、貨幣を使う場合もあっただろう。

ドバイフレームにて(2025.2撮影)

さらに、交易に参加するには「相手に差し出す価値」が必要である。そのため、西アジアでは織物・金属器などの工業製品も盛んに作られるようになった。

農業だけでなく、交易と工業も西アジアの社会を支えていたのである。

ドバイのゴールドスークにて(2025.2撮影)

小まとめ

こうした農業、遊牧、交易の歴史が、現在に伝わる西アジアの食文化を形作っている。

フムス、平たいパン乾燥に強い豆類(ひよこ豆)と穀物(小麦、大麦)を加工したもの。
ナツメヤシ砂糖の代わりになる貴重な甘味料であり、日持ちするため砂漠の旅に欠かせない。
チーズや羊、山羊の肉遊牧によって得られる。

西アジアの食事は、厳しい自然環境と向き合い、それに適応してきた人々の知恵と工夫の結晶である。

ロンドンで食べたレバノン料理(2023.9撮影)

西アジアの農業・交易の進化

技術の発展によって、西アジアの農業・交易・市場の様子は変化している。

農業の進化

時代が進むにつれて、西アジアの農業は大きく変化した。

  • 大規模ダムの建設
  • 海水淡水化施設による水の確保
  • センターピボット方式の灌漑農業(地下水をポンプで汲み上げて肥料と一緒にまく)
  • エアコン完備の室内牧場での畜産

こうした技術によって砂漠でも農業・畜産が可能になっている。

ただし、これらは莫大なお金とエネルギーを必要とするため、資金力のある国とそうでない国の間で大きな格差が生じている。

交易の進化

農業は進化したものの、乾燥地域が多い西アジアが本来、農業に向かない地域であることに変わりはない。

そもそも不得意なことを可能にしようとしている以上、多額のマネーとエネルギーが必要である。

よって、依然として「生産の得意な地域から物資を買う」=交易は重要である。

現在では、オアシス都市同士の交易だけではなく、西アジアの各都市は世界各地から必要な物資を輸入するようになっている。

今や西アジアの国々には「◯◯モール」という巨大ショッピングモールがたくさんある。たくさんの価値が集まる市場も、伝統的なバザール・スークから近現代化しているのである。

ドバイモール(2025.2撮影)

これらの進化を支えるのは・・・

では、どうして西アジアの国々はこれほどの技術や巨大モールを維持できるのだろうか?

それは、西アジアが世界に提供している「価値」があるからである。

その代表が石油。石油によって得られる莫大な収入が、水や食料を確保するための技術導入・開発を可能にしてきた。

→西アジアの石油産業

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